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「全集中」で自分を殺せ

自分を苦しめるのは自分だ
つくづくそう思う。

もっと上を
もっと上手く
もっと速く
もっと快適に
もっと見てもらいたい
もっと幸せを

ここ最近感じた『もっと』が私自身を追い詰めていた。

「一切唯心造」とは全ては自分の心が作るという禅語だ。
苦しみも自分で作っているということになる。
我々はある事象をきっかけに認知を作る。心理学的にも理にかなっている。

『もっと』という心が苦しみを生んでいることは明白だ。
ならばそれを捨てれば楽になる。
言うのは簡単なのだが、それはとても難しい。
生きている限り欲求、煩悩は渦巻いている。
人間はどうしても成長を求めてしまう生き物である。
「知足」とよく言われるが、足るを知るということはそう簡単にできることではない。
だからこそ、「欲望には際限がない。だから無名でいい」。
そう言えた吾輩の強さは美しい。


「自分を殺せ」と岡本太郎は言った。
自分を殺した先には忘我の境地。
私心をなくし、今ここに全てを捧げて生きる。
それこそが「本当に生きる」ということである。
時として「自分」は最大の敵になる。
それを岡本太郎は知っていた。
だから「自分を殺せ」なのだ。

有名なフロー状態も忘我の境地をよく表している。
いわゆる「ゾーンに入った」状態というものだ。
フロー状態の時間が多いと幸福度も高いと言われているが、フローにある時、人間は自分を意識することはない。意識することができないという方が適切だろうか。
学術的にはフローに至るには機会とスキルがハイレベルで必要になるという条件があるのだが、そんなに難しく考える必要なない。

「全集中」
それがフローに至る道。忘我の道。
忘我の境地にいると時間はあっという間だ。
今に集中しているときに自分は意識されない。
『もっと』という煩悩にも悩まされない。
誰かと比較することもない。
何かを求めることもないので自然と「知足」になる。
マインドフルネスやフローの幸福というのは、忘我の境地にある。
幸せを意識しなかったときに。幸せが見える。
結果として執着を手放せるので楽になる。
それは逃げでも負けでもない
先人たちが尊い教えの中で受け継いできてくれた処世術なのだ。

私も仕事に打ち込んでいるときなどに、あっという間に一日が終わってしまうことがよくある。
そんな日々が続くと、このまま人生もあっという間に終わってしまうのではないか。そんな恐怖も出てくる。
これも私が作り出した一つの苦しみだ。
そんな時にふと、今までの人生を振り返ったりする。そうすると、大変なこともあったけど色々な経験をしてきて、たくさんの人の支えられてきたのだなと思える。良い人生を生きてきたんだなという実感が生まれる。

そんな風に思えるなら、あっという間の人生も悪くないのかもしれない。
自分を苦しめている煩悩と向き合いながら、そんなことを考えた。

今回はこのへんで。
また会いましょう。

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