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黒柳が語るSOPHIA

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黒柳がシリーズ化しようとしているのかもしれない、昔々のSOPHIAのお話。 有料記事と無料記事が混ざっています。
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分かち合った夢と分け合った食パンと肉屋のコロッケ

分かち合った夢と分け合った食パンと肉屋のコロッケ

24歳で上京した。

憧れのプロミュージシャンになるためだ。地元の愛知県から全国ツアーまでやれるようになっていたバンドを辞め、全く別の音楽性のバンドを組むために全てを捨てて上京した。

東京でバンドを組み、毎日の様にスタジオに入り曲を作り練習をするのはもちろん、レコード会社にデモテープを送り付け、ディレクターに直談判しに行き、音楽ライターを接待…考え付く限りの事をした。
しかし、練習以外の事はなん

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TOMAKOMAI MIRAI FEST 2023

TOMAKOMAI MIRAI FEST 2023

参加させていただきました!
ちょいと驚くくらい急遽参加が決まったのですが、個人的のみならずバンド的にも苫小牧との不思議な縁を感じながら楽しく参加出来ました。

苫小牧と言えば、デビュー前に北海道へ行く時は必ず八戸~苫小牧のフェリーに乗っていたのでいろんな思い出のある場所なのです。

SOPHIAの前に所属していたDIE-ZW3E(これでディザイと読みます。難読バンドとしてある意味有名ですが、何の役

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喫茶ぼん

喫茶ぼん

高校二年の夏、「ミュージシャンに俺はなる!」と決心した。
それはそれは強い決心だった。
そこで早速行動に移した。
俺はせっかちなのだ。

ミュージシャンになるのに必要なもの、それは楽器だ。
隣町の楽器屋にケッタマシーン(愛知県の方言で自転車のこと)をぶっ飛ばして行き、ギターの値段に驚愕した。
そのタイミングで同級生キンヤが「アニキの高級ギターを二万で売るよ」と言ったので「それ、とっとけよ」と言って

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もう少し…あと少し…

もう少し…あと少し…

俺達がデビューして間もない頃は第二次バンドブームの渦中であり、ヴィジュアル系ブーム前夜という様相だった。
その最前線にいながらもナチュラルメイクとカジュアルなファッションとPOPな曲調の俺達は、異彩を放ちながら独自路線を突き進んでいた。

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LIVE初めてバンドの失敗あるある

LIVE初めてバンドの失敗あるある

バンド活動を始めて33年にもなる。
いつの間にかベテランになってしまったが、俺も最初は初心者だった。

「運があればプロになれるんだね」などと全く無関係の人間にディスられることがあるが、そういうヤツは自分が「運が良かったから自分が生きていられる」し「生き続けるのには努力がいる」という事実に一生気付かないだろう。

たしかに俺は運よくプロになったが、運だけではプロにはなれないことを知っている。プロに

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LIVE初めてバンドの失敗あるある-対処編-

LIVE初めてバンドの失敗あるある-対処編-

最初から上手くいくやつなんてそうそういない。とは言え、失敗はなるべくならしたくないもの。
LIVE初めてバンドの失敗あるあるの対処方法を教えちゃうよ。でも、あくまで「しなくていい失敗を回避する方法」であって成功する方法ではないからね。

それでは行ってみよう!

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屈辱の牛丼

屈辱の牛丼

1994年12月9日、今とは場所も大きさも違う伝説の「新宿ロフト」で初ワンマンLIVEをやったんだ。
事実は一つしかないが、真実はそれぞれにある。
そして、これは俺の真実。

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屈辱からの絶望からの逆転

屈辱からの絶望からの逆転

初ワンマンは屈辱の結果だった。

もちろん、精一杯やったのは間違いない。
しかし、俺達の魅力を一番分かっていないのがまさかの自分たちだったことにはまだ気付けずにいた。

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冷たい焼きそば と ビール と デビュー記念日

冷たい焼きそば と ビール と デビュー記念日

1995年10月2日、俺たちはメジャーデビューした。

上京して約1年半での出来事だ。

もちろん努力も沢山したが、それ以上に沢山の幸運に恵まれた結果だと思っている。

そしてその幸運はそれまでの各々の行動が引き寄せためぐり合わせでもある。

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