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ムーラン・ド・ラ・ギャレット。


2016年 06月

ルノワール展に六本木へ行った日。
相変わらず友人に案内してもらって。



日差しの暑い昼前に六本木に着くと、ビルの前でボディガード然とした黒スーツの屈強な人達が待機していた。
マイクで「降りてきます」って連絡取って車開けてたけど、どんな重鎮が降りてきたんだろ。



この美術館は近未来みたいな建物で好き。
硝子張りの向こうに緑が見えているのが綺麗だった。



ルノワールは、ムーラン・ド・ラ・ギャレットを観てみたかった。



代表作だからやっぱり平日でも人が結構多くて、とてもゆっくり観れたってわけじゃないけれど
一通り見終わって、またムーランまで戻ってもらってもう一度見た。付き合ってくれてありがとう。
きっともう観られる機会はないと思ったから。 



シャガールは自分の世界を絵にしたし、ゴッホは自分から視える世界を絵にしたし、モネは風景と陽射しの色の変化を絵にしたけど、ルノワールは人間を描いたんだなぁと思った。 人間が好きだったのかな。もちろんどれも自分の勝手な印象。


ルノワールの絵を観たときに感じたのは、人の人生の美しい一瞬で、色と光が人間を彩っている時で、パーティーの風景や、日常の風景。

田舎のパーティーの人の楽しそうな一瞬の絵と、都会の貴族のパーティー絵の華麗さの違いが印象的だった。


  
ルノワールは、この一瞬を残しておきたいと思う人のいる情景をとても綺麗な状態で絵に描きおこしていて素敵だよね。


これを撮り残しておきたいっていう切実な一瞬っていうのは、独創的な芸術より写真に近いような気がした。

白黒でしか残せない、しかもカメラが手軽で日常的でもなかった時代に、目の前の情景を残しておきたいと思ったら描くしかなかっただろうし。

でもそれが記録ではなくて、情景の美しさへの愛しさや自分の受けた印象を自分のフィルタ越しに描いているから、写実ではなく印象派の絵になったんだろうなと思った。


ルノワールの絵で切り取られたその情景を観たときに感じるのは、描き出された人の人生の美しい瞬間であって、その作り手側じゃないから、主体は常に被写体にあるように思った。




それから解説に、薔薇の絵を描いて、その色を出す技法を人間の絵に転用したっていうのが書いてあって、素敵だなと思った。
乳白色の薔薇の花は、自分にとっても、いつも白皙を連想するものだったから、とてもよくわかる気がした。


帰宅してからフライヤーをちゃんと見たら、「色彩は「幸福」を祝うために」ってフレーズが書いてあって、ライターの言葉かルノワールの言葉か知らないけれど、本当に相応しい言葉だと思った。


この左にあるストールの女性の絵は、生地を貼り付けてあるかと思ったくらい、レースとストールの素材感がリアルに描かれていてすごかった。





ルノワールのあとは、友人の勧めてくれた近くの紅茶店デンメアティーハウスでゆっくり話した。
店内に入った瞬間にすばらしい香りに包まれて、すてきだった。
並んでいる紅茶の缶も綺麗なものばかりで。

注文したのは、たしかシナモンとローブヒップとハイビスカスとリコリス…だったかな。そんなお茶だった。
けっこうスパイシーというか、強い味だったな。

ウィーン風アップルパイとザッハトルテをシェアして、どちらもとても美味しかったし、お茶に合う感じ。

窓からの陽射しに硝子が反射して、虹色が落ちていたのが綺麗だった。
ルノワールの展示や、絵に関することを話した。




場所を移動して、今度は星乃珈琲へ。名前もフォントも店内もレトロでかわいかった。
友人がいつも自分の好きそうな所を調べてくれてあるので、本当に毎回ありがたい…


珈琲と、ラザニアを食べた。
この頃はまだ食べ物を食べていたなぁと改めて思ったりする。せっかくの機会だからと食べてたんだけど、今はそういう気持ちもおきないな。



そのあと毛利庭園に連れてって貰って、水が無いのがすこし残念ではあったけど、緑が綺麗だった。

柿の青い実があったりして、改めて考えるとこの時季から少しずつ大きくなって落ちなかったものだけがあの橙の柿になるんだから、果物ってすごいよね。


それに、ずっと観てみたかった四十雀が偶然見られたのが嬉しかった。
とても変わった声がしたから、見てみたら四十雀だった。後で調べたら、あれは地鳴きだったみたい。


緑に囲まれたベンチでもいろんな話をした。これからの事とか、生きていて感じることとか。
なんだか抽象的なんだけれど、この友人といると静かなピアノ曲みたい。サティとかショパンとかの。
お互い好きなのはドビュッシーやリストだろうけど。たぶん…違うかな?

半分カフェ巡りみたいな一日で、六本木は綺麗なところだった。
東京も街によって雰囲気がだいぶ違うので面白い。


友人に恵まれていなかったら、こうして出掛けていく事もなかったし、ありがたい。


もうお互い美術や紅茶の話なんかをゆっくりできる感性も磨り減ってしまったけれど
そういう過去の記憶があることだって嬉しくてすてきなことだ。

けど、かつての熱量がなくてもバンドの話は一生できるんだろうな。そんな気がするよ。


この日、おいしいマカロンをもらって
実はおいしいマカロン食べたのはじめてだったんだよね。

別の友人にもこの頃おいしいラスク貰ったんだけど
お菓子もいろいろだなぁと当たり前なことを感じていた当時。


生きるのが得意じゃなくても、こういう記憶があるのが嬉しくて、毎日をやり過ごしていたな。

強風の日にプラみたいなインターメディアテクや、ルドン展へも行ったり
こちらの地元では中国茶の店へ行ったりした。
あのカフェはもう潰れちゃったみたい。
長野まゆみみたいで好きだったんだけれど。
インターメディアテクは本当に良かったね。

砂丘へ行ったことは、また別の記事で。


これまでサポートくださった方、本当にありがとうございました!