見出し画像

「〇〇ていう仕事してるくせにあいつはクズ」みたいなのも、職業差別だと私はおもっている。

人種差別も、職業差別も
根っこは大して変わらんと思うんやけどな

職業差別って、私の中では
「教師なのに」とか「歌手だから」あたりの
「〇〇のくせに」的な役割の押しつけも含む
 
もちろん
「女だったら」とか「父親だろう」あたりの
言い草も、役割の押しつけという意味で
人種差別や、職業差別と、変わらないと思う。
 
 
そしてそれは
「みんなおなじ」ということではない。
 
 
社会的な役割と、その人の人格や性格を
結びつけるのもまた、私にとっては
職業差別のようなものに感じる
役割差別、とでもいえばいいのかな。
 
社会的な役割は、その社会に生きる人が
自分たちが生きやすくなるための秩序を
つくりだすために、生み出したもの
 
いわば、想像上の産物なので
それによって、人そのものの価値を決めたり
測ったりして苦しみや生きづらさを生むなら
本末転倒なのだとおもう
 
 
たしかに、その役割を担うことによって
その人自身に起こる変化はあるとおもう
身につくもの、変わるものはあると思う
 
それでも、その変化はあくまで結果論で
その役割を担う前提条件ではない。
(期待や要求としてはあるとしても)
 
 
その役割を担ううえで起こした(起こった)
ことに、なんらかの形で言及するなら
あくまで役割は役割として扱うことを
忘れたらいけないとおもうし
役割から判断して、その人の人格や性格に
言及するのは、私は、差別だとおもう。 
 
 
要するに
「〇〇ていう仕事してるくせにあいつはクズ」
みたいなのも、職業差別だと私はおもっている。
 

その仕事の役割上の規範や決まりを破ったなら
役割としてルール違反を扱えばいいだけのこと
 
相応しくないとおもうなら、役割上の規範から
その相応しくなさを語ればいいだけのこと
 
 
それでもその人がその役割に就くのだとしたら
クズなのは、その人ではない。
 
クズなものがあるとすれば、それはその規範か
役割を決める仕組みか、役割に対する認識など
つまり
それを作り出した「想像力」のほうであって
その人ではないとおもう。
 
 
どんな人に対してであれ
「気に入らない」っていうのはあるとおもうし
それを不満におもったり、怒ったりするのは
自然なことだとおもう
そのときのごく個人的な感情表現としての言葉や
メタ認知を進めるために使う言い回しなんかは
あれこれ制限をかける必要はないとおもうけど
(むしろかけないほうがいいとおもうけど)
 
 
自分の期待する「役割」を
相手が果たさないという理由で
その人の人格や性格まで断罪するような言葉や
人格や性格に対する期待を、当然のように
相手に要求したり公に発信するような表現は
 
 
それが誰に対してであれ、私は差別だと思うし
距離を置いていきたいなぁとおもう。
 
 
もちろん、自戒も含めてのことです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?