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【自分史①】黄ばんだ母子手帳

noteで自分史というものがあると知り、そんな面白そうなものがあるなら僕も書いてみたいと思った。

僕という人間はこれまでに出会った人たち、過ごしてきた時間、これまでの経験によって出来ている。

だから、自分を表現するとすれば、これはまさしく自分史を書くことが一番効果的であるに違いない。

自分史を書くにあたって、自身にいくつかのルールを課すことにした。

①どのnoteから読んでも内容が楽しめるよう1話ごとに何らかのテーマを設けて書くこと。

②単なる事実の列挙ではなく、なるべく物語的な語り口で書くこと。

③自分が読んでも他人が読んでも読み物として面白いものを目指して書くこと。

僕は2月生まれ。父と母が結婚して丁度1年経った頃に生まれた。まだまだ寒い季節だったけど、その日は良く晴れた日だった。体重はなんと4300gオーバー。生まれた時はかなりの巨漢だった訳だ。(今は平均より少しだけ小さいくらい。)

当然出産は難航し、母は帝王切開で僕を生んだ。出産予定日が来てもなかなか出て来てくれなかったみたいだ。なんと丸一日も出産が遅れたらしい。と言っても出産予定日を一日過ぎるということの意味は今の僕には分からない。

母は笑顔で当時の事を色々語ってくれるが、僕は生まれた時から多大な苦労をかけてしまったらしい。いつか恩返しをせねばと思いつつ、まだきちんとしたお礼は出来ていない。 気恥ずかしい訳ではないのだが、院に進学したために何となく時期を掴めずにいる。

大学生になって一人暮らしをすることになり、母が僕に色々なものを渡してきた。これまで母が管理してきたが、これからは僕が管理しなくてはならないもの達だった。

その中に母子手帳が入っていた。あまり保管状態が良いとは言えない。表紙はくすんでいて、いくつかのページには皺が寄っている。

初めてそのページを開いたのは受け取ってから4年以上も経ってからだった。

一ページ目には赤ちゃんの写真を入れるスペースと「赤ちゃんへの一言メッセージ」の文字。そこは空欄だった。悲しかったり寂しかったりという感情はあまり湧かない。むしろ、僕の母親らしい冒頭だと微笑ましい。

ページをめくるとそこには妊娠の経過診断の記録が事細かに記されていた。次のページからは僕の3歳くらいまでの体重の推移や予防接種の記録があれやこれやと書かれている。世の母親の誰もがこういった検診を受けたり状態を記録したりするものなのかもしれないが、初めてそれを読んだ時の僕にはこの記録がとても特別なもののように見えた。

そこに僕への直接的なメッセージが書かれていたという訳では無かったのだが、黄ばんだページをめくる度、何やら幸福感で胸がいっぱいになったのを記憶している。僕はあまり感傷的になる方ではなかったはずだが、この時ばかりは胸をうつものがあった。

ふと最後のページが1枚折り畳んであることに気付いた。開いてみるとそこは予備欄と書かれた空白のスペース。
そこには母親の当時の出産日記のようなものが、極めて簡潔に書いてあった。出産月の2月に入ってから、大体5日分くらいの記録がある。それはほとんど一行日記のようなもので、日によっては上に同じという意味のちょんちょんだけで片付けられている日もある。

それによると、どうやら2月の頭に1度入院したらしい。さすがの不安から面倒臭がりな母も文章を書いて気持ちを落ち着けることにしたようだ。

5日後、痛みは時折あったものの、特に出産の気配が無いまま母親は退院した。

そしてその10日後に急な手術で僕が生まれたそうだ。出産当日のことだけ少し細かく書いてあった。
当日の記述の最後に「あーくん誕生 ホッ」の文字。

僕の名前は生まれる前から決まっていたらしい。あーくんというのは僕が生まれて23年間ずっと、母親だけがそう呼ぶ僕のあだ名だ。(母親いわく、この愛称で子どもを呼びたくて僕の名前を決めたそうだ。それまではなんて身勝手な名付けだ、と度々母親に愚痴を言っていたものだが、20年以上同じあだ名で呼ぶからには本当に好きだったのだろう。それは今日を以て許すことにした。)

最後の短い一文を見て僕はとても嬉しくなった。僕が祝福されて誕生した存在であることを、その言葉が示してくれていた。

それにしても、出産時の母親の年齢と今の僕の年齢はもうほとんど変わらない。身長も僕の方がずっと高い。だが当時の母に比べれば今の僕はずっとお子さまだ。母は高卒で働いていて、あまり勉強が好きでは無いものだから、僕はよく母親の言葉遣いや漢字の間違い、あるいは教養の無さにツッコミを入れる。

だがそれは必ずしも僕が母親より優れていることを意味しない。母親は僕が思っていたよりずっと偉大だったのだ。

母親にろくな恩返しもできないままここまで生きてきたことを恥ずかしく思う。でも、だからといってすぐに言葉で伝えようというのも何だか気恥ずかしいしなあ‥。

そんなことを考えながら母子手帳を閉じ、時計を見ると深夜の2時。ほんの20ページくらいの手帳を読むのにかなりの時間を要したらしい。

何か明日を生きる勇気をもらった気がする。皆さんももし自分の母子手帳を持っているなら読んでみると良い。今までもこれからも色褪せることのないご両親の確かな愛情が、見つかるかもしれない。

追記:20代の母親の筆跡が僕のそれとあまりに似ていることに驚いた。真似をしてきたつもりは無かったのだが。