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阿仁角線

秋田県で小京都といえば角館。
春は武家屋敷の連なる街並を枝垂桜が彩る。
この角館から、かつて全長20kmにも及ばない盲腸線があった。
たった一両しかない列車が、日に3往復だけ走る。
「角館線」。
今は、「秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線」となって、やはり盲腸線だったかつての「阿仁合線」とを結んでいる。

大学卒業後、すぐに結婚するような気がしていた。
彼の故郷に嫁ぐ。
だから、教職も蹴り、就職も断って、バイトと旅を繰り返した。
地図が好きで、地図の会社ばかり何社も勤めた。
そのひとつに、とある大手の出版社があって、私はそこで採用されたアルバイト3名のうちのひとりとして、地図とガイドブックの校正をした。
そのひとりが、「角館線」の沿線に故郷を持っていた。

黒い豊かな髪をストレートなまま、腰のあたりまで伸ばしていた。
けしておしゃべりというほどではないが、女性には珍しいほどの低音で鼓膜をくすぐるように話す、とても魅力的な女性だった。

彼女には、ふたつの夢があった。

ひとつは、顔の痣を消したいということ。

漆黒の髪が覆いがちなその片頬に、赤い痣があった。
痣は耳のあたりまであるかなり大きなもので、そこだけ厚く塗られたファンデーションに反発するように、見るものに現実をさらしていた。

若い女性、気にしていないはずはない。
自分を見るすべての視線が、そこに注がれているように感じたのだと推測する。
その視線で痣が焼けるような、いやいっそ焼けてしまえばいいと、私なら思っただろう。
けれど、彼女の口から愚痴や自嘲や、悲観的な物言いを感じたことはない。
ただ、何かの折に、バイトでお金が貯まったらという話になり、彼女はもっと貯めて痣を消したいと言ったのだ。
そのために卒業しても東京にいるのだと。

もうひとつの夢は。

「角館線」と少しの距離を隔てて向かい合うように走る「阿仁合線」が結ばれること。
彼女は笑って言った。
自分はそれを勝手に、「阿仁角線」と名づけているのだと。

まだ走ってもいない路線に名をつける。
時代は合理化の一途を辿り、ふたつの盲腸線は、結ばれるどころか、早晩廃止の決定が出ても少しも不思議ではなかった。
けれど、彼女は自分の顔の痣が消えることと同じ目線で、ふたつの路線が結ばれることを願っていた。
私は、このとき、いっぺんに彼女が好きになった。

課されていた業務が終了し、私たちは別れた。
住所と電話番号を交換したが、なぜかその後一度も連絡しなかった。
先方からも来ることはなかった。

会いたくなかったのではない。
ただ、それぞれがそれぞれの生活に戻っていっただけのことだ。
私は旅を繰り返し、ふたつの盲腸線にも何度も乗ったが、彼女にそれを告げる機会は来なかった。

同じ秋田の田沢湖畔に「辰子姫」の像がある。

辰子は、その美貌が衰えることを憂い、永遠の若さと美を神に祈った。
そして神の指し示す泉の水を飲むと、みるみるうちに彼女の姿は龍になったという。
同時に振動を受けた大地が避けて、田沢湖が誕生した。
彼女は、田沢湖の主となった。

若さと美の継続を願うのは、当然ではないのか。
そんなことの報いで龍にされてはたまらない、と当時の若い私は思った。
以前書いた松谷みよ子著の「龍の子太郎」にも、似た経過がある。
太郎の母が、禁じられていたイワナを食べて龍になったという話。
禁を犯して龍になるという展開は、伝説や昔話の成立にひとつのパターンを持っているのかもしれない。

ならば、辰子はどんな禁を犯したのか。

彼女は、周囲の老人たちのしみやしわだらけの顔を醜いと思ったのだ。
自分はあのようにはなりたくない、どうか神さま・・・と祈ったのだ。

心の美しさが大切、だと、そんな教科書通りのことはここには書かずにおく。
そんなことはわかっている。
でも、人はいつも正しいことや常識の枠の中だけで生きているのではない。

私の中では、辰子姫の話は阿仁角線の話と、セットになっている。
そして、今でも、ものすごくせつなく痛い。
今だから、かもしれない。

阿仁角線という名ではないが、今、かつてのふたつの線路は結ばれ、秋田内陸縦貫鉄道として運行されている。
あのときの彼女の夢のひとつは、形を変えて叶ったとも言える。
もうひとつの夢のほうは・・・どうだろうか。

同県の日本海側にある「八郎潟」の主である八郎は、辰子姫に恋をした。
彼は、彼女のいる田沢湖に入り浸り、八郎潟に帰ろうとしなかった。
おかげで、田沢湖はどんどん深くなり、今ではわが国最深の湖となった。
主のいない八郎潟は、どんどん浅くなってしまったという後日談がある。

龍に姿を変えた辰子を、愛しいと想い、湖が深くなるほど愛した八郎。
八郎の本来の話もいいが、こっちの傍流もとても好きだ。

もう二度と会うこともないかつての仲間の幸せを願う。
彼女の痣は消えただろうか。
痣の消えた憂いのない素顔を、愛する人の胸に埋めることができただろうか。

それとも。
そのままの彼女を美しいと思い愛してくれる人に出会えただろうか。

辰子と八郎を思うとき、私の脳裏には、幻の阿仁角線が走る。
それは、校正しても校正しても、直すことのできない地図として、今も心に置かれている。

読んでいただきありがとうございますm(__)m