記事一覧

音楽史・記事編133.リストの創作史・ロマン派の大作曲家

 古典派期からロマン派期の時代にイタリア人のパガニーニはバイオリンのヴィルトゥオーソとして一世を風靡していましたが、ロマン派期に登場したリストはピアノのヴィルト…

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1日前
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音楽史・記事編132.シューマンの創作史・宗派のはざまで

 ベートーヴェンが亡くなった翌年、18歳のロベルト・シューマンは故郷のギムナジウムを卒業し、ライプツィヒ大学に入学し、一方でピアニストを志望していたシューマンは…

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1か月前
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音楽史・記事編131.ウィーン・ロプコヴィッツ宮殿

〇ハイドンとベートーヴェン、ロプコヴィッツ侯爵から弦楽四重奏曲を委嘱される  ベートーヴェンは1792年に生まれ故郷のボンからウィーンに音楽留学し、そのピアノ演…

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1か月前

音楽史・記事編130.ショパンの創作史

 ポーランドに生まれ、ウィーンで祖国の革命の報に接し、フランスのパリに作曲家、ピアニストとしての活動の場を求め、パリに亡命したポーランド革命家とともにポーランド…

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1か月前
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音楽史・記事編129.ウィーン・エステルハージ宮殿

 ウィーン南部のオーストリーからハンガリーにまたがる広大な領地を持つエステルハージ家はアイゼンシュタットの宮殿を中心に、ウィーン中心部の王宮近くのヴァルナー通り…

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1か月前

音楽史・記事編128.チャイコフスキーの創作史

 フランス移民の血を引くチャイコフスキーは、ロシアにおける最初の交響曲を作曲したアントン・ルビンシュテインの指導を受け交響曲作曲家となり、また歌劇、バレエ音楽、…

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2か月前
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音楽史・記事編127.ウィーン王宮前のミヒャエルハウス

 ウィーン王宮前のコールマルクトの入口にミヒャエルハウスと呼ばれるアパートメントがあり、ここの3階にはウィーン宮廷詩人でありオペラ界の巨人メタスタージョが50年…

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2か月前
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音楽史・記事編126.旧ウィーン大学講堂

 ベートーヴェンはアン・デア・ウィーン劇場の支配人であったシカネーダーと契約し、アン・デア・ウィーン劇場内に住居も提供されて、作曲活動を行っていました。契約では…

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2か月前
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音楽史・記事編125.ウィーン・ベートーヴェン記念館(パスクアラティハウス)

 ベートーヴェンは1804年10月から08年6月まで、また1810年4月から15年春までの間、メルケルバスタイのパスクアラティ男爵所有の住居に居住し、ベートーヴ…

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2か月前

音楽史・記事編124.ドボルザークの創作史

 ドボルザークは「ドヴォルジャーク」、「ドヴォルザーク」、「ドボルザーク」などと表記されます。これはチェコ語表記の名前をチェコ語として発音するか、あるいはドイツ…

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2か月前
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音楽史・記事編123.ウィーン・フォルクスオパーと「魔笛」

〇フォルクスオパーの歴史  ウィーンのオペラ劇場はウィーン国立歌劇場のほかにアン・デア・ウィーン劇場とウィーン・フォルクスオパーがあり、国立歌劇場では原則オペラ…

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3か月前

音楽史・記事編122.シューベルトの創作史

 シューベルトの作品はドイチュ番号で表示されます。オーストリーに生まれたオットー・エーリヒ・ドイチュはウィーン大学の音楽史教授となり、1951年にシューベルトの…

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3か月前
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音楽史・記事編121.ウィーン国立歌劇場

〇ウィーン宮廷歌劇場の建設  1869年5/25、新しく完成したウィーン宮廷歌劇場(後のウィーン国立歌劇場)はモーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」によってこ…

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3か月前
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音楽史・記事編120.モーツァルトの創作史と平均律への対応

 モーツァルトは約30年にわたり音楽のあらゆる分野で作曲を続け、いずれの分野でも名曲と言われる音楽史における傑作を残し、下記の年度別分類別作品数表に示すように、…

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3か月前
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音楽史・記事編119.ウィーン楽友協会

 ウィーン楽友協会は1870年に完成し、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地として、音楽史においてもブラームスやブルックナーの交響曲を初演するなどの歴史を…

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4か月前
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音楽史・記事編118.ブラームスの創作史

 ロマン派期には多くの作曲家が多様な様式で作曲し、お互いに影響を与えています。本編ではブラームスの年度別分類別作品集計をもとに、ブラームスの創作史について見て行…

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4か月前
音楽史・記事編133.リストの創作史・ロマン派の大作曲家

音楽史・記事編133.リストの創作史・ロマン派の大作曲家

 古典派期からロマン派期の時代にイタリア人のパガニーニはバイオリンのヴィルトゥオーソとして一世を風靡していましたが、ロマン派期に登場したリストはピアノのヴィルトゥオーソとしてヨーロッパを席巻し、同時代に生まれたショパン、シューマンとともにロマン派の大作曲家となります。

〇リスト創作史の難しさ
 今回のリストの創作史にあたり、本音楽史年表データベースに掲載しているリストの主要な約200作品から、さ

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音楽史・記事編132.シューマンの創作史・宗派のはざまで

音楽史・記事編132.シューマンの創作史・宗派のはざまで

 ベートーヴェンが亡くなった翌年、18歳のロベルト・シューマンは故郷のギムナジウムを卒業し、ライプツィヒ大学に入学し、一方でピアニストを志望していたシューマンは著名なピアノ指導者フリードリヒ・ヴィークに師事します。ベートーヴェンによってロマン派の扉が開かれ、シューマンはロマン派の申し子のようにピアノ曲を中心に創作を行ってゆきます。

〇ロマン派ピアノ協奏曲への道
 音楽史におけるシューマンの一番の

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音楽史・記事編131.ウィーン・ロプコヴィッツ宮殿

音楽史・記事編131.ウィーン・ロプコヴィッツ宮殿

〇ハイドンとベートーヴェン、ロプコヴィッツ侯爵から弦楽四重奏曲を委嘱される

 ベートーヴェンは1792年に生まれ故郷のボンからウィーンに音楽留学し、そのピアノ演奏はウィーン中の評判となり、作曲においても作品1の3曲のピアノ三重奏曲をリヒノフスキー侯爵に献呈し、さらに作品2の3曲のピアノ・ソナタを師のハイドンに献呈し、そして作品12の3曲のバイオリン・ソナタをベートーヴェンの歌曲の師である宮廷楽長

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音楽史・記事編130.ショパンの創作史

音楽史・記事編130.ショパンの創作史

 ポーランドに生まれ、ウィーンで祖国の革命の報に接し、フランスのパリに作曲家、ピアニストとしての活動の場を求め、パリに亡命したポーランド革命家とともにポーランド民族舞曲を中心として、生涯を通じてピアノ曲の作曲に取り組んだショパンはピアノの詩人と呼ばれています。

〇パリのショパン
 フランス革命後のパリでは自由・平等・博愛のもと共和制を実現し、音楽文化面では劇場等の経営は王侯貴族から海外貿易等で財

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音楽史・記事編129.ウィーン・エステルハージ宮殿

音楽史・記事編129.ウィーン・エステルハージ宮殿

 ウィーン南部のオーストリーからハンガリーにまたがる広大な領地を持つエステルハージ家はアイゼンシュタットの宮殿を中心に、ウィーン中心部の王宮近くのヴァルナー通りにエステルハージ宮殿を構え、またハンガリー領内には歌劇場を併設するエステルハーザ宮があり、エステルハージ侯は冬にはウィーンの宮殿に、夏にはハンガリーのエステルハーザ宮に、それ以外の時期にはアイゼンシュタットの宮殿で政務を行い、楽長のハイドン

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音楽史・記事編128.チャイコフスキーの創作史

音楽史・記事編128.チャイコフスキーの創作史

 フランス移民の血を引くチャイコフスキーは、ロシアにおける最初の交響曲を作曲したアントン・ルビンシュテインの指導を受け交響曲作曲家となり、また歌劇、バレエ音楽、協奏曲、室内楽の分野で、ヨーロッパ音楽の様式を取り入れつつロシア民族音楽を融合した名曲を残しています。

〇チャイコフスキーの交響曲
 チャイコフスキーはペテルブルク音楽院では恩師アントン・ルビンシュタインの指導を受け、卒業後には初めての大

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音楽史・記事編127.ウィーン王宮前のミヒャエルハウス

音楽史・記事編127.ウィーン王宮前のミヒャエルハウス

 ウィーン王宮前のコールマルクトの入口にミヒャエルハウスと呼ばれるアパートメントがあり、ここの3階にはウィーン宮廷詩人でありオペラ界の巨人メタスタージョが50年にわたって居住し、エステルハージ家に雇用される前の若きハイドンが5階の屋根裏部屋に居住し、ベートーヴェンが亡くなった後の1830年にはショパンがウィーンを訪れ、ミヒャエルハウスの4階に8ヶ月間投宿し、その後パリを目指しますが、シュツットガル

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音楽史・記事編126.旧ウィーン大学講堂

音楽史・記事編126.旧ウィーン大学講堂

 ベートーヴェンはアン・デア・ウィーン劇場の支配人であったシカネーダーと契約し、アン・デア・ウィーン劇場内に住居も提供されて、作曲活動を行っていました。契約ではアン・デア・ウィーン劇場での新作の上演が義務とされ、ベートーヴェンは交響曲第3番変ホ長調「英雄」の公開初演を行い、さらに歌劇「フィデリオ」(初稿)およびその改訂稿を初演します。しかし、「フィデリオ」改訂稿初演では当時の興行主のブラウン男爵と

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音楽史・記事編125.ウィーン・ベートーヴェン記念館(パスクアラティハウス)

音楽史・記事編125.ウィーン・ベートーヴェン記念館(パスクアラティハウス)

 ベートーヴェンは1804年10月から08年6月まで、また1810年4月から15年春までの間、メルケルバスタイのパスクアラティ男爵所有の住居に居住し、ベートーヴェン中期の傑作を作曲しています。ベートーヴェンはこの住居をウィーンの拠点とし、たびたびバーデンやメードリンクなどに避暑などに出かけていたようです。

〇パスクアラティハウスにおける創作
 メルケルバスタイのパスクアラティハウスはベートーヴェ

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音楽史・記事編124.ドボルザークの創作史

音楽史・記事編124.ドボルザークの創作史

 ドボルザークは「ドヴォルジャーク」、「ドヴォルザーク」、「ドボルザーク」などと表記されます。これはチェコ語表記の名前をチェコ語として発音するか、あるいはドイツ語や英語などとして読むかによるものではないかと思われますが、本編では日本で使われてきた「ドボルザーク」を使用します。

〇ボヘミアの歴史
 ヨーロッパ中央部に位置するチェコ共和国は古代から南のラテン語民族(西ローマ帝国、ローマ・カトリック教

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音楽史・記事編123.ウィーン・フォルクスオパーと「魔笛」

音楽史・記事編123.ウィーン・フォルクスオパーと「魔笛」

〇フォルクスオパーの歴史
 ウィーンのオペラ劇場はウィーン国立歌劇場のほかにアン・デア・ウィーン劇場とウィーン・フォルクスオパーがあり、国立歌劇場では原則オペラが上演され、オペレッタでは唯一ヨハン・シュトラウス2世の「こうもり」のみがレパートリーに加えられ、年末年始に上演されています。アン・デア・ウィーン劇場やフォルクスオパーではヨハン・シュトラウスやレハールのオペレッタを中心にモーツァルトの「魔

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音楽史・記事編122.シューベルトの創作史

音楽史・記事編122.シューベルトの創作史

 シューベルトの作品はドイチュ番号で表示されます。オーストリーに生まれたオットー・エーリヒ・ドイチュはウィーン大学の音楽史教授となり、1951年にシューベルトの全作品を分類整理しドイチュ番号を発表し、今日では一般的に使用されるようになっています。本編の音楽史年表データベースではドイチュの作品分類(Franz Schubert Thematisches Verzeichenis seiner Wer

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音楽史・記事編121.ウィーン国立歌劇場

音楽史・記事編121.ウィーン国立歌劇場

〇ウィーン宮廷歌劇場の建設
 1869年5/25、新しく完成したウィーン宮廷歌劇場(後のウィーン国立歌劇場)はモーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」によってこけら落としが行われます。1860年頃から本格的に始まったウィーン大改造に伴い、ウィーンの旧市街を取り囲んでいた城壁が取り壊され、新たなリング通りとその沿線に新しい建物が次々と建設されて行き、ケルントナー門に隣接していたケルントナートーア劇場

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音楽史・記事編120.モーツァルトの創作史と平均律への対応

音楽史・記事編120.モーツァルトの創作史と平均律への対応

 モーツァルトは約30年にわたり音楽のあらゆる分野で作曲を続け、いずれの分野でも名曲と言われる音楽史における傑作を残し、下記の年度別分類別作品数表に示すように、モーツァルトの創作にはいくつかの転機があることが分かります。本編ではモーツァルトの創作の概要を見て行きます。

(1)パリ、ロンドン訪問以降(7歳から13歳)

〇パリ、ロンドン訪問と出版
 1762年モーツァルト一家はウィーンを訪問し、ウ

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音楽史・記事編119.ウィーン楽友協会

音楽史・記事編119.ウィーン楽友協会

 ウィーン楽友協会は1870年に完成し、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地として、音楽史においてもブラームスやブルックナーの交響曲を初演するなどの歴史をもち、現在では毎年新年にはニューイヤーコンサートが開催されるなど世界有数のコンサートホールとなっています。

〇ウィーン楽友協会の設立
 ウィーン楽友協会は1812年にウィーンにおける音楽振興を目的として、旧市街に設立されています。シューベ

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音楽史・記事編118.ブラームスの創作史

音楽史・記事編118.ブラームスの創作史

 ロマン派期には多くの作曲家が多様な様式で作曲し、お互いに影響を与えています。本編ではブラームスの年度別分類別作品集計をもとに、ブラームスの創作史について見て行きます。なお、音楽史年表データベースに収録している作品を集計しています。また、集計において例えば、「3つの歌」は3作品とし、「ハンガリー舞曲集全21曲」は21作品として集計しています。

〇ブラームスの創作について
 ブラームスの創作では生

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