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「いつも多数派に合わせている少数派」のあなたに気づいてほしいこと

少数派は多数派に合わせなければならないのか

発達が定型的か非定型的かという話において、
「多数派」「少数派」という表現の仕方をよく目にします。

今回は、少数派さん(発達障害者さん)の
少数派に生まれてきたというだけで、
なぜ多数派に合わせて生きていかなければならないのか

という疑問について、考えてみようと思います。

全てを「自分と違う派」に合わせて生きていくとなると、
とても大変なことに感じますよね。
確かに、常にそれを強要される人生なんて疲れてしまう。
そういう声が上がるのは自然なことだと思います。

ただ、そういう疑問が浮かんでしまう時点で
あなたに「気づいて!」と叫びたいことが、私にはあります。

これに気づくことができれば、
「なぜいつも合わせないといけないんだろう」という
ネガティブな思考から抜け出すことができます。

そして、多数派に合わせることでいつも大変な思いをしているあなたに
3つの行動をオススメしたい。
あなたの人生が、少数派の人生が、豊かになるための工夫です。


社会は多数派向けに作られている

改札口を通る時にタッチするのは右側ですよね。右利き用です。
ドアノブも右に回せばドアが開きます。右利き用です。

音に敏感な人、音が聴こえない人、こだわりが強い人・・・
いろんな人がいますが、社会はそういう人向けではなく
「多数派向け」をベースに作られています。


障害という言葉の意味

「障害」という言葉は、
多数派用に作られたこの社会で生きていくのに障害がある
という時に用いられる言葉です。

少数派のあなた自体が異常だとか劣っているという意味ではなく、
「この社会との間の障壁」を示すもの
です。


私のコンタクト度数は-11.50

私は遺伝的要因での強度近視です。視力は両目で0.01。
コンタクトを外すと全てがぼやけてしまいほぼ見えません。
ぼんやり見える色のみで、何となく識別するしかありません。

上のサイトの「0.01」の世界、良かったら見てみてください。
まさに、こういうふうに見えています。

もしコンタクトレンズがなかったら、私は字を書くこともできません。
外を歩くこともできない。お茶をいれることもできない。
友人が道路の反対側から私に向かって手を振っていてもそれに気づけない。
多数派向けの社会で生活するのに障害がある状態」です。


合わせるほうが楽な場合は、ある

音に敏感な人が「静かな環境ばかりを選んで生きていく」よりも、
時には、音が気になる環境でも居られるようにイヤーマフを使って
「多数派の環境に適応する」ほうが良い場面もあります。

視力が弱い私が私でも読める距離に近づいて文字を読むよりも
多数派と同じ距離で読めるようコンタクトレンズを使うほうが楽なように、です。

待ち合わせ時刻に遅刻しがちな人が
「そもそも時間を決めて待ち合わせをしないということにする」よりも、
「待ち合わせ時刻に遅刻しないように何らかのツールを使って対策をする」
ほうが良い場合もあります。

皆、自分が少数派になる場面では「どちらが暮らしやすいか」を
無意識のうちにその都度自分で選択し、判断しています。


視力において少数派の、私の選択

世の中には0.02以上の視力を持っている人のほうが圧倒的に多いですよね。
なので、「視力が0.01の私」は「少数派」です。

そういうスペックで生まれてきた私にとっては、これが普通ですが、
「私にとってはこれが普通なんだから多数派に合わせる必要はない」
とは思いません。

だって、アイテムを使って多数派に適応したほうが
私がこの社会で暮らしやすいので。


その選択はあなたがしている

「この場面は多数派に合わせよう」という選択をしているのはあなたです。
場面によっては「ここは少数派でいよう」という選択をしても良いのです。

  • 「忘れ物をしがちなので何らかのツールを使って忘れないようにする」
    or「忘れ物をする自分を貫く」

  • 「足がないので歩かない」
    or「義足を使って歩く」
    or「車いすを使って移動する」

  • 「衣類の化学繊維が気になるので綿100%の衣類しか着ない」
    or「肌着以外は綿100%でなくても我慢できる」
    or「気になるけど探すのが面倒なので/経済的な理由で我慢する」

  • 「視力が弱いので見ない」
    or「コンタクトレンズを使って見る」
    or「レーシック等の手術を受ける」

加害性のあるものを除き、あなたは常に自分で選択して良いのです。
「そのほうが自分が暮らしやすいから」を基準に、選択して良いのです。


自分にもメリットがあるということを認める

常に自分が「多数派に合わせなければならない」という認識でいると、

  • なんで自分ばかり大変な思いをしなければならないんだ

  • 多数派に生まれればよかった

という気持ちになってしまいますが、必ずしもそうではない。

遅刻や忘れ物をしないようにしたほうが自分の仕事がうまくいくのなら、
多数派に合わせることは自分にとっても良い選択であるはずです。

癇癪を起こさないように服薬をすることで自分も楽になるのであれば、
服薬という選択は
「合わせてあげている」ではなく「自分のための選択」であるといえます。

多数派システムのほうが自分も暮らしやすい場合もある」のです。
なかなか認められない人もいますが、認めてしまうと少し楽になります。


それに気が付いたあなたは強い

「常に合わせてあげている」という思考で生きているのか、
自分のためにその選択をしている」という思考で生きていけるのか。

ここ、とっても大きいです。

私の息子には発達障害の診断がついています。
広汎性発達障害(自閉症スペクトラム、ASD)と、
注意欠陥多動性障害(ADHD)です。

「定型っぽく擬態」が自分のためになる場面ではそうしてほしいと思う。
でも、そうでない場面では無理に定型っぽく擬態しなくて良いと思う。

自室でリラックスしているときに定型っぽい姿勢を取る必要はなくて、
手足をそわそわさせたりピョンピョン飛び跳ねたりして良いはず。

衝動的な買いものをすることで自分が困らないならどうぞ。自分が困るならそれを防ぐために財布にお金を入れないとか服薬するとか対策を取ろう。

気の許せる仲間に対して「俺空気読めないときあるんだよごめん」
と事前に言っておいて、時折空気が読めない発言をするのは、
私が就寝時に「ごめんね、ママもうコンタクト外したから見えないの。
ママにも見える場所まで来てくれる?」と家族に頼むのと似ている。

自分が自分のために選択をして、相手に合わせたり合わせなかったり、
社会に適応したりしなかったり、している。みんな、している。

あなたは明日どうしても特性ゆえの困り感にぶつかった時に、
「我慢して定型っぽくするメリット」が自分にあるかを考えてください。

もし少しでもあるなら、
「自分のため」と思いながら適応してみてください。

それを繰り返すうちに、あなたはもう、
「多数派に合わせなければならない」
なんていう言葉は口にしなくなります。

「自分のために自分の人生をこの社会で生きている」
ことを感じてください。

そういう思考になれたあなたの今後の人生の幸せ度は大きく変わる。
あなたは、苦手部分を隠す必要はない
隠したほうが自分のためなら隠せばいいが、
隠さず公表して助けを求める場面もあって良い。

「この社会に生まれたこと」は皆同じであり、
「この社会」で生きている。

最初に投げかけた疑問の答えを述べておくと、
「多数派に合わせなければならない」なんていうことはない。
合わせなくても、良い。
ただ、自分が合わせたいなら合わせれば良い。
多くの場合、自分にもメリットがあるから合わせている。

「自分にメリットなんかないのに合わせている部分」を探し始めたあなた、
当てはまるものが見つかったら、是非やめてみて。

でもね、だいたいは「周りから変な目で見られるのは自分が嫌だから」とか
「上司に叱られるのは自分が嫌だから」とか
「家族に迷惑をかけるのは自分が嫌だから」とか
「妻に捨てられてひとりになるのは自分が嫌だから」とか、
そういうふうに、自分にとってもメリットになるような意図があるはず。


とはいえ大変ですよね

自分が「少数派」に属する場面が多ければ多いほど
「この社会での生きづらさを感じる」という場面が増えることになる。

適応するかどうかに関わらず、
その場面が多いのは大変ですよね。

では、どうしたら良いのか。


少数派のあなたにできること3つ

1.ネガティブな被害者思考からは抜けておく

前述した通り、まず、多数派に合わせる時は、
「多数派にいつも合わせてあげている」ではなくて
「この社会で生きていくうえではこの場面では多数派に合わせたほうが
自分にもメリットがあるから多数派に適応する」

という意識をしっかり持つことで、ネガティブな思考からは抜けましょう。

2.自分が少数派でなくなるようなコミュニティに属する

どういうことかというと、
耳が聴こえない方はろう学校では多数派になれます。

そういうこと。

あなたにも「多数派」で居られる場所はあります。
それを知っておくことは、思考が偏ることを防いでくれます。

3.発信して知ってもらう

SNSでもブログでも友人にでも同僚にでも良いです。
自分の困り感を「知ってもらう」のはとても大事だと思います。

そして、多数派向けの部分を少しずつ少数派にも適応しやすいシステムに
世の中全体で変えていくべき
だと思います。

これって、少数派さんが発信しないとなかなか変わらない。
もともと多数派が良かれと思って作った様々なシステムなので、
多数派には変え方がわからなかったりします。

是非、具体的な困り感やエピソードや提案を、
堂々と世に発信してもらえたらと思います。
文句としてではなく、提案として。

少しずつでも、「適応する」という負担が減ると良いですよね。
そういう社会を創っていくためには、
少数派さんが具体的な発信をすることが必要だと思います。


まとめ

「少数派のあなたは、多数派に合わせなければならない」ではない。
でも「合わせたほうが自分にもメリットがある」なら合わせたほうがいい。
あなたのためです。多数派のためではなく。

そこを認識できた、思考の偏りがないあなたなら、
「誰もが生きやすい未来を創るヒント」を発信することができます。

多数派の考える「少数派さんも生きやすい世の中」よりも、
少数派である当事者さんからの提案のほうが説得力があります。

あなたの発信が数年後の生きやすさに繋がるかもしれない。
あなたの発明で助かる人がいるかもしれない。

そういう前向きな発信をしている当事者さんを私はとても尊敬しているし、
参考にさせていただいています。
そういう方がどんどん増えると助かるなと思っています。

「適応する」という各々の労力が軽減されて、
誰もが生きやすい世の中になりますように。

社会が生きやすくなれば「障害者」と診断される人も減ります。

通級の指導員が足りないだとか、発達障害の専門医が少ないだとか、
もちろんそれを増やすことも大切だとは思いますが、
「自分は発達障害かも」と感じたときに
適応の難しさについて深刻に思い悩むような社会ではなく
それを抱えていても前向きに生きられるような、
それを抱えていることを堂々と言えるような、
そんな社会になるといいなと思います。

みんなで変えていけたらいいな。

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。

サポートしようかななんて思ってくれたことに感謝します✎𓈒𓂂𓏸 もしもサポートしていただけたら、 辛い思いをしているカサンドラさんの心休まる場所を作りたいな𖤣𖥧𖥣𖡡𖥧𖤣