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アメリカの大学で教えてみないか(3):競争について

アメリカの教授職ってそんなにラクなの?って改めて聞かれると、まあ、競争もしっかりあります。大学院入学、博士号やらテニュア(終身雇用)やら、今回はそういった「関門」について書いてみます。

大学を卒業して最初から辞めるつもりの「確信犯」で総合商社に入って(当時は就職、簡単でした)、13ヶ月でやめてワシントン大学の社会学大学院に入学しました。

9月前後に新学期が始まる大学院に留学するには約1年前の9月くらいから準備を始める必要があります。大学卒業前にTOEFLは受け直してあったし(ついでに英検も受けた)ので、残るはGRE(Graduate Record Examination、大学院希望者のための世界共通試験)、東大とWWU(西ワシントン大学)からの成績証明書、さらには英文の推薦状3通。GREは就活後の休みを利用して都内で受けた気がします。今やGRE用の参考書なんかがいっぱいありますね。

推薦状はWWUで授業を取ったリチャードソン先生ともう一人、それに東大の指導教官である高橋先生から。自分で英文で書いたものにサインをしてもらった気がします。大学院の入学にあたって、推薦状は重要。ここで、日本の推薦状のように当たり障りのない短いものを3通揃えて出すと、選考する方は全くヒントになりません。1流大学だとアピールできないので、実質マイナスですね。日本の大学の先生の場合、推薦状を、それも英語で書くのには慣れていないので、入学希望者が自分で書いた方が早いし、安全です。

さて、WWUのリチャードソン先生から書いてもらった大学のリストからあまりよく考えずに、4ヶ所に申し込みました。結果は以下のとおりです。
カリフォルニア大学バークレー校:不合格
ウィスコンシン大学マディソン校:合格、ただし奨学金無し
ノースキャロライナ大学:合格、奨学金は年間5000ドル
ワシントン大学:合格、奨学金は年間10000ドル。他に初年度1000ドル

どこを選んだかは言うまでもありません。一番お金をくれたワシントン大学です。3年前に留学したWWUから車で1時間弱、留学期間中にも行ったことがある、ワシントン州最大の、これまた美しい大学です。

これを読んでいて、初年度から奨学金が出るなんて、なんて優秀なんだと思った方がいたら大きな誤解です。今回の一番のポイントかもしれないので、大きな字で書きます。

アメリカの大学院は基本的に学費免除で奨学金が付きます!日本のような「ローン」じゃなくて返還不要。 

僕の場合、4校中2校から奨学金が出ました。大学も欲しい学生には奨学金を出します。僕が今教えている地方の州立大学、LSUの社会学部ですら新入学の院生の大半には奨学金が出ています。出ない場合でも成績さえ良ければ2学期目、もしくは2年目に奨学金が出ます。

当地LSUの場合、留学生を25人以上送り出している国(中国、インド、バングラデシュ、パキスタンなど)以外の国から来ている留学生は、たとえ奨学金が出なくても2年間学費が無料になります。日本人の留学生も学費は無料です。後から奨学金が出れば自動的に学費は免除です。

つまり、初年度、もしくは1学期目は奨学金がなくても生活費だけをなんとか自費で工面できればなんとかなります。もし2年目になっても奨学金が出ない場合は、そのプログラムでは評価されていない、ということなので、転校するか、諦めて帰国した方がいいです。

何年か前、LSUの大学院に奨学金も学費免除もなしでやって来た日本人の留学生がいました。学費を払ってるって聞いたので、その場でその学部の院のディレクターに電話したら学費が免除になりました。ディレクターが新米でその制度を知らなかったんですね。電話一本で1年間の学費300万円が浮きました。まさに情報はお金です。この院生も2年目には無事奨学金が出ました。

奨学金(Graduate Assistantship)と言ってもほとんどはタダでもらえるわけじゃないです。本当に成績がよければなんの義務もない奨学金が出ますが、通常は週に20時間、教授連の授業の補助や研究の手伝いなどをします。できる教授はグラントに奨学金を組み込み、できる院生を一本釣りして研究チームに引き入れます(Research Assistantship=RA)。この場合、通常より給料は高くなります。

僕のいるLSUでAssistantshipの年間(9ヶ月)給料は15,050ドル(約160万円)、RAで(12ヶ月)25,000ドル(300万円弱)くらい。ただし、名門では400万円を越えるところもあります。

ここでどの大学の院に行くかで、将来は結構決まっちゃいます。やはりいい大学に行くといい教育が受けられるので、いい仕事がもらえます。ではどうやっていい大学に入るか?大学の成績と推薦状はこれ以上変えられません。変えられるのはGRE。ほぼ毎月のように試験が設定されるので、僕はお金があるなら投資だと思って何回でも受けろって言います。一番いい成績だけを提出すればいいんですからね。

さて、大学院に入ったらちゃんと勉強しましょう。周りよりちょっといい成績取ってれば、なんとかなります。授業を取るのは最初の2年半くらいで、あとは論文と資格試験。この時は僕もそこそこ勉強しました。でも、正直、それほどきつくはなかったです。アメリカの大学の医学部に入った長男の勉強量に比べたら全然ラクです。もっともその差があとで給料に反映されるんですよね。全く世の中うまくできてますw。

ワシントン大学の院に一緒に入学したのが僕を含めて14人。そのうちその院で博士号を取ったのは5人だったと思います。大学で教えるようになったのは4人かな。一番の出世頭は韓国からの留学生。アイオワ大-UCLA-スタンフォードと渡り歩き、今では大御所です。

博士号の歩留まりは35%。今いるルイジアナでも40%くらいです。半分以上は途中で辞めます。ただし、他の大学の院に移って博士号を取る人もいます。能力が足りない、というより「これは自分に向いてない」って思って辞める人の方が多いと思います。社会学の場合は「文系」だと思ってきたのに、統計のウェイトが大きいので失望する人が多いかも。

まずは2年で修士号、そのあとで3−7年かかって博士号を取りますが、それだけだと仕事はやって来ません。修論、博論とは別に論文を出版する必要があります。質にもよりますが、だいたい3、4本あればなんかの仕事はあります。とはいえ、論文が受理される確率は2割以下だし、出版できる場合も推敲するのに最低2回、場合によっては4回も提出するので、3、4本書いても投稿は軽く10回を越え、場合によっては20回にもなります。

また、ネットワーク作りや最新の学説を聞きに、各地で行われる学会にも出ます。だいたい年に2つ、くらいがメドでしょうか。論文の発表を聞いたり、自分で発表したり、同じ分野の学者を紹介してもらったり。ここで発表された論文が後に出版されることが多いので、論文を書く動機付けにもなります。

もっとも学会に参加するついでに観光することもあります。僕は大学卒業前に結婚してたので、学会には奥さんと一緒のことが多かったです。ポルトガルの海岸での学会は特に「役得」で、レンタカーを借りてスペイン、ポルトガルを一周しました。次に予定されていたローマは奥さんの妊娠でキャンセルでしたけど。他にもニューヨーク、ワシントンなどにも行きました。

で、就活です。僕は片っ端から60大学くらいに申し込みました。ワシントン大学は全米でTop 10から20くらいの大学です。超1流じゃないけど、とりあえず1流って位置付けです。途中で就活が終了するまでにもらったインタビューは3つでした。今いるルイジアナ州立大(LSU)、テンプル大、北イリノイ大です。

スケジュールを調整して、3つの大学に面接に行きました。最近ではスカイプなどで「予備面接」を行うのが一般的なようです。ここでオファーをもらえらば、無事に就職、助教授となります。僕は本番には強いので、3ヶ所からオファーをもらい、一番条件のよかったルイジアナにしました。まさか30年もいることになるとは思ってなかったけどw。

さて、無事助教授にはなりましたが、たぶん教職で一番厳しいのがその後の6年間です。この6年間はいわば「試用期間」で、ここできちんと論文を出さないと「クビ」です。6年間を無事に勤め上げるとTenure(テニュア、終身雇用)をもらえて、タイトルも「准教授」になります。

へ、アメリカにも「終身雇用」あるんだ?と思われるかも知れませんね。多分学界にしかない制度だと思います。理由は明らかで、「学問の独立性」を担保するからです。研究の内容によって勝手にクビを切られるようなシステムだと「御用学者」しか育ちません。なので、時の政府や権力、理事会の意向からの独立を保つために、大学の先生にだけテニュアが与えられています。

テニュア(そして後の教授昇進)の基準はなんと言っても論文です。数も質も重要で、通常は年に2本って言われてます。多分理系は論文が短いのでノルマはもっと多いかも。「なんだ、少ないじゃん」と思われるかも知れませんが、20%以下の確率でしか通らないし、専門誌の審査は通常3ヶ月、場合によっては1年近くかかるので、次から次へと投稿します。英語で"Publish or Perish(出版しなかったらおしまいよ)"って言われる世界ですね。

テニュアを取れるのは助教授全体の半分から2/3でしょうか。取れない場合は別の大学に移るか、転職します。LSUで取れなかった同僚が高校の先生になった例がありました。これはマジで黒か白、取れると取れないとでは天国と地獄なので、プレッシャーも相当です。これでノイローゼになる助教授も数多くいます。

通常は危ない場合、事前に連絡があって審査以前に転職する、というのが一般的です。審査する同僚の方も落としたくないですから。僕はここでもヘラヘラしてて、全然心配してなかったのに、後から聞いたら滅多にない「満場不一致」(8対4)だったそうです。「まあ取れるだろうけど、生意気だからペケつけよ」って思った人が4人いたってことですね。

セクハラや犯罪を犯さない限り、一度取ったテニュアはなくなりません。ここでペースがガクッと落ちる学者も数多くいます。僕の場合もテニュアを取ったタイミングで子育てに入れ込み、ペースが落ちました。

テニュアを取って准教授になったら安泰ですが、その上には(正)教授ってのがあります。普通は准教授になってから6年後ですが、これはなってもならなくてもいいので、のんびりしてて一生准教授で終わっちゃう人もいます。僕もこのプロセスは随分長くかかりました。

また長くなっちゃいましたが、読んでいただき、ありがとうございました。

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