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ラブレター


愛情は、なにかを愛おしいと思う気持ちと、かなり似ている。

深くて底がないのが厄介だけれど、
だからこそ与えられると、自分でも驚くほど、何もかも許されているような安心感を享受することができる。私の場合。


最近、考えていたことがあった。


付き合ってから相手に、「好き」「かわいい・かっこいい」だけじゃなく、「愛情」を注げるようになるのって、いつ頃からだっけ?

「好かれてる」じゃなく「愛されてる」って感じられるようになるのは、いつ頃からだっただろう?



恋人になるまでのその人との関係値によって、遅い早いはあるし、一緒に体験してきた事柄によっても変わる。


けれど、考えている中で、なんとなくこれが自分なりの答えかな、と思ったことがあった。


それは、愛情と生活はいつも隣り合わせ
だということ。

ここで言う「生活」とは、
「暮らし」とか「自分の日常」とか、もっと大きく言うと「人生」とかそういうことで


その「生活」に、好きな人が段々関わってきて、“いつものわたし” とか、
“いつもの暮らし” 
をする中で、
その人から感じる気持ちとか
関わり方、気遣い、言葉とか、
そういうもので、わたしは愛情を測っているのかもしれない。


なんとなくだけれど、愛情だけが先行することは稀な気がする。


つまり逆に言うと、
好きな人と毎回非日常なことをしていたら、
楽しいけれど、愛情は湧いてこないのではないか。

例えば、会うたび旅行に出掛けていたり、
良いレストランでばかり食事をしていたり
家に上げず外でのデートばかりだったり。

そういう「体験」はとても楽しいけれど、
それは愛情が生まれるにはあまりに遠回りで、繋がらない気がしている。

やっぱり、愛情は生活と手を繋いでいるのだ。






そう考えると、生活の中で気づいたことが沢山あった。


毎回、作ったご飯を必ず美味しいと言ってくれること。

寝顔をひっそり撮り合うこと。

テレビを見ながら彼の太ももに突っ込んだわたしの冷たい足を温めてくれること。

さらっと洗い物をしてくれていること。

眠いと言い合いながらベットに入っても、必ず寝るのは君が先で、眠ったのを確認してから安心した気持ちで眠りに落ちること。

私の気にしすぎな性質故の“ごめんね”の謝罪には全然気にしてないような優しい返事をくれること。

クーラーの温度が暑いとか寒いとか言い合いながら丁度を探すこと。

疲れたことが顔ですぐにバレて、そろそろ休もうかと声をかけてくれること。

料理をしていても、美味しそうな成功した方を相手に盛りつけてしまうこと。

安心して自然に甘えられること。

その日のわたしを写真に収めてくれること。

すぐお腹いっぱいになる私の、残りのご飯を食べてくれること。

手に触れるとそっと包んでくれること。



そういう「生活」の中にこそ、
小さな愛情は沢山散りばめられていて、


好きって、いつから愛情に変わるんだっけ?と思っていたけれど、もうすでに愛になっていた。

自分の生活の中に相手が入ってきて、
生活の一部を一緒にする事でいつのまにか、
自然に、じんわりゆっくり変わっていくのだ。




私は生活をしている中で、
他人よりも、人の感情に過剰に反応してしまうことだったり、落ち込むことが多いけれど、そういう性質のわたしにとっても、
恋人の関わり方はとてもありがたい。



以前の記事にも書いたことがあるけれど
私にはHSPの気質が結構あって、
だからこそ、
一緒にいる人の性質とか性格によって、
とても自分の心身が参ってしまうことがあるのだけれど、そんな私にとっても、彼と一緒の時間は居心地がいいのだ。


▼参考 : 以前の記事▼


相手が、機嫌が悪かったり、言葉に棘があったり、感情の振れ幅が大きかったり、すぐ態度に出る人だと、自分とは関係ないのに、
どうしても、そういう感情を全部自分のものとして吸収してしまうのだ。

人が何かに怒ったり、逆に怒られているのも苦手だし、自分に向けられていない感情まで引き取ってしまうので、
落ち込みすぎたり、怖くなったり、ヘトヘトになるのだけれど、彼といても、そういう心配はあまりない。


相手の表情の変化や言葉の裏を読み取って、
気を使いすぎたり、自分のせいかもと気にしすぎてしまう私だけれど、

彼となら、「何か怒ってる?」とか、「いま疲れてる?」とかを、多分直接聞くことができると思う。

私には、それが出来る人と出来ない人がいて、出来る人に出会うのはかなりレアなので、彼にはもっと自信を持ってほしい。(上からスタイル)


たぶん、わたしがそういう事を聞いても、
嫌な顔をしたり、不機嫌になったりしない、と安心出来ているからだと思う。


もしかしたら彼は、「ごめんね」と急に謝る私を、不思議な目で見るかもしれない。

今日こういう態度取っちゃったな...とか
あの言葉もしかしたら嫌に感じたかも...とか、ほんとうに、そういう小さなことを気にしてしまう私なので、人より生きてるだけで疲れることが多いけれど、

「ごめんね」と言ったわたしを見て、
「ぜんぜん気にしてないよ」と
“本当になんてことない小さな事だよ” と言うような顔をして答える君がいるから、私はのびのびしていられる。

思い当たる事がないと言うような、とぼけた顔でわたしを見るかもしれないけれど、決してわたしの「ごめんね」をバカにはしてこない、と安心できる。






たぶんこれからも、生活と愛情はいつもセットで、続いてゆく。

でも一旦セットで考えるようになってしまうと、中々引き剥がせない。こうなってしまうから、恋愛って最後おわる時、身体から大切な何かが欠けたみたいに、辛いのだと思う。


でももし、私が真実だと思っていた大切な人に、裏切られていたと気づいた時には、
すぐ切り離すと決めている。
しがみ付かずに、すぐさま遠ざける。

その強さは、
今までの経験で学んだ私の弱さが、教えてくれた。





生活を丁寧に、楽しく、穏やかに一緒に過ごすことができれば、その中に答えはあって、


100本のバラとか、ダイアの指輪とか、
高層階からの夜景とか、そう言ったものではなく、(もちろんそう言ったものも愛)
生活と愛情はいつでも手を繋いで、そばにいる。




横に並んでテレビをみる日曜の夜からも、

朝に鏡の前で並んで歯を磨く2人の姿からも、

いってきます、いってらっしゃい、

ただいま、おかえり、お疲れ様、からも。



生活の中で感じる愛は沢山あって、
ずっとそばにあるそれを、見失わないように、取りこぼさないように、これからも生きてゆく。





これは、2800字のラブレターなのかもしれません。




彼に読んでほしいような、恥ずかしいから見つかってほしくないような、わたしの心です。

でも見せたら、バカにはせずに、照れながら読んでくれると思います。



初めて書くラブレターにしては長すぎるけど、「長いな」と笑いながら読んでくれると思える。



そう、わたしは、彼を信頼し、
彼に安心しきっているのだから。




生活と愛情

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