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多言語学習のすすめ

note初投稿。多言語学習を必ずしも目指していたわけではないけど結果的に多言語学習者になっている私の、多言語学習の魅力に関する雑感と多言語学習のすすめについて。

勉強している/勉強したことのある言語

現在私は、複数の言語を勉強している(または、長期中断中だが心の中では勉強中のつもりでいる)。

多言語学習に手を出したきっかけは、中学生か高校生の頃に英語以外の世界に触れてみたいと思ってラテン語の教科書を親に買ってもらったことである。その後も何だかんだでいろいろな言語に手を出し、現在に至っている。

私が現在勉強している、または過去に勉強したことのある、あるいはまだ勉強してないけど勉強したいと思っている言語は以下のとおり。

読み書き会話が多少なりともできる(勉強中)

英語、ペルシア語(ダリー語、タジク語を含む)

読み書き会話が少しできる(最近サボってるけど再開したい)

ロシア語、韓国語

ある程度以上の時間勉強した(最近サボってるけど再開したい)

ウクライナ語、サハ語(ヤクート語)、フランス語、ラテン語

少しだけ勉強した(いつか勉強を再開したい)

インドネシア語、アイヌ語、エスペラント、アラビア語(フスハー)、聖書ヘブライ語、ウルドゥー語/ヒンディー語、台湾語

ほんの少しだけ勉強した(教科書も持って無いけどいつか勉強を再開したい)

中国語、ドイツ語

最近勉強を始めた(継続したい)

シュグニー語

教科書だけ持ってる(いつか勉強したい)

チェコ語、スウェーデン語

勉強したこと無いけど歌える歌がある(いつか勉強したい)

ポーランド語(Szła dzieweczka)

多言語のうちに含めるべきか微妙だが、学校で勉強した(もっと知識を身につけたい)

漢文(古典中国語)、古文(中古日本語)

その他、興味のある言語

たくさんあるので省略(何かの機会があれば触れたい。。。)

なお、あらゆる言語はそれぞれの魅力を持っていると思っているが、個人的に「特に好きな言語」ということにしているのはペルシア語とウクライナ語である。

少しでも勉強していれば世界は広がる

上記ではいろいろな言語を挙げたが、これらのうち、私が継続的に勉強していると言えるのは英語とペルシア語だけである(最近始めたシュグニー語も継続したいが、本当に継続できるかどうかは実際に継続した後でないとわからない)。この他に片言でも話せる言語としてロシア語と韓国語があるが、これら以外の実用レベルに全く達していない言語についても、多少なりとも勉強したことで世界が大きく広がったと思っている。

ある言語をたとえ少しでも勉強していれば、その言語は、例え全く理解できるレベルに達していなかったとしても、未知の言語ではなくなる。前置詞/後置詞や人称代名詞/指示代名詞くらいなら部分的には拾えるかもしれない。あるいは意味も正確な発音もわからなくても、綴りには何となく親しみを感じるかもしれない。ほんの少しでもその言語を勉強することで、全くの未知の世界が全くの未知ではなくなる。

文字を覚えることのすすめ

言語学習を行う上で、個人的に特に魅力的だと思うのが文字を覚えることである。文字というものは、すらすら読めるようになるまでにはかなりの時間がかかるが、文字を覚えるということ自体は案外難しくないものである(例外は中国語や日本語の漢字だが、この文章の読者に関して言えば漢字は既に親しみのある文字であろう。日本語圏に生まれて良かったと思うことのひとつである)。

文字を(読めるというレベルに達していなくても)覚えていると、知っている単語があった際にそれを解読することが可能になる。その言語固有の単語でなくても、例えば英語等のヨーロッパ語由来の単語が書かれていると、それが読めたりする。私はヒンディー語の文字であるデーヴァナーガリーを(通常はアラビア文字表記のウルドゥー語詩の発音をデーヴァナーガリー表記との組み合わせで推測したいという理由で)少しだけ勉強したが、あるインド料理店に行った時に、店に貼ってあったビール(麦酒)のポスターに書かれているデーヴァナーガリーの中に「ビール」という単語を読み取ることができ、そのインド料理店、さらにはインドの文化と料理(ビールはインド料理でもインド文化でもないかもしれないが)により大きな親しみを感じたりもした。

後から魅力がわかることも

言語の学習においては、自分が深い関心を持っている国や文化の言語であればモチベーションも維持しやすくて良いだろう。しかし、学習を始めた当初は必ずしもその言語の文化的背景等に詳しくなくても、言語のほうが地域や文化に関する魅力的な世界をもたらしてくれることもある。

現在、私が特に気に入っている言語のひとつがペルシア語であり、とりわけペルシア語の神秘主義詩(スーフィズム詩)との出会いは、私の人生の中で最も貴重なもののひとつだと思っている。しかし、私がペルシア語の勉強をすることになったきっかけは、詩ともスーフィズムとも関係の無いところからであり(詳細は後日どこかに書くかも)、その後しばらくペルシア語から離れていた時にペルシア詩(オマル・ハイヤームのルバイヤートの日本語訳)に魅了され、さらに何年も経ってから神秘主義詩(まずはハーフェズ、最近はルーミーも)の魅力に気付いた。今では、ペルシア語無しには私の人生はあり得ないとまで思っている。未知の言語への一般的な関心が、私の人生における貴重な部分を提供してくれたわけであり、その意味で私は、自分が言語好きな人間(たとえ下手の横好きであっても)として生まれるか育つかしたことに感謝したいと思っている。

結論

多言語学習は世界を広げる。思いがけない出会いもある。

実用レベルに達したら素晴らしいが、必ずしも実用レベルに達しなくても良い。時間が無いなら短時間でも良い。いろいろ目移りするなら目移りしても良い。中途半端になったら中途半端なままでも良い。純粋に自分の興味でも、偶々知り合った人とのつながりでも、未知の言語を学習するきっかけがあれば、ぜひ手を出してみるのが良いと思う。

多言語学習の悩みと言えば、私のような語学の凡才の場合、生涯のうちに実用レベルを目指して本腰を入れて勉強できる言語の数がどうしても限られてしまうということである。親しみのある魅力的な言語の数々の中から具体的にどれを選ぶか、悩ましい限りである。しかし、そのような選択肢を持った上での悩みというものは、甘美な悩みであろう。


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