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物書きの宿命

童話を書き始めてかなり経つが、
賞をいただいた時に
冊子に載せていただいたことがあり、
それを友人たちに配ったことがあった。
読んでくれた大体の友達の第一声は、
「これ、実話に基づいてるの?」
だった。

確かに物語の設定が私生活に似ていたから、
仕方ないかなとは思ったが、その度に
「設定が似ていることがあっても、
 これは私の想像からつくられた物語なんだよ」
という説明をしなければならなかった。

現在はnoteでショートストーリーや
詩などの作品も投稿しているが、
創作だとわかってもらえなくて、
内容についての私個人への慰めや
アドバイスのコメントをもらうことがある。

私小説的な書法の作品もあるから、
誤解されるのかもしれない。
創作作品のタイトルには【詩】
【ショートストーリー】などと
作品である旨を明記しているのだが、
エッセイか日記だと思われてしまうのか、
温かい励ましのコメントをいただくことが
何度もあり、ありがたいながらも戸惑っていた。

そんなつもりはないのに
結果的に騙したような気分になるので
どうにかしたいが、毎回
「これは創作作品のため、フィクションです。
 事実ではありません」
などと書くと野暮ったくて台無しになるため、
できればやりたくない。
…と一時期、悩んでいた。

なかば諦めており、
毎回コメントのお返事で説明していたが、
昨日、だいぶ前に自分が書いたエッセイを
読み返していてハッとした。
コピーライターになるための
養成所に通っていた頃、
「モノを書くようになったら、
    読者や友人・知人に、
 書いたものと私生活を
    混同される可能性があることも
 覚悟しないといけない」
と、プロのコピーライターである講師が
おっしゃっていた。
その時「確かにそれはそうかも」
と覚悟したつもりではいた。
…が、身を持って体験するまでは、
あまり実感がなかった。

もしかして私のnoteの創作作品を読まれて、
コメントは書かれなかったが、
事実だと思い込んでいかれた方が
他にもいらしたかもしれない。
でもそれは仕方のないことなのだ。
広告のコピーでさえ誤解を生むものだと
プロの方がおっしゃっているのだから、
詩やショートストーリーで誤解を生むのは、
避けられないことだと腹をくくった。

同情のコメントをいただいても、
もう動揺しないようにしよう。
作品とはそういうものなのだ。
物書きを目指すなら
避けては通れないものなのだ、と思えばいい。
いい意味で開き直ることができた。

そして今まで同情のコメントをお寄せくださった方々、
動揺はしたけれど、お気持ちは嬉しかったです。
ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。

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