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「延命治療を希望されますか?」を「残りの人生をどうやって過ごしますか?」に置き換えてみた。

「延命治療を希望されますか?」
私は老人保健施設の管理医師をしています。しばらく前までは、私が勤める老人保健施設に新規の利用者が来ると、本人あるいは家族にこの質問をしていました。

この場合の延命治療は、ほぼ老衰で自分で食事がとれず余命がそれほどない時に、例えば胃瘻やその他のカテーテルによって外からの栄養をとるかどうか、ということです。

でも、施設に入って、これからリハビリをしようという人に対して、この言い方はなんだか腑に落ちませんでした。
だって、これからどう生きるか、を利用者の方と一緒にやっていくのが私達の仕事なのに、それとは逆の看取りの時期の話をいきなりするんですよ。別の方向に綱を引いているような気がしてしまいます。
 
皆様、つまり利用者ご本人、あるいはご家族の答えは様々です。
「そういうことは一切希望しません」というのが約半分。本人がしっかりしている場合は「もう十分生きたから早く夫のところに行きたいのでいりません」

こういうお返事をいただけるとほっとします。なぜなら、管や点滴に繋がれて、老衰を向けるのは、心臓にも負担がかかるし、苦しそうに見えるから私だったら希望しません。

他には、例えば
「そんなこと聞かれたのが初めてで、今すぐ答えなければなりませんか」とか「一番楽なのはどれですか、先生にお任せします」、「そんな話は本人の前でしないでください」
等々です。

厚生労働書の説明によれば、人生の最終段階で受ける医療やケアなどについて、患者本人と家族などの身近な人、医療従事者などが事前に繰り返し話し合う取り組みのことをアドバンス・ケア・プランニング(ACP)といいます。実際には終末期にどのような対応をするか、についての本人確認と、その後のケアの確認のプロセスのことです。
ACPは横文字でなんだか分からないという理由でACPに「人生会議」という愛称を厚生労働省がつけてすでに5年になります。少しはわかりやすい名称になった気もするのでいいことだと考えています。

高齢者施設というと、利用者の方がずーっとそこに入って、そこで亡くなっていく、あるいは最後は病院に運ばれて亡くなるというイメージをもつ人もいるかもしれません。他の老人ホーム、例えば特別養護老人ホームは、そこに住所を移して、生涯そこで生活をするところです。しかし私が働いている老人保健施設は老人ホームではありません。

なぜならば老人保健施設は「在宅支援を必要としている人たちにサービスを提供する施設」と定められているからです。つまりここに来る人は病気になった後など、一定期間そこで生活して、リハビリや治療を受けながら、ご自身の自宅や、あるいは他の有料老人ホーム、あるいは特別養護老人ホームなどに移っていきます。どちらかというと医療とリハビリの施設ですね。

だから利用される方が一時的に次の生活の場所について何が一番必要か、どこが一番いいか、を整理するところです。だからこれからの生き方を考える施設です。
だから「延命治療云々」という質問が、施設になじみにくいのです。
 
そこである時から、「これからどこでどうやって生きますか」、という風に変えてみました。そうすると、なぜ老人保健施設に来たのか、その目的がはっきりとしてきて、その延長として最後はどこで、どういう風に、という話し合いが少しだけ容易になりました。もちろん認知症などで本人が理解できない場合は家族とします。
 

この話は週に何回もしています。すると「自分(あるいは家族)はあとどれぐらい生きるのでしょうか」と率直に聞かれることがあります。最初は「人それぞれですから」と誤魔化していたのです。ある時、平均寿命の話をするとわかりやすいかな、と考えて、
「今、日本人の平均寿命がどれぐらいかご存じですか?男性は81歳ぐらい、女性は87歳ぐらいです」
と話すことにしました。
もしお相手がそれよりも若ければ、例えば80歳の男性であれば「ああ、平均で81マイナス80であと1歳か」と考えるでしょう。
少しは理解しやすくなったのかなと考えました。
でも、やってみるとすぐに問題が明らかになりました。
平均余命を超えている人には平均寿命を超えていると「もう死んでもいいよ」というメッセージになりかねない危険があったのです。

そこで思い出したのが学生のころに学んだ生命表です。これは男性あるいは女性の年齢あたりの平均余命が書かれています。よく言われる平均寿命は0歳児の平均余命のことです。
そして生命表がすごいのは、それぞれの年齢での平均年齢を示しているところです。80歳の場合、男9年で女12年。85歳の場合、男6年女8年、90歳の場合、男4年女6年。つまり0歳の平均余命を超えてしまった場合でもそれぞれの年齢の平均余命を示すことができて、しかもさらにおまけがついてくるのです。
 
これを使うと、例えば、80歳の女性では残り平均12年ぐらいですよ、どこで、どうすごしたいですか?と具体的な話が出来るようになりました。こう会話を始めると、その続き、たとえば「認知症が進行するとご飯が自分で食べられなくなります。その時の延命の方法として胃瘻とかは考えますか」と話がスムーズにつながっていきます。やはり出だしが「どこでどう死ぬか」ではなく「どこでどう生きるか」とするだけで、聞く側だけでなく、説明をする私たちもすっきりと話ができます。もちろん病気や障害が重度だとそれよりも短い場合があることも伝えています。

こちらが話を切り出しやすいと、相手も理解しやすいのでは、と考えて今のところはこうやっています。
もっといいお話の仕方はないかなあ、こうした方が理解しやすいとかあったら教えてください。

私の場合生命表によると残り26年。まだやり残したことが沢山あるような。さてどこでどう生きましょう?

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