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凛とした走馬灯

実家の富山に帰って被災した。富山では、1919年以来の津波を伴う大地震らしい。幸い、家族皆で海から離れたホテルに避難でき、無事だった。

子供の頃から何度も小さい地震を経験していたため、いつもと同じ感じだろうと思っていた。でも、スマホの緊急地震速報のあとに津波警報が流れた。「あぁ」ってなった。

その「あぁ」には、色んな感情があった。根底には、慈しみの心しかない。色んなことを考えて、色んなことを懐い出した。特に、稚児の思ひ出。オムニバスのように頭の中で色んな情景が錯綜していく。

3歳の時に家から徒歩3分の神社で氏神様を見た。境内の入り口を覆い尽くすくらい大きくて、灰色で尻尾がフサフサしていた。父と散歩中だったが、「お父さん、あそこに象がいるよ」って言ったら消えてしまった。最近、とある霊能者に聞いた話では、氏神様の召使いらしい。分かりやすく象の姿で現れてくれるなんて、粋な神様だな。

4歳の時に大叔母の車で大声で歌った「にじのむこうに」。その日は、家庭の事情で両親・祖母共に保育園のお迎えに来られなくて、大叔母に迎えに来て貰った。大好きな大叔母に聞いてもらいたくて仕方なくて、覚えたてのお気に入りの歌を披露した。また、一緒に虹を見られたらいいな。

5歳の誕生日プレゼントに母の友人に貰った、コダックの喋るオモチャ。ピカチュウが好きだったから、「こんなのいらない」って目の前で言ってしまった。昔から嘘がつけない、シニカルなタイプだった。いつの間にか、そのコダックはいなくなっていた。私にゲットされたのが、運の尽きだな。

昔の祖母の家はとても広く、敷地内に公園がある程だった。森林の傍にあったため、野生の孔雀や狸や白眉神がよく遊びに来ていた。その祖母の家は私が3歳の時に行政の関係で立て壊しが決まったため、それ以来今の実家で一緒に住んでいた。祖母が抱っこしてくれて、孔雀たちを見つめていた童心を想い出す。十中八九、私は真顔だった。それが当たり前の光景だと思っていたのだ。野生の孔雀が見られる環境にいたなんて、今更ながらに感嘆している。

そんな昔の祖母の家では、クリスマスになるとサンタに扮した親戚のおばちゃんが毎年やってきて、大きな白い袋に入れたクリスマスプレゼントを私と妹と従姉妹に授けてくれた。私の両親、叔母、祖母はどうにか私たちにサンタの存在を信じさせようと努めていた。でも、ある年のクリスマスに私が気付いてしまった。「○○のおばちゃんだ!」と。その次の年から来なくなった。子供ながらに、サンタへの酌量をしなかったことに深く後悔した。

そこには、どんな思ひ出にも慈しみの心があった。どんな思ひ出も美しいし、愛しくて仕方ない。私のとびっきりチャーミングなところも、とびっきりダメなところも全てセットアップしてくれた。そして、人を慈しむ心を持たせてくれた。

どうか、そんな素敵な思ひ出が詰まった街が凛としたままでありますように。

そして、皆で慈愛の心を持って助け合い、1日も早く復興できますように。

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