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全に染まらず個であり続けるには

 教育系YouTuber、資格試験対策サブスク教材、語学学習アプリなど、授業のマルチメディア化が広がり、どこでもいつでも誰でも何でも学ぶことができる昨今、学校教育の存在意義が問われる。


・教育系コンテンツの強みと弱み
学習者は、誰でも、いつでも、どこでも、どんな授業でも受講することができる。
そして授業者は授業内容、時間やスタイルなどを自由に、自分流に調節できる。しかしその反面、利用者数変動そのものがコンテンツ存続の全てである。つまり授業者の都合により突如終了し得る。


・学校教育の強みと弱み
指定単位取得が卒業条件の一つであるため、授業を受ける生徒は必ずいる。しかし受験前の学校選びや科目選択程度の選択幅はあるものの、半強制受講であるため、受講自体に主体性が伴っていない。また、学校でしか受講できないという場所限定性、さらに繰り返し受講することができない回数限定性もある。






学校の授業はつまらない?


 なぜか「学校の授業はつまらない」という根も葉もない意識が共通して我々の中にぼんやり存在する。
日本で実施される授業、担当教員、生徒、教科書作成者、選定者そして教員指導者すべてが基本的に日本人であることから、日本独特の良くも悪くも「波風が立たない授業」になるのは当然のことである。


なぜ、今、個であり続けなければならないのか?


 教育系コンテンツ市場拡大化の中、日本独特の"つまらない"学校教育、全体に染まりきらず、その教員の個を発揮し続けることは簡単なことではない。個の濃度を間違えるとノイズにすらなり得る。つまり、らしさ(キャラ)の強みは時として、授業内容理解の妨げになり得るのだ。

(予備校講師のような、俗に言う「有名教師」のように強すぎる個を持つ教員はここでは一旦無視する。)


 では、なぜ全の中、個であり続けなければならないのか?
個の探求、発揮、維持、そして進化。これらは全て自分自身の中でのみ行う。
自分の強みとは?自分の弱みとは?自分にあって他人にはないものとは?その逆は?
自分という人間の深淵を覗くことで、自己発見、発揮することにつながり、存在証明へとつながるからである。

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