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あの頃、すべてに必死だったね・・・7

こんにちは。精神障害ピアサポート専門員愛音です。

週末更新の自伝的エッセイ「あの頃すべてに必死だったね・・・」多くの方に読んでいただけとても嬉しく、その反面決して明るい話ではないのに興味を持ってくださることに驚いています。
不登校、精神障害、それは人の数だけ辛さもあれば、回復法も人の数だけあります。その中の1人である私のパターンをこれからも伝えられますように。
それでは今回もよろしくお願いします。

・高校デビュー


15歳、高校受験生です。当然のように家族から受験の話は出ません。生きているだけで精一杯な私へ進学しろなど言えません。でも私は「高校生になる」と強く思っていました。みんなが進学するのに落ちこぼれなんて嫌だったからです。言ってしまえば自分より成績の低い人も高校生になるのに、なぜ負け組に回らないといけないのか?

だけど家族も主治医も「今は勉強や受験を出来る状態じゃないよ」と毎日伝えます。頑固者の私は「やってみないと分からない、可能性はゼロじゃないよ、それに高校になれば環境も変わるじゃない」親を説得というか、色々な言葉を使ってなんとか首を縦に動かすことに成功しました。

志望校は定時制の単位制高校。当時としは珍しく、不登校や引きこもりの子たちが多く集まり、スクールカウンセラーが数名いる心のケアが充実している高校でした。
受験内容は作文と面接のみ。学力試験はなし。そのおかげで(?)合格しました。

高校デビューをしたくて髪を薄い茶色に染めて、ピアスも左右1つずつあけました。もちろん制服スカート丈も中学の時はしっかり膝が隠れる長さだったのを膝上にしました。

絶対に変われる、変わるために高校を選んだんだから!

・短い高校生活

高校の入学式キラキラした気持ちでした。目に映る景色も、ピンクの桜も輝いていたくらい。
環境が変われば変われる、中学は最低の環境だったから心が死んだけど、高校は違う。見た目も明るい高校生になっているし!

しかしそれは勘違い、自分自身を知らなさすぎでした。
今までにないようなワクワク、目の前がキラキラ、無敵の自分、これは立派な躁状態だったんです。
入学して一週間しないうち躁の反動が来て布団から起き上がれない、体が重たい、気づくと泣いている、自傷も我慢が出来ない。

親は呆れていました。「だから言ったじゃない。愛音は今病気なの。頑張りたい気持ちがあってもそれがうまく出来ない。病院に行ってるのも、カウンセリング受けているのも、お薬もいっぱい必要なのだって本当はちゃんと理由知ってるよね?」

結局1年は一週間ほどで不登校になり、2年は1ヶ月頑張りましたが、やっぱり不登校。6年在籍可能な高校でしたが5年生の時に自主退学をしました。

・やっぱり仲間になりきれない

高1の夏かな、中3のクラスメイトと制服を見せ合おうという話が持ち上がりました。すでに高校も不登校でしたが3年のクラスメイトは親友のYちゃんだけでなくみな優しく明るく、正直学校に行けばよかったと後悔するくらいいい人たちでした。
だから制服を見せ合う企画にも飛びつきました。

薄い茶色の髪やピアスをしていることに「愛音さん可愛い!」「えー!ピアスあけてる!」「スカートの長さ中学と違う!」そう言われ嬉しい気持ちでいっぱいで、卒業はしたけど仲間になれた気分でした。

でもそれは初めだけで、徐々に自分たちの高校の話を始めます。もちろん、その話には入れません。だって高校も不登校ですから。一気に側にいたクラスメイトが離れていく感覚を感じます。
Yちゃんもどんどん高校の話をしていきます。側にいてくれると言ったけれどやっぱり私の面倒なんてもう見たくないよね…だってみんなはキラキラした高校生だけど、私は毎日腕を切らないと呼吸が出来ないおかしな奴だもん。精神科にも通ってるし、薬飲まないと生きてられないし。

みんなに近づこうと高校受験をして、髪を染めて、ピアスを開けて、スカートを短くした。
だけどいくら外見を変えてもダメなんです。どんな髪色にしても、ピアスでオシャレをしても、心まで回復させられる力は当時にはなかった。今はオシャレをすれば心に元気なパワーを与えられます。ちょっと元気のないときに好きな服を着るとか、ピアスをつけるとかすると心も表情も前を向くんです。でも15歳の時は効果なし。それだけ病気が深刻だったんでしょう。

*愛音*

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