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女子力という呪い

定義が曖昧なものに押し付けられることの窮屈さ

差別に嫌悪感を抱きながら
女子力という言葉にしがみついている あの感じ

女の子で縛られたくない

だけども いつまでも 女の(子)でいたい

女子力は呪い

女子力という言葉
いつから使われているのだろう

料理ができたら 女子力?
部屋が綺麗なら 女子力?
リップ ハンカチ 持っていたら 女子力?
美容にきをつかっていたら 女子力?

女 男 とか枠を外した先

人間が生活 する うえで
必要な力を
女子力という呪いで

固めてしまって良いのだろうか

固めてしまっているのは
周りではなく
私自身なのかもしれないし

社会と私の間に
目に見えない引っ張る力

それこそ 呪い が
かかる

女(記載上)であること
男(記載上)であること

その2つで 固められること

ジェンダーの話をしているわけではない し
LGBT Q A の 話をしているわけではない し

枠組みにすることの煩わしさ

私 にとって
人間にとって
生活にとって

生きるということ として

純粋に考えられたら

「女子力高いね」

言葉に疑問を抱かず
当たり前に 周りに呪いをかけている

私も あなたも ???

女子力 とは なに??

もう 呪いをかけることはやめよう

自分にも 周りにも

周りの友達がいう

美容に関心を持つ
料理ができる
ハンカチ リップを持ち歩いている

これは 別に女子だけに求められることでもないし
求められるからするものでもないのかもしれない

社会人としてのマナーであったり
エチケットであったり
(これも 曖昧さを含む 煩わしさ)

純粋に ただ純粋に
その人 あの人 あなた わたし 

を見つめられたら 向き合えたら

混ざり合う

白と黒では語ることのできない 

言葉で生きている私達

誰かの 自分の 言葉に
しがみついて
絡みついて

私は私を見失う

綺麗なままのもの
純粋に淘汰されたもの
全ては生命のもとにあるもの

目を瞑る
ひとりぼっちの宇宙

目を瞑る
ひとりぼっちの今

本質を見つめようとする
本質は逃れていく
しかし 本質を見つめようとする過程こそ
純粋に生命のもとに考えるということだろう

分からないことは
分からないからと
放置するのではなく

分からないを楽しみ
グレーを受け止め
多様性のもとで生きるということ

そこに正義も悪も
敵も味方も
ありはしない

目を瞑ると あなたが
今を無色透明に生きている

いくつもの生命のもとに
無色透明に生きている

そこに女も男も
もしかしたら人間も
肉体も精神も
ありはしないのかもしれない

手をつなぐ輝きたち
今までの輝きたち
膨大な今を重ねて
ここに あなたとわたしは手をつないでいる

静かに
ただ静かに

明日の今のために
淡々と目を瞑っている