見出し画像

オールド・クロウ (短編小説)

「16時か…」

どれだけ寝ても取れない“疲れ”のようなもの。今私が抱える全身のだるさは、ベッドで横になる時間を長くしてみたところで消えないことはわかっている。わかっていても、私はやはり起き上がることをしない。
この怠さを消す有効な手段などない。あるとすれば…
その先を考えることすら、怠い。

スマートフォンに残った着信履歴は姉からだ。朝から何度か私に電話をしてきている。私からかけ直すことはしない。どうせまた、かかってくるから。
姉は諦めない。私のことを諦めてくれない人だ。

「みいちゃん。私のこと忘れたの?」
しばらくして、やはりかかってきた姉からの電話。姉はひと言めで人のやる気を削ぐのが得意だ。本人はそのことに気づいていない。

「ん。どして?」
「私の誕生日、昨日だったから」
「あぁ…そっか。ごめん、おめでとう」
「ごめんとおめでとうを繋げて言ったら台無しよ。今からオールド・クロウに来て。祝ってよ」
「オールド・クロウ?」

オールド・クロウ。地下にあるイタリアンバルだ。あの店は暗くて気が滅入る。
あの店に行きたがっているということは、姉の精神状態もあまり良くないのだろう。

「わかった。あとでね」
「ちゃんと来てよ。記念すべき私の40歳初日は今日限りなんだから」
「いたたたた」
「イタイ?心の声を言葉にしないで」
「ちがうよ。本当に足をひねったの」
私はよろよろとベッドから立ち上がった。


姉の待つオールド・クロウへ続く階段を降りる。看板に描かれた不気味なカラスがこちらをギロリと睨んでくる。
「こっちよ」
姉は先にワインを飲んでいて、酔った人特有の乱れた目の動きをしている。
「おめでとう。プレゼントは…ない」
「知ってる」
姉は私のためにグラスにワインを注いだ。
「初めは軽いのがいい。私が払うから」
そう言うと、姉は一瞬動きを止めて私を見たが「そう?」と言ってウェイターを呼んでくれた。

「みいちゃんにまで存在を忘れられたら、私はどうして生きていったらいいのかね」
「何それ」
誕生日祝いと言いながらおめでたい雰囲気はなく、みっちり愚痴を聞かされることは想定内だ。
「みいちゃんはいいよ。頭が良いし、周りからも認められててさ。みいちゃんが愚痴吐いてるの、聞いたことないもんね」
「そんなことないよ。私、可愛げがないし」
「可愛げなんて、いるー?」
姉はなにかが可笑しかったらしく、ケラケラ笑いだした。
「お姉ちゃんはさ、愛嬌があるからなんだかんだやってきてるじゃん。それってある意味才能でしょ」
メンタルはオワッ・・・てるけど。
「まぁね…イタイ・・・40代になりましたよ」
姉が先程から、つつくだけで一向に口に入れようとしない、わけのわからない油っぽい料理は私の気分を悪くさせた。

「みいちゃん、これからも仲良くしてね。私、ひとりで死んでいくの、嫌よ」
「そんなこと…これから誰が良い人が現れるかもしれないじゃない」
「有り得ないでしょ、こんな重い女。これまでに散々言われてきてるから自分でもわかってるのよ」
ワインをぐびぐび音を鳴らして飲む姉は本当に下品だ。
自分のことは・・・・・・わかってるんだね」
「あー?」
今にもゲップでもしそうな、姉のだらしなく開いた口。オールド・クロウの暗い照明が、醜い女の顔をぼんやり浮かび上がらせる。

「ねぇ、私のことは知ってる?」
姉は表情無く私を見ている。思考が停止しているようだ。
「私の好きなものが何か、知ってる?」
「えー。あれでしょ。J.T.J」
「それ、中学生の時にはまってたグループ。今は音楽は聞かない。最近の趣味はブログを書くことよ」
姉は目を大きくして驚く。
「みいちゃん、ブログなんてやってたの?いつから?」
「それはいいけど。ねえ、私が今どんな人と付き合ってるか、知ってる?」
姉はもう驚くことすら忘れたように放心状態だ。
「え?彼氏いるの?なんで言わなかったの?嘘でしょ、だって…え?」
ケラケラ笑っている。笑っているのは、私。
「知らなかったでしょ?だって言わないもの。言えないのよ、お姉ちゃんには。
お姉ちゃんは、中学生の頃の私から成長させてくれないから。
私の右足、中学の部活で大怪我をしたけど、もうとっくに治ってて、痛くも痒くもないのに、たまに無意識にさするよね?あれ、めちゃくちゃ気持ち悪い。
私が甘いもの嫌いだと思ってるでしょ?私の部屋の冷蔵庫、チョコレートとアイスしか入ってないのよ」
だめだ。笑いが止まらない。だけど続けたい。今日は続けて言ってやりたい。
そう思った途端、言葉につまった。
なんだか上手く笑うことも出来ない。

「まぁ。そっか。色々と…ね。
みいちゃんも大人だしね。ごめんごめん」
姉がワインを注いでくる。

ボタボタと垂れる涙は私のものか。
あぁ、病んでる。
腹が立つのよ。
それでもきっとこの先も、この姉と続けるだろう、このダラダラな関係。
好きでも嫌いでもない。
憎くなくて、憎い。
家族が嫌い。だけど結局、家族なんだ。

こういう、ふつふつと湧く小さな思いを吐き出せない私だから。
そうして、いつしかどうでも良くなる。

私は姉に向けてグラスを挙げる。
「40歳のイタじょ、おめでとう!」
「みいちゃん。ちゃんと酔ってるねー。
いいじゃん、いいじゃん。飲も!」

グラスのカチンという音は鈍い。
グラスを口から遠ざけて、姉の後ろにあるドアをぼんやりと見つめる。


カラスがさぁ、こっち見てんだよな…




[完]


#小説





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?