見出し画像

自由に遊べる「時間」と「場所」をわざわざつくる(前編)

自分が子どもの頃と、すっかり変わってしまった遊びの風景。ならば、私は子どもたちが自由に遊べる時間と場所を、「わざわざ作ろう」と考えた。

遊びの時間の確保

よく、ウチの子どもたちは「いろいろと好きなことが見つかっていいですね」と言われる。その度、私はこう答える「ウチの子たち、決定的に暇ですから」。

ウチでは彼らが小さい頃から、行きたいといった週一回の習い事以外は、ほとんど自由時間。誰と遊びに行こうが、自宅で一人で何かをしようが、好きなように過ごしていた。なので、宿題さえ終われば四六時中「次何しよっかなー」とやりたいこと探している。

また、ウチでは子どもたちの「遊び」の時間を確保するために、子どもたちが小さい頃は「ゲーム機」を置かなかった。ゲームも立派な「遊び」ではあるが、親がかなりコントロールしないと、遊びの時間の多くをゲームに取られることがわかっていたから。

そのため、長男6年生、次男2年生になるまで、うちにはゲーム機がなかった。(「ゲームやスマホと子ども」については、とても難しい問題なので、別途考えたことを書こうと思っている)

そんなわけで、ウチでは子どもたちが自由に遊べる「時間」の確保は意外と簡単にできた。

自由に遊べる「場所(環境)」の確保

工夫が必要だったのは、自由に遊べる「場所」だ。子どもの遊び場といったら、公園か道路くらいだが、家の前の道路は、自治会の回覧板で「危ないから子どもを道路で遊ばせるな」というお達しが出ていた。

さらに殺伐とした例を挙げると、道路で近所の子どもさんがチョークで線路を書いて遊んでいたら、「落書きは犯罪だぞ、警察に言うぞ!」と怒鳴られた、という話もあった。

ということで、子どもたちの外の遊び場となると近くの公園になる。だたし、公園は、色々なレギュレーションがあり、「自由に」という感じではなく、周りに迷惑を掛けないように遊ぶことが必要だった。

もっとダイナミックに遊べる場所はないかな…と思っていたら、たまたま訪れた公園でやっていた「プレイパーク」という素敵な遊び場を見つけた。「プレイパーク」とは「冒険遊び場」とも呼ばれている子どもたちの遊び場のこと。

私達の訪れたプレイパークは、公園の一角にあり、焚き火の煙と美味しそうな匂いが漂っていた。長男は目を輝かせ、吸い込まれるようにしてその遊び場に入っていく。プレイパークには一応入口らしきものがあり、看板にはこう書いてあった。

子どもが公園で自由に遊ぶためには、「事故は自分の責任」という考えが根本です。そうしないと、禁止事項ばかりが多くなり、楽しい遊びができません。このプレーパークのモットーは、「自分の責任で自由に遊ぶ」ことです。

「自分の責任で自由に遊ぶ」というのは、当たり前のことなのに、とても新鮮だった。もちろん、怪我などの事故に関して、スタッフは責任を負いませんよ、という免責の意味もあるだろうが、私にはとてもしっくり来た。

というのも、私は子どもの頃、親となった今ではぞっとするような危険な遊びをしていた。親のいないところで、線路に上がったり、塀に登ったり、用水路をズブズブ歩いたり…今ならすぐに禁止されそうな遊びばかり。今思い出すと、それらの遊びの責任は、子どもである「自分」と、子どもを自由に遊ばせていた「親」あったと思う。

もちろん、子どもだったので「責任」なんて言葉は浮かばなかったが、子ども心に「これは危ないことをしているんだな」という緊張感や覚悟があった。

**********

プレイパークに入ってみると、遊び場の中心に大きな焚き火があり、何人かの子どもは、長い竹の棒に先に巻き付けたパンを焼いていた。焚き火に見とれていると、私達の前をリアカーに乗った子とそのリアカーを引く子が通過していく。周りの木には木登りをしている子どもたち。水たまりで延々と泥遊びをしている子もいた。

入り口近くの小屋には、竹や木材、のこぎりやトンカチ、釘、木工用のナイフなど、危ない道具も置いてあった。要するにプレイパークは、やけどをしたり、手を切ったり…という怪我をするかも知れない「危険な場所」でもあるということ。でも、子どもたちは、そういう少しの危険を伴った「冒険」的な遊びが大好きだ。

そして、意外なことに、危険な道具を使う時、子どもたちは大きな怪我はしない。もちろん、最初は大人が「これは注意して使わないと危ないからね」と教えてあげるからだが、子どもは本能的に「危険」を察知する。だから実際には、焚き火の中に飛び込む子どももいなければ、のこぎりで友達を切りつける子どももいない。

焚き火やのこぎりという「危険」を子どもから遠ざけるだけでは、子どもはいつまで経っても、「危険」の本当の意味がわからない。

子どもたちが冒険的な遊びが好きなのは、「危険」に届くギリギリの所まで、自分の世界を広げたいという本能なのだと思う。

現代では子どもたちはふだんそんな「冒険」的な遊びをすることはなかなかできない。でも、「自分の責任である程度危険な遊びをする」ということは、子どもの育ちに必要なことだと思うのだ。

我が家は、引っ越しを機に見つけた山遊びのプレイパークに定期的に通うようになった。「ひと山まるごとプレイパーク」という、一つの山をまるごと遊び場として使える贅沢なプレイパークだ。

山に入って延々と探検をしようが、焚き火の前に一日居ようが、何ヶ月か掛けてコツコツとツリーハウスを作ろうがすべて自由。「これをしなさい」と強制されることがない。特になにか遊具があるわけではないが、毎回毎回子どもたちは自分たちで遊びを創り出して、飽きることなく山での時間を満喫した。

私達の親の世代が「昔はよく山や川をかけずりまわった」と話していたが、きっとこんな感じだったんだろうな、と思う。もちろん、プレイパークは、大人の目があるので、大きな事故は起こらないような配慮がされているのもありがたかった。

ーーーーーーー後編へつづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?