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多和田葉子さん『献灯使』(講談社文庫)読了。

大災厄に見舞われ、外来語も自動車もインターネットもなくなり鎖国状態の日本。老人は百歳を過ぎても健康だが子どもは学校に通う体力もない。義郎は身体が弱い曾孫の無名が心配でならない。無名は「献灯使」として日本から旅立つ運命に。大きな反響を呼んだ表題作など、震災後文学の頂点とも言える全5編を収録。

裏表紙あらすじ

多和田葉子さんの本を初めて読んだのは2020年5月のことで、それがどの作品かというと『地球にちりばめられて』(講談社)だった。前々から気になってはいたのに、学がないわたしに読み切れるだろうかと不安で手を出していなかった。続編の『星に仄めかされて』の単行本が刊行されたタイミングで、えいやっと手に取った。これが大正解だった。

こんなに素晴らしい作家を、世界よなぜ隠していた! と憤慨したものだが、単にわたしが知らなかっただけで多和田さんはずっと存在していた。知らないままでいたいこともたくさんあるけれど、知れたら喜びがあふれることもあると改めておもった次第である。

『地球にちりばめられて』を読んだ際の感想を、こう書いていた。

故郷が消滅してしまったという導入からさっそく置いていかれ、しかし文章が軽やかに先をいく感覚がひじょうに楽しかった。Hirukoが話すパンスカ、代わる代わる語られる旅路、何よりも初めて出会う多和田葉子さんの小説に魅せられ夢中だった。ああ、こんな世界があるなんて! 小説ならどこへでも行けることに改めて感動する読書だった。

読書メーター

その後『星に仄めかされて』を購入し、それも楽しく読んだ。その感想ではこう書いている。

どこへ辿りつくのかわからない感覚がほんとうにめずらしい。しかし恥ずかしげもなく言えば、生きるということ自体が辿りつく場所などあるのかもわからないままの行動で、これまで読んできたすべての本が結末を迎えていることに驚くような心地になった。

読書メーター

こんな風に新しい世界を見せてくれた多和田葉子さんの『献灯使』とやらが、これまたわたしの琴線に引っかかる。そうおもってのんびり探していたら、せんじつぱっと見つけたので購入した。

収録作品は、

  • 献灯使

  • 韋駄天どこまでも

  • 不死の島

  • 彼岸

  • 動物たちのバベル

ページ数の5分の3くらいを『献灯使』が費やしており、短編よりは中編と言っていいのかもしれない。この『献灯使』が強烈で、目の前が眩しく一気に読み進めることが難しいほどだった。

果物はそんなに意気込んで切るものではないと言う人もいるが、今の義郎には肉や魚ではなく、オレンジこそが切れ味を試す真剣勝負の相手なのだ。果物の密な繊維に守られた奥深い空間から尊い滴を見つけ出してきて無名に与えるという使命感に義郎は身震いする。ふてぶてしいオレンジのツラの皮よ、その下で果房を更に包むしぶとい柑橘貴族の白い手袋よ、そしてそのまた中で水分を外に漏らすまいと自閉する淫房よ。包みが何重にも邪魔するから我が愛する曾孫が果汁の甘さを満喫できないのだ。

本書P40~P41

そこから続く義郎の心中のセリフがまた眩しくて熱い。

このように生命力が漲る一方で、希望なのかそうではないのかの判断を個人に委ねられていると感じる物語は続く。萎みも張り切りもしない一定のテンションで語られる作品世界の仕組みを読み進めながら想像していくと、この世界はどう変化していくのかまったくわからなくなってしまった。

そのほかの短編(掌編?)も、誰の味方でも敵でもないディストピアが描かれ続ける。不思議な輝きと切ない楽しさを感じた『韋駄天どこまでも』、失い損ねたものの手触りが生々しい『不死の島』、地面にのめり込むように読んだ『彼岸』、現実とフィクションの分かれ目を必死に探さざるを得ない『動物たちのバベル』。どれも存在感がある小説ばかりだった。

多和田葉子さんの作品は近年発表されたものしか読んでいないので、もっと遡ってたくさんの作品を読んでみたい。わたしに読めるだろうかという心配はいまだにあるが、そこはこれまで読んだ本のちからを借りて少しずつ進もう。

書籍のリンクを貼るのに検索をしたら『献灯使』の特集ページがあった。

これを投稿したら読んでみたい。

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