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新型コロナと世界情勢が教えてくれていること。それは「もしも」じゃないかもしれないのだから。

2019年の秋が終わる頃、2020年の1月・2月に
今お世話になってる企画やバンドのライブが
すべてブッキングされてることに気がついて
「私の2020年は、いやもしかしたらそもそも
 私自身が2月で終わるのかも」
と真剣に考えたことがありました


2月に自分主催の企画Música-losofíaをしましたが
やると踏み切った昨年の夏に、おもっていたのは
「この先いつまで生きてられるかわからないから
 やりたいことはいま実現しておかなければ」
ということでした


秋頃に、思い切って初めてみたことがありますが
「3年後に生きている保証はない」
という気持ちが、私に勇気を出させてくれました



「終わる」「生きている保証がない」いう想定は
決して大げさな仮定などではなく
十分に起こりうる現実なのだ、と
いまの世界情勢が教えてくれていると感じてます



もしも、東京がロックダウンされたら
もしも、自分が罹患し命を落としたら
もしも、大切な人の身に降りかかったら

そして、それが「もしも」じゃないとしたら?


近未来に起こり得る現実を想定してみたとき
「この人に二度と会えなくなるなんてイヤだ」
という思いと、脳裏に浮かぶ幾人ものひとたち


そんな近未来は不幸かもしれないけれど
そんな出逢いに恵まれていること自体は
私にとっては、間違いなく幸せなこと


いまある一つ一つの約束を
願いを行動に移せることを
一緒に過ごせる一分一秒を

大切にしていくきっかけにできるといい。

それは「もしも」じゃないかもしれないのだから


こんなときでも、どんなときでも
大切なことを大切にできるような
心の置き方でありたいと、おもいます。


もしも、変わらぬ明日が来てくれるのなら
そして、それが「もしも」じゃないのなら

きっと良い日に、してみせようではないか◎



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