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近代文学・古書の旅 ~大好きなあの小説の初版本を神保町で買ってみた~

はじめに


 何事もないかのように毎日noteを更新していたが、別の記事でも触れたように一時帰国していた。去年も6月に日本へ帰ったが、その頃よりも新型コロナウイルスへの規制が緩和されたため、今回は出発する前から少し遠出がしたいと考えていた。
 何をしようかと色々考えたが、動けるのが基本的に平日になることを考えると、友人に連絡を取るのは少し憚られる。どうしようかと悩んだときに最初に思いついたのが、古書店巡りだった。

 折角なので実行に移すことにしたが、実は当初の行き先は大分だった。色々な本を取り揃えているらしいカモシカ書店を見てみたり、湯布院に移築された太宰治が暮らしたアパートを訪れたりしようと思っていたのだ。また、古書店ではないものの、大分のジュンク堂書店が閉店するとのことで、丸善ジュンク堂書店グループが好きな者として1度見ておきたい気持ちもあった。
 しかし、7月10日頃、大分で大雨等の災害が発生。当初12日に出発しようと思っていた私は旅行をキャンセルして、1から立て直すことにした。日程だけをずらすことも考えたのだが、地盤の緩みは後からやってくるので、タイミングとしては良くないように思われる。さらに、上記だけでなく行きたい所が、平常通りに営業しているかも分からない。結局、大分は延期にして今回は東京に繰り出すことにしたのだ。

 実を言えば、東京にある神保町の古書店街には行ったことがある。具体的に欲しい本があった訳ではないが、何となく面白そうと思っていたのだ。何点か覗いてみたものの、探している本がある訳ではないことも相まって、何となく自分が場違いに思えて結局そそくさと何も買わずに店を後にした。その経験から、神保町の古書店街に対して少しではあるものの苦手意識が芽生えてしまった。しかし、折角の機会だから今度こそはきちんと書店巡りをしたい。できるなら、どうすれば楽しく回ることができるのか、店員さんにアドバイスがもらいたい。この文章を書いている時点で、それが上手く実行できるか不明ではあるが、この記事が今後古書店に行ってみたいと思っている人の参考になるような記事を目指したいと思う。

7月17日(月) 1日目(日本近代文学館)


 早速古書店巡りに繰り出した、と言いたい所なのだが、インターネットで見かけた情報に「週末は閉まっている」というものがあった。神保町には約120の古書店があるそうなので、全部が休業とは思わないが、どうせなら沢山の店が開いているタイミングに行きたい。今日は古書店ではなく、日本近代文学館に行くことにした。
 芥川龍之介が好きなので、当初は田端文士村記念館に行こうと思っていたのだが、なんとこちらは改修工事中とのこと。大分に引き続き何となく運のなさを感じながら調べていると、日本近代文学館を発見。加えて現在は「教科書のなかの文学/教室のそとの文学Ⅰ―芥川龍之介『羅生門』とその時代」という展示が開催中らしい。明日からの古書店巡りへのテンションを一層高める意味でも、繰り出すことにした。ちなみに、日本近代文学館は通常月曜が休館日だそうだが、7月17日の今日は海の日だったので、明日が休館となるそうだ。

 展示物を見る前にパネルを見ると、全てレプリカといったことが書かれていた。本物じゃないのか、と少し落胆したが、内容を見ている内に全然気にならなくなった。もちろん、初版本が展示にないのは残念ではあるものの、書かれている内容が私にとって新鮮で、意識が逸れていったのだ。
 展示されているテーマの中で言えば、実は「羅生門」は版によって修正されている、という話が面白かった。中でも「下人の行方は、誰も知らない。」という最後の文が、当初違う内容だったというのは衝撃だ。個人的にあまり小説のフレーズをしっかりと覚えていることは珍しい方なのだが、この一文だけは妙に頭に残っている。その位に印象的な言葉たちが、最初はなかったというのだから、私はまだまだ芥川龍之介を知らないなと実感した。
驚きといえば、展示の中に動画の上映があり、芥川龍之介が木登りをしている姿があった。子どもの頃の映像なら別段意外性はないのだが、自分の息子と一緒に大人の芥川龍之介が身軽に木の上まですいすいと上がっていくのだ。やっぱり私は芥川龍之介を知らないと痛感したが、お茶目な一面を垣間見て、今後小説の見方が変わりそうな気がした。

日本近代文学館



 書いていなかったのだが、今回は神保町にある山の上ホテルに宿泊することにした。文化人に愛されてきた歴史があり、格式がある。決して安価と呼べる所ではないのだが、今回は3泊以上で半額というキャンペーンがあったので、それを利用して私もこのホテルで文化人の1人として滞在することにした。
 地図で見たときは駅から大して遠くないと思っていたのだが、暑い気温に加えて少し坂道だったため、到着した頃には汗をかいていた。タオルで顔を拭っていると、タクシーがスーッと入ってきた。多分、山の上ホテルを利用する多くの人はかつての文化人も含めて車で優雅に到着するのが一般的なのだろう。文学とはあまり関係ないが、訪れる際はぜひ私のように汗をかくのではなく、華麗に訪れて欲しい。
 建物の中に入ると、歴史を感じる調度品や設備が丁寧に整備されている。時代を感じるという意味ではシンガポールにも植民地時代のホテルはあるが、日本の和が感じられる部分も多いのは山の上ホテルならではだろう。部屋も和室があり、今回私はそちらに宿泊した。畳の部屋にカーペットやテーブル、ベッドが置いてあり、和室とは言っても過ごし方としては洋室とあまり変わらないのではないかと思う。
 ただ、多くの文化人が愛してきたホテルのためか、書きものの机と椅子が結構しっかりしているように感じる。家具を適当に配置するのではなく、椅子や机の高さを考えて選んでいるのかもしれない。ちなみに、この記事の下書きはその和室の机で書いている。旅先でパソコンを開いて文章を打とうと思わないことが多いので、あまり比較にはならないが、個人的には打ちやすいような気がしている。

 ホテルを宿泊すると、レストランのディナータイムに使える10%割引のクーポンがもらえる。私もそれを使おうかと思ったのだが、昨日少し寝不足をしたせいで早く休みたい。レストランでお腹いっぱいになったら、動きたくなくなりそうな予感がする。結局、外でお弁当を購入して部屋で食べることにした。何でも良かったはずなのだが、日本近代文学館の展示にあった仮名垣魯文(かながきろぶん)の牛鍋の絵に触発されたらしい。デパ地下で割引になっていた今半のすきやき弁当を買って帰った。

山の上ホテル

7月18日(火) 2日目(古書店巡り)


 今日から本格的に、古書店を巡る。それに際して昨晩、古書店に訪れる際に注意したいこと5選が紹介されている、YouTubeの動画を観ていた。正直、観る前は「ものすごく難しい暗黙のルールがあったらどうしよう」と思っていたのだが、そういったものではなかった。ただ、知らないと破りがちなものが列挙されており、大変役立った。
 私がここで説明するよりも、実際に動画を観た方が早いとは思うが、特に助かったのは筆記用具とスマホを店内で出さない、という所だ。古書店としては理由があってその値付けをしている以上、他の店と値段を比較されたくない。その気持ちから存在するルールらしいのだが、著者名を見て「他に何を書いていたっけ」と調べたくなったり、短編集に収録されている作品を見て「他の本にも入っていたっけ」と確認したくなったりと、意外とスマホを出したくなる場面は多い。しかし、店で出せない以上、店員さんに尋ねる他ない。最初はかなり緊張するものの、コミュニケーションを取ることで過剰な緊張が解ける上に、購入する場合も決断の前に会話をすることで、判断を下しやすくなるはずだ。

 私自身、店を出て調べようかとも思ったが、店員さんに聞いた方が確実だと思い、いくつか質問した。中には、知識の無さを露呈するものもあったと思う。それでも店員さんは嫌な顔1つせず、答えてくださった。結果的に安心して買うことができたのは、そういったホスピタリティのお陰だ。

 私は芥川龍之介の短編集「幻燈篭」を、八木書店古書部さんで購入した。以前にnoteでも紹介した大好きな小説「魔術」が収録された初めての単行本の初版本ということで、前から欲しいと思っていたのだ。一応、来店する前にウェブサイト「日本の古本屋」で在庫があることはチェック済だったが、最後に確認してから約1カ月が経過していたため、もう売れてしまったかもしれないという心配もあった。
 店員の八木さんに頼んで手に取らせてもらい、開きたかった「魔術」のページを開く。最初の数行を読むと、喉にスゥッと冷たさが広がった。その瞬間は分からなかったが、どうやら興奮し過ぎて、むしろ冷静になっていたようだ。丁度、赤い炎よりも青い炎の方が高温なのと、似ているのかもしれない。とにかく、落ち着いてはいたと思うが、内心は喜びに包まれていた。そして前述の通り、色々と質問してから購入した。八木さんが、丁寧に答えたり調べたりしてくださったお陰で、本当に良い古書デビューができたと感謝している。ちなみに、私が訪れた際に八木書店古書部では初版本フェアが開催されていた。この記事を掲載する頃には終了しているかもしれないが、蔵書が沢山あることに変わりはないので、関心のある方はぜひ訪れてみて欲しい。

 最近発売された新刊の書籍とは異なり、今回私が買った本に限らず、古書は欲しいからといって簡単に入手はできない。金額が問題の場合もあるとは思うが、そもそも発行の終わった本のため、どこにも売られていない、という問題が往々にして起きるからだ。チャンスと所持金の両方が噛み合ってこそ、入手できる。まさしく一期一会と言えるだろう。
 私は昨年、シンガポールでサファイアのルースストーンを購入した。宝石やクリスタルを手に入れるとき、よく「石に呼ばれる」と形容する。偶然に出会うことも意味するが、機会と所持金が嚙み合わないとやって来ないという性質を表しているのだ。初版本の出会いは、まさに宝石のそれと同じだと思う。もし、この記事を読んでいる方で「運命的な出会い」が好きな人が居たら、きっと初版本やクリスタルの虜になってしまうと思う。

 前述の動画で「新刊を扱う本屋には返本という制度があるが、古書店は当然ながらない。そのため、古書店での買い物は店の私物を見て買うイメージ」といった話があった。撮影禁止は既に述べた値付けが理由だとは思うが、知人の家で勝手に本棚の撮影をしていたら、多分怒られる。そう考えると古書店での買い物は、人が所有している本を譲り受けるイメージが近そうだ。古書店のルールも知人宅だと考えたら、当然のものが多いように感じる。興味がある人は行く前に、繰り返し登場している動画を観るのがおすすめではあるが、恐らく知人の所有物という認識で挑めば、それほど困った事態にはならないのではないかと思う。
 約30軒回った私は今日、約30の本棚を見たことになるが、言うまでもなく1つとして同じ所はない。知り合い30人が、同じ本棚を持たないのと同じだろう。今回の旅では今日も明日も、色々な古書店を巡る予定だが、頻繁に通えば通う程、お気に入りの店ができるのだと思うと、今後も楽しみだ。

 余談だが、夕食は宿泊している山の上ホテルの地下1階に入っている、コーヒーパーラーヒルトップのグラタンを食べた。宿の予約をしたときから「文化人に愛されるロングマカロニグラタン」という言葉が気になっており、遂に私も注文。席に届いた料理を見ると、広く浅い皿にたっぷりのソースと海老、そしてロングマカロニが入っている。ロングというだけあって、スパゲッティの半分位の長さはありそうだ。文化人に愛されてきたホテルに泊まり、文化人に愛されてきたグラタンを食べた私は、最早文化人と言って良いのでは?などと考えながら、部屋に戻った。

7月19日(水) 3日目(古書店巡り)


 さて、昨日の時点で一番古書店がひしめき合っている通りは大体行ってしまった。脇道にももちろん存在しているが、中には事務所のみという所もある。どこに行こうかと悩みながら、いくつか新刊を扱う書店を覗いていると、小学館ギャラリーに到着した。ここは書籍の販売は行われておらず、小学館の本が閲覧できる施設と古書店の案内等をしてくださるコンシェルジュを兼ね備えた所らしい。早速、おすすめの古書店を尋ねると、いくつか教えてくださった。
 提案された中に、昨日行こうとしたものの、どうしても場所が分からずに諦めてしまった、けやき書店が含まれていた。その旨を伝えると、店が入っているビルの外観や古書店が入っているフロアへの行き方を教えてくださった。お陰で、昨日はよく分からずに素通りした所で、きちんと店に入ることができたのだ。何となく行こうと思っていた店ではなく、結構関心を寄せていた所だったので、無事に到着して商品を見ることができたのは本当に良かった。ちなみに、けやき書店には他では見た覚えのない坂口安吾や織田作之助の初版本が多数揃っていた。太宰治を含めて無頼派と呼ばれた文豪が好きなら、おすすめだ。



 昼頃になり、ホテルを出る際にスタッフさんから「本が好きなら、行ってみてください。特に2階が良いですよ」とおすすめされた眞踏珈琲店に行くことにした。話によると、店内に沢山の本棚があり、自由に読めるらしい。もちろんコーヒーも美味しいとのことで、ワクワクしながら行ってみた。店内はレトロで落ち着いた雰囲気が漂っており、古書巡りの最中に訪れるには最適に思える。コーヒーの落ち着いた香りで、一層期待値が高くなった。
この日はかなり暑かったので、カレーライスとアイスコーヒーのセットにした。水瑠璃と名付けられた水出しコーヒーには、グラスの中央に大きく透明な氷が浮かんでいた。深みのあるコーヒーと水出しならではのさらりとした質感が合っており、お酒を飲んだような満足感がある。人参や肉がゴロリと入ったカレーも、美味しかった。
 素敵な雰囲気だったこともあり、食後もコーヒーを飲みながらいくつか下書きをした。書いているものはいつもの続きではあるものの視界に入る本棚と相まって、家とは違う別の書斎に居るような気分になる。



 昼食後もいくつか書店を巡って日が陰りだした頃、前々から行くと決めていたバーノンノンに行った。池波正太郎が定宿とした山の上ホテルの1階に履いているバーで、お酒を頂く。インターネットで調べたところによると、池波正太郎はビールを飲んでいたらしいが、せっかくバーテンダーさんがいらっしゃるので、カクテルを注文。小玉スイカのソルティードッグと桃のカクテルを飲んでほろ酔い気分になったら、少し空腹を覚えたので再度街に繰り出した。
 日が暮れた街は、日中と様変わりしていた。そういえば神保町に来てからいつも7時前にはホテルに戻っており、夜になってから街に出たのは初めてだ。当然ながら古書店は閉まっており、今度は日中静かだった飲み屋が活動を始めている。まるでコインの表と裏のように、全く表情が違う。建物や道路は確かに日中と何も変わらないのに、雰囲気が異なるせいか歩く人も違うように見える。結局、小腹を満たすのに丁度よい場所が分からない上に、居酒屋に入ってもシェアする人が居ないことを理由に外食は断念した。その代わり、コンビニで食料を調達して、部屋の冷蔵庫に残っている日本酒と部屋での時間を満喫することにする。
 一応、明日の半日が残っているが、あっという間だったなと感じる。初日以外、神保町から出てすらいないが、本当に充実していた。既に少し名残惜しい気分になりかけているが、最後の最後まで楽しんで帰りたい。

左側が小玉スイカのソルティードッグ、右下の緑色のグラスに入っているのは桃のカクテル。



7月20日 4日目※最終日(古書店巡り)

 ここ2日で気になっていたのに、行けていなかった書店やカフェを中心に巡った。正直、最初にこの旅程を立てたときは、やることが途中でなくなるのではないかと危惧していたが、意外と古書店巡りが終わらない。流石、世界最大の古書店街と呼ばれるだけはある。
 実は昨日行ったとある古書店で、欲しくなる初版本との出会いがあった。かなり悩んで、今日も訪れたのだが、結局その作家は知っていても、その小説自体を読んだことがなかったため、諦らめた。今度行くまでに小説を読んで、改めて欲しいか検討しようと思う。

 歩いていると、見知らぬ人に「すみません、夢野書店はどちらでしょうか」と声を掛けられた。私も神保町の住民という訳ではなかったが、ここ数日でかなり詳しくなった自負もある。拙い説明がどこまで通じたか分からないものの、あの人が無事に古書店巡りをスタートさせられていたら良いなと思う。具体的な地域名は伏せるが、その人も結構遠くから来ていた。
 今日帰る私が居るように、今日やってきた人が居る。古書店街が平日でも訪れる人で結構賑わっているのは、夏休みというシーズンもあるとは思うものの、やはり古書や古書店に魅了されている人の多さから来るのだろう。

おわりに


 今回の目的は、古書店に行くこと、以前から欲しいと思っていた初版本を購入することだった。その意味では、ミッションをクリアできたと言えるのではないかと思う。もちろん、もっと店の方と挨拶よりも踏み込んだお話しができたら、書棚からは見えないものが見えたかも、といった惜しさもある。その辺りは、次回に持ち越しだろう。その際には、今回お世話になった八木書店古書部さんや、興味のある分野を多く扱う書店を中心に、訪れてみたい。

↑芥川龍之介「魔術」の紹介はこちら


↑今回の旅で訪れた古書店や書店などのリストや感想はこちら

おまけ


 インスタグラムのアカウントを作成して、旅の模様を実は記していました。当時のフレッシュな感想です。良ければ、こちらも見てみてください。

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