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北京83日目 備忘録 「人間万事塞翁が馬」と「エヴァンゲリオン」について

皆さんこんにちは
前回の記事を書いた11月7日から約半月が経ちました。

その間、天安門・故宮、北海公園、古北水鎮などの観光地に訪れたり。
友達とご飯を食べたり、サッカーをしたり、映画を見たりしていました。

今回は、そんな日々の中での気づきを記そうと思います。

「人間万事塞翁が馬」とはなんだろう。
ふとある日考えていました。
この言葉の意味は
「人生、何が好転し、何が悪転するか分からない」
ということでしょう。

納得はできます。
美味しそうと思って食べた料理でお腹を壊す。
だけどそれによって薬の有り難みを知れた。とか。笑

ただここで思いました。
自身の行動が、物事を好転させるとは限らないならば、
何もしないこと(三角座りで部屋に閉じこもるとか)を選択することも有意義なのだろうか、と。

私がアマゾンプライムで見た
エヴァンゲリオンのシーンでは、
主人公の碇シンジ君は何度も絶望していました。

そりゃそうでしょう。
よかれと思ってやったけれど、みんなから非難される。
一見、良いことなのにその悪影響が大きすぎた、と罵倒される。
三角座りもしたくなるな、と思いました。

結構、この問は深いと思っていました。
私達は、自身が納得できる行動をすることを臨んでいる。
だけど、「人間万事塞翁が馬」なんて言われたら、無気力に陥ることもあるでしょう。

どう考えたら良いか。

ここで私の頭に登場したのがマーベルのヒーロー達でした。
中でも私には、キャプテン・アメリカが特に象徴的です。
予想外、喪失、孤独、といったことが何度も彼を巻き込みました。

その度にキャプテンが言っていたこと。
「未来は分からない。だからその場で出来るベストを尽くす」と。
熱いセリフです。

私は納得しました。
人生の不確定さに絶望し、三角座りをしたくなる気持ちは自然だろう。
だけど、三角座りしていたら、
目の前で困っている人を助けられないかもしれない。
愛したものを見殺しにするかもしれない。
ならば、
結果がどうなるか誰にも分からないならば、
やるだけやってやろう、というのがこの言葉の意味なのだろう、と。


北京にいる現在の私。
なんの意味があるのか、と何度も考えていました。
家族や友人の近くにいるほうがよっぽど良かったのでは?と思うことも。

私にとって今のところ、留学は苦行の面が大きいです。
帰国後のテストや就職、家族や友人の心配。
お先は未知そのものです。

だからこそ、私はこの
「人間万事塞翁が馬」と「エヴァンゲリオン」の学び、といったことを
身に刻んで、成長したく思います。
70年の眠りではなく、4ヶ月の修行を超えて、成長したく思います。

ありがとうございました。
みなさんもどうか、心の温まる気づきがありますように。

帰国まであと、34にち


以下、僕が撮った写真やネットに上がっていたサイトです。
参考までに。


いざ天安門
さぼてん、というとんかつ屋さん。懐かしの味。
韓国人の友人と飲み屋へ。楽しかった。
古北水鎮に到着。
きれいなグランドでした。


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