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虐待・マルトリートメントと精神疾患(第二期:第5回①)

 前回は「発達障害」、前々回は「愛着障害」について触れました。その中でも挙げた診断基準「DSM」に書かれているものを「精神疾患」と理解することが最も簡単な理解であるように思われます。第5回は、その他の精神疾患について、その概観と、虐待やマルトリートメントとの関連について考えていきます。

1.「精神疾患」とは

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 精神疾患とは「正常な反応」の「長さと深さの異常」であるというのが要点です。気分の落ち込みや高まり、何かを恐がり、恐れる気持ち、三大欲求を満たそうとする本能、個人の性格的な特徴、個人として認められ、活躍し続けたいという願い。これらは私たちが人間として正常に持つ自然な感情や反応です。

 これらが、その反応としての持続時間(期間)や深さ(強さ)において、その人のいる環境において適応が難しいほどになり、さらに医師が診断した場合に、その人が「精神疾患」に罹患しているという状態になります。同じ状態でも適応していたり、診断されていなかったりすれば、精神疾患とは言えません。

2.「発症」は「弱さ」の証明か

 その「正常な反応の長さと深さの異常」が、どのようにして起こるのかは、ストレスと「素因」との関連で起こると説明されています(ストレス-素因モデル)。素因というのはストレスに対する脆弱さ、つまりストレス耐性を指し、これが「精神障害者=弱者」という偏見にも繋がっているように思われます。

 確かに、同じ環境で同じ出来事に遭遇しても、適応できる個人とできない個人がいます。それでも、その環境においてその個人がどのような位置にいるかはそれぞれ異なり、そういった人間関係の力関係における差が、ストレスの量や受け方、発散方法をも変えます。これは家庭においては特に言えることです。

 つまり、「ストレス-素因」に至る前には、個人の置かれた「環境」の要因が無視できるものではなく関与していると言えます。したがって、発生したストレスイベントから想定されるストレス量と個人のストレス反応を考慮するのみでは、個人の素因つまりストレス耐性を推し量ることは簡単ではありません。

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 また、その「素因」も遺伝的・先天的な要因として捉えられがちですが、生育(育ち方)つまり「環境」からの影響を強く受けていると考えられます。これに関しては、以前に触れた内容で説明できますので、ここでは記載しません。また、ストレスと環境の関連についても他に記載していますので省略します。

3.「病む」ほどのストレスはなぜ必要か

 環境の関与を考慮せずに個人の性質を推し量り、弱さ(脆弱性)などと捉えるからこそ、個人の苦悩は過小評価され、精神疾患への偏見が生まれるように思われます。また、仮に、ある個人が本当に「脆弱」だとしても、その人が病むほどの強度のストレスがそもそも必要かどうかは疑問と言わざるを得ません。

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 人の中で生き、人の中で育つのが人間です。そしてストレスが多いのが人生でもあります。ただし、そのストレスが個人にとって「病む」ほどになるのはどういう場合でしょうか。少なくとも私個人がこれまで見聞きした全ては、「その環境なら無理もない」、「その生育ならば仕方ない」と思えるケースでした。

 子どものうちから過酷な環境におかれること、個人の可能性や資質が伸ばされずにむしろ潰されること、またはそれが続くことは、この「素因」という点においても色濃く影響を及ぼします。

 様々な「精神疾患」が虐待やマルトリートメントと関連することは、その二次障害として当然に考えられることです。

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