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強い光は影を濃くする 〜ホッパーの描いた光と闇〜

太陽がまぶしい季節です。外は強すぎるほどの光に満ちています。

光の表現にこだわった画家はたくさんいます。
アメリカの画家、エドワード・ホッパーもその1人です。

ホッパーは身近な風景を通じて「光」を描こうとしました。
彼は「私がほんとうに描こうとしたのは、家のファサードに当たる太陽の光だ」と述べています。

しかし光のあるところには必ず影があります。
ホッパーの場合、秀逸な光の表現によって強調されるのは、むしろ影の暗さの方です。


下の絵のタイトルは『日曜日の早朝』。

(著作権の関係で絵を直接掲載できないので、美術館のリンクを貼ります。絵はそこから見てください。)

よく晴れた朝の光景です。しかし、なんでしょうこの寂寥感と圧迫感は。
1階のショーウィンドウも2階の窓もぴしゃりと閉ざされ、全く人気がありません。

朝の爽やかな陽光により、かえって建物の中の暗さが強調され、不気味な雰囲気を醸し出しています。


こちらはガソリンスタンドを描いた絵です。
『ガソリンスタンド、1940』
https://www.moma.org/collection/works/80000
(リンク先で絵をクリックすると拡大できます)

日が暮れる中、ガソリンポンプと建物の照明が煌々と輝いています。
しかし、注目すべきはその奥です。

道が大きく右にカーブし、暗い森へと消えていきます。
その先に見えるのは暗闇だけ。何が待っているのかは誰にも分かりません。


ホッパーの作品には影の表現へのこだわりが見て取れます。
ニューヨークの映画館を描いた作品、『ニューヨークシアター』の制作に取り組むホッパーの様子が、彼の妻の日記に残されています。

エドワードは、アトリエで、映画館の暗い内部と格闘している。それはあまりにも難しい問題。暗さを表現することはつねにとても難しい。
1939年1月1日のジョー・ホッパーの日記(ゲイル・レヴィン,2007,「エドワードホッパーと映画」『Art research』7より)

『ニューヨークシアター』
https://www.moma.org/collection/works/79616
(リンク先で絵をクリックすると拡大できます)


ホッパーが描く世界には強い光があります。
光は対象を明け透けに照らし出し、同時に濃く暗い影を作ります。
その闇は、光と同じくらい、ときには光よりも強い存在感を発揮しているのです。



これまでご覧いただいたように、ホッパーが描いているのは、アパートやカフェ、ガソリンスタンドやホテルの客室などなど、一見どこにでもありそうな風景ばかりです。

しかし、ホッパーは目の前の景色を単に描きうつしたわけではありません。
画面上では照明、舞台装置、人物配置、何もかもが完璧にセッティングされています。
まるで完璧なセットで撮影された映画のワンシーンのようです。
別の言い方をすれば、画面の中の世界はひどくよそよそしく非現実的なのです。

実際、彼の作品は、多くの小説や映画にインスピレーションを与えました。
たとえば彼の絵が、ヒッチコックの『サイコ』の舞台のモデルになったことは有名な話です。

『線路わきの家』(人を寄せ付けない不穏な雰囲気が、サイコの舞台にぴったりです)
https://www.moma.org/collection/works/78330

ホッパーの作り出すミステリアスな世界観には、多くの人を惹きつける力があったのです。



ホッパーの絵でいちばん有名なのは、『ナイトホークス』でしょう。


夜の闇を照らすのは、レストランから漏れる照明だけ。
暗闇の中、人工光は冷たく白々しく感じられます。

『ナイトホークス』をはじめとして、ホッパーが描く人々は、みな表情が曖昧です。
彼らが何を考えているのかはよく分かりませんが、少なくとも、幸せで満ち足りた様子の人物は一人たりともいません。
みんな自分たちの世界に閉じこもっています。

ホッパー自身は、絵に物語や孤独感を反映したことを否定していますが、それが滲み出てしまっているのです。

彼の作品を前にすると、言葉にできないような漠然とした不安や孤独が不意に感じられます。
日常生活では見過ごされている心の闇が、不意に目の前に突き付けられるのです。
ホッパーの世界に強く惹きつけられるのは、強い光が作り出す濃い闇があるからこそです。


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