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クリスチャン・ボルタンスキー展

生きるということは、死に向かって歩むこと。

そんな当たり前の事実を、再び突きつけられたのは、現在国立新美術館で開催中の、クリスチャン・ボルタンスキー展だ。

ボルタンスキーとは、フランス出身、気鋭の現代アーティスト。瀬戸内国際芸術祭(以下瀬戸芸)では、自身の心臓の音を収録した「心臓音のアーカイブ」や、400個の風鈴が涼やかな音を奏でる「ささやきの森」という、独創的なアート作品を発表している。2016年に実際に現地を訪れ、彼のアートを目にした私は、彼に対して比較的ポジティブな印象を抱いていた。

色で例えると、真っ白だ。
淡いグレーも混じっているかもしれない。
いずれにせよ、ある意味で ”無” を表す、純粋な色を想定していた。

それが、どうだ。
真っ黒ではないか。

瀬戸芸の明るいイメージとは一転、今回のテーマは、紛れもなく”死”。

“Departure”という蛍光アートから始まる”人生”という展示は、”来世”を通過し、ついに”Arrival”を迎える。

道中は、死を連想させる様々なモニュメントで溢れていた。

冒頭の「血を吐く男」や「女の人形を舐める男」の狂気もさるや、
ボルタンスキーが今まで生きてきた秒数を刻むカウンター(ボルタンスキーの死と共にカウントは止まる)、
十字架の磔を連想させる黒いコート、
亡くなった270人あまりのスイス人の祭壇、
悲劇に巻き込まれたスイス人の写真、
黒服で埋め尽くされた山、
冥界の案内人、
会期の進行に合わせ1日3個ずつ明かりが消される電球など。

(ちなみに、この電球について説明を添えると、
最初は用意された電球全てに明かりが灯り、まばゆいばかりの光を放つのだが、会期が進んでゆくと共に、毎日点灯される数が少なくなり、終いには点灯される電球は0になるというアート。私たちが行った31日は、会期終了までわずか2日であったため、灯りはたった9つだけ灯っていた。)

途中には、髑髏の影絵さえもあった。
まったく、ボルタンスキーは何を企んだのか。
想像を絶している。

“Lifetime”などと気取った名前をつけるのではなく、むしろいっそのこと”故人へのオマージュ” と称した方が、正しかったのではないだろうか。

それぐらい、会場は”死”で溢れていた。
作品に使われた故人の写真は、軽く1000枚を超えているのではないだろうか。

本物の写真、それも新聞に掲載されていた、確かに実在していた人物の写真をわざわざ採集し、アートにするというのがクレイジーすぎる。

これだけのおびただしい数の故人の写真を目にする日は、今までも、そしてきっとこれからもないだろう。

それにしても、彼が故人の国としてスイスを選んだ背景に、「スイスには死ぬべき理由がなかった」としているのも実に興味深い。

確かにスイスは、ずっと永世中立国を守っている。現在も、それを維持するために、信じられないほど屈強な軍隊を保持しているのも事実だ。だがしかし、本当に戦争には一切関与していなかったのだろうか?

何百ものスイスの子供が、笑顔で笑いかける白黒写真を眺めていると、なぜだか胸が苦しくなってくる。

感慨深かったのは、会場には私と同世代くらいの20-30代の若者が多かったという事実だ。

政治離れやゆとり教育など、何かと非難の対象になりがちな私たちの世代だが、これだけの人数の若者が、このような解釈の難しい、難解な現代アートに心惹かれているという事実が、とても嬉しかった。

ボルタンスキーは、この展示を通じ、何を伝えたかったのだろうか。
また、彼のアート作品の根底には、何があるのだろうか。

きっと彼も、その答えをまだ見つけられていないのかもしれない。

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