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秀麗凛華の時

秀でて麗しく凛として華あり。
ときめく会話、穏やかな風、目から鱗の大刺激、エレガントな尊重。

ある時ふと、「明日はこの予定がある!」と思った瞬間に私が大事にしたい日々にはなにがあるのか?という問いとその答えが同時に降ってきました。
本当にふってきた感じです。そういうスキルはないけれど。

ときめく会話
未知だけれど、そこにいて学びたい耳を傾けたいという気持ちだけはわかっている状態。お会いする人か、つないでくださった方か、テーマか、なにかしらのときめきの言葉、会話、インプットとアウトプットがある状態
秀でることにおいて、自分が、自分がではなく、互いに秀でたものを見出せる場。

穏やかな風
これは時に強く吹いてもいいのですけれど、何かを運び入れ、何かを運び去り、常に空気を新しくすること。
派手さやインパクトではなく、運ばれる空気がいつも麗しくあること。

目から鱗の大刺激
これは自身の心、気持ち次第ですね。目の前に飛び込んでくるどんなことにも、好奇心を抱けること、刺激を感じられる心を持ちたい、気持ちを大事にということ。そこに宿るのは凛々しさ。
自分が全て知っている、自分が正しい、と思った瞬間、失ってしまう感覚でもあると思います。

エレガントな尊重
エレガントというのは言葉遣いや仕草だけでなく、その人とその人の他者とのかかわり方にかかってくる言葉です。そして、それは言葉遣いが丁寧とか、身だしなみが整っているということではなく、その場にときめきを感じ、心穏やかで、常に刺激を受け入れる内的世界のしなやかさ、だと思っています。私にとってエレガントの反対語は、下卑ている、あさましい、です。
内的世界のしなやかさ、これがあれば、他者を自然と尊重できると思っています。そのような世界に私は華を見出します。

「そういう人がいるわけではない」
下卑てあさましい人がいるというより、人は時に何かの環境や出来事、ちょっとした拍子に、他者に心狭くなったり、あるいは他者を押さえつけることで自分を無理やり優位に立たせたり、そうなってしまう時があってもおかしくはないとも思うのです。
これが、常態化して、習性になってしまわないように、自分の中からこの不気味なものを追い出せるように、
私には「ときめく会話」と「穏やかな風」と「目から鱗の大刺激」と「エレガントな尊重」が必要になったのだと思います。

そして、これらは、常にありのまま心優しき人たちと分かち合うものです。
香り、思い、呼吸。


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