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あの頃すべてに必死だったね・・・8

こんにちは。精神障害ピアサポート専門員愛音です。
自伝的エッセイ連載「あの頃すべてに必死だったね・・・」1~7までは不登校に焦点を当てていました。
今回は障害について書いていきます。私と同じ障害名を告げられたからと言ってすべて同じではないでしょう。あくまでも私の経験を語っていきます。

・自傷行為

最初に自傷をしたのは中学2年の教室の中でした。うるさい環境を忘れる手段としてシャープペンでひっかき傷を作り小さな痛みに集中しようと。
しばらくしてカッターを使うようになりました。初めは苦しくて、辛くて、頭の中がパンクしそうになるとしていました。

それを「生きるための息継ぎ」と例えていました。
生きるために、生きていたいから、死なないために、死にたくないから、

家族みんなが寝静まる時間になると、私の時間、私だけの世界の始まり。
ルーズリーフに思っていることを書きだします。考えていること、今の自分のことだったり。
それが終わると引き出しから100円の青いカッターを取り出して、腕を切っていきました。
死にたくない、死にたくない、私は悪くない、弱くない、弱くない・・・!
ぐちゃぐちゃした感情を文字と左腕の傷という形で表しました。

だけどいつからか苦しくなくても自傷行為をするように。しないと落ち着かない。わずかな痛みを感じることが面白かった。生きてるから痛いのかな?なんて他人ごとみたいに感じて笑っていたと思います。
生きるための息継ぎだったはずが、まるで生きているかの確認になっていました。
昼間のほとんどは死んだように眠るだけ。起きてご飯やトイレに行って、また部屋に閉じこもりベッドで丸くなり眠る。私だけの世界が始まる深夜を待ちました。


・拒食症

拒食症になったのは15歳。治ったのは17歳くらいだと思います。
鬱になったことで興味というものが消えていきました。それは生きる興味だったり、日中を過ごす興味、そして自分自身へも興味がなくなり綺麗な服を着よう、しっかり毎日お風呂に入ろう、美味しくご飯を食べよう、これらも失いました。

ご飯を食べないと当然体重は減りますよね。体重計に乗ると少ない数字が表示され面白かった。玄関にある鏡で全身を確認するとなんだか細い気がする。このまま細くなったらモデルみたいな体系になれる。

ここから拒食症が始まります。

体重が減れば面白い。一日に何回も確認して0.1kgの増減で気分が浮き沈みしました。トイレに行くことで体重を減らそう、水を飲んだら体重を確認。コップにどのくらいの量の水なら飲んでも体重が増えないか何度も調べました。その水も頻繁に飲んだら体重が増えるから出来るだけ水は飲まず、薬を飲むときだけに制限をします。
実は今も水を飲むことが少し怖いと言うか、気になっています。お風呂上りに水を飲みたくても飲むと翌日体重が増えてしまう。だから喉が渇いてもあまり水が飲めません。体重計の数字に今も心が左右されています。

話を過去に戻しますね。ご飯を食べると当然数字が増える。でも絶食はまだこの時点ではできませんでした。じゃあどうしたか。食べたら吐く。吐けばプラスマイナスゼロ、ではなくマイナスになりました。吐けばいいことに気づくと嬉しかった。痩せる方法が分かったからです。どんどん痩せることは安心にも繋がったんです。

しかし拒食症は怖い。それが分かった時はもうかなり危ない時でした。ご飯を見たり、香りで吐き気がするんです。一口食べただけでも胃液が込み上げてくる。トイレで吐き出しました。食べていないから吐くものがないのに気持ち悪い。なんなのこれ!?
最終的には身長158cm、体重55kgだったのが38kgになりました。でも心には痩せたじゃんラッキーが大半を占めていました。

私の目を覚ましたのは母でした。今の姿は綺麗じゃない、それは立派な病気なんだから治していこう。あまりに母が真剣だったのでその雰囲気でひょっとしてかなり危ない?と感じました。だからと言ってすぐにご飯を食べることは出来ません。アイスやゼリー、プリン、ヨーグルトを一口ずつ食べる練習。噛まずにツルンと喉を通るものを母と祖母は用意してくれましたが、練習はなかなか上手くいきません。主治医からは拒食症を治す薬はないと言われたので、家族と一口食べる、という治療をしていきました。


・離人症、解離症状

離人症はよく分からない。といったイメージでした。自分はここにいるのに、ここにはいない。自分の姿を遠くから見ているようだ。自分という存在が非常に曖昧になっていきました。

そして解離症状では頭も心も混乱しました。
解離性同一性障害を聞いたことはありますか?これは多重人格障害とも言われるのかな。
多重人格ではなかったけれど、それに近い症状でした。

引きこもっていると自分自身と対話を始めました。心の中に自分以外の人格を作り、相談事をしました。その子には「琴音(ことね)」という名前を付けました。琴音さんは頼りになるお姉さんみたいで苦しいときに「琴音さん、話を聞いて!」と何度も心にいる琴音さんを呼びました。くまのぬいぐるみを抱いて泣き出す子を「るりちゃん」荒っぽい性格の「ミサキ」男の子みたいな「透」

最初は感情ごとに名前を付けていただけなのに、だんだんとおかしくなりました。昨日の出来事が上手く思い出せない。思い出そうとすると頭の中で再生を始めた映像がザーッと乱れていくんです。「「私の」昨日なんてなかった」と言わんばかり。
昨日「私」は生きてた。でもなんで記憶がおかしいの?なんで何をしたのかしっかり全部思い出せないの!?
思い出せないだけでなく、時間の進み方が早い。「私」でいる時間が減っていったかのようでした。その時にもしかして感情たちが好き勝手に心から出て体を操っているんじゃ…。これもだいぶおかしな発想ですが、それしか考えられない状態だったんです。

頭じゃ管理できない。心はもっと混乱している。「私」はどうしちゃったの。なにがあって記憶が抜けているの?

このことを解決してくれたのはカウンセラーのF先生でした。私の中にエレベーターがあって各階に琴音さん、るりちゃん、ミサキ、透、が住んでいる。「私」を守りたいとき、弱っているときにエレベーターを動かしてその時に助けてくれる子の階に停まる。そして「私」は少しお休みをする。
こうして感情エレベーターとして解離症状を受け入れるという解決方法になりました。エレベーターが動く前は説明しにくいけど「あ。私じゃなくなるかも」と感覚で分かるんです。なんで、と言われても「そんな感覚だから私じゃなくなるの」としか言えないのですが…。

心に住んでいたあの4人、今はどこでなにをしているのかな。それぞれの方法で私の心を守ってくれたと思うとありがとうと伝えたくなります。

*愛音*

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