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文化的生活と音楽の記憶

最近、音楽とか芸術とかってやっぱりありがてぇ〜〜〜と思ったことがあったのでメモ。



わたしは別に、辛い時好きな音楽を聴いて励まされるとか、泣くとか、勇気づけられる曲がある、みたいなタイプじゃない。
会いたくて会いたくて震えながら(西野)、聴くなどすることはない。
でも、少なくとも後から、音楽の余韻が来ることはあるなと、最近ひしひしと感じる。


その時は気づけなかったけど、あとから、
この曲ってあの辛い時期に沢山聴いてたやつだ....ってなって、その時を思い出して、頑張ったねって自分を褒めてあげることはできるよ。


あんまり、リアルタイムな出来事と曲の歌詞をリンクできないタチだけど、いずれこの曲も時が経った時に、そういえばこうだったな...って感じるんだろうな、とかおもう。


わたしは記憶とセットで曲を聴く時、初めて、泣いたり励まされたりするんだなって思った。




ってのを、aikoのアリーナツアーライブ(名古屋)に行って、ひしひしと感じた....


aikoは曲もいいけど、とにかくライブがはちゃめちゃに楽しくてパワー!って感じだから、行ってください。一気に虜になる。


aikoのライブ中に何度も、
あぁ〜〜〜〜これあの時聴いてた〜〜〜とか、好きだって言ってたよな〜〜とか、色んなことを思い出して、うるうるした。


あの時はもう前を向いて
一生歩けないって思ってたけど

思い出の中 くっついてた
シールが剥がれたよ
最後まで繋いでいたのよ

離れるなんて 知らなくて

宇宙で息をして



これを歌ってくれて、
あぁ〜〜〜あの時のわたし聴いてるか??
今もう立ち直って、元気に生きてるぞ!!!
離れてからも、その思い出と別れるなんて考えられなかったよな?!あの頃!!ってなった。


曲名の意味はあくまで推測だけど、
何かを失った時って、このまま生きていける?不可能じゃない?息もできない!ってなるけど、
しばらく経っていつのまにか、あれ?息できるぞってなるじゃないですか。
宇宙で息してって、空気が薄いところで頑張って息して生きるって意味なのかな?みたいな。

「今夜宇宙で息をして」、ってaikoが歌ってる声に、明日にはもう大丈夫になってるよって言われてるような気がして、泣きそうになった。



そういう記憶が、
曲に乗ってたくさん湧き出てきて、人生の側にいたアーティストの曲っていうのは、時が経ってこういう風な作用の仕方をするんだなーって、ありがたく思った。





なんでもいいと思うけど、文化的な生活(?)をできてない人、もしくは興味ない人って、どうやってその時の“生の記憶”を保ってるの?って不思議。


その時の気持ちとか感覚的なものって、時が経つと確実に薄れて忘れていく。
それを思い起こすってかなり難しくて、あの時の気持ちを味わいたい時、カルチャー的なものが側にないと、扉を開けるための鍵がないような気がする。



それが、映画でも本でも、その時流行っていた音楽やテレビでも、そういう同時進行で嗜んでいたものがあってこそ、生の記憶が蘇ってくるんだよなあ。


そう言う意味で、文化的なものって、その時も、その後も、ずっとじわじわ効いてきてありがたい。


わたしは、劇薬じゃないそういうものたちに、ゆっくり慰められて、しぶとく生かされている。




アンコールに行く前の最後の曲が「ストロー」だった。


君にいいことがあるように
今日は赤いストローさしてあげる


これを彼に教えてから、聴きまくった時期があったらしく、「これ聴くといつも〇〇を思い出す」と言ってくれるのが嬉しかった。
これは、愛するひとへの祈りの歌だから。

結婚式の披露宴の入場曲、ストローがいいかもねと言う話になっている。
(aikoを聴いて、唯一幸せな思い出がついてくる曲かもしれない。嬉しい)





生きてて色んなことが起こるけど
記憶は曖昧だから、常に何かを観たり聴いたり
読んだりしながら、忘れないでいたい。
別に無理に覚えていなくても、必要な時にまた思い出せるようにしておきたいな。



文化的な最低限度の生活!だいじ!


最近自分で焼けるお団子食べた。網にひっついてぼろぼろだがおいしい。
aikoガチャがあった!カラフルリングがふたつでた!

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