「育児ノート」は悪魔か、天使か。
娘1を出産したとき、産院でもらった数々の育児グッズの中に入っていた「育児ノート」。毎日24時間の時間軸があり、授乳、排便、睡眠、食事、などを書き込めるようになっている。
こういうものを手に入れたら、「きちんと」書き込まずにはいられなかった(当時は)。
暇があればノートを眺め、娘1が何かすればノートに記す日々。24時間管理できるため、夜泣き、夜の授乳、など、夜の時間帯ももうろうとしながら書き込む。
当時うまく授乳ができず、完母にはほど遠かった。全然でない母乳を嫌がり、母乳の後にあげるミルクをごくごくとおいしそうに飲む娘3。母乳が無かったかのように飲むミルクの量を、毎回記し続けることが苦痛だった。
決まった時間にミルクを飲ませなければいけないと思っていた。勢いよく飲み過ぎてミルクを吐けば、すぐに吐いた分を飲ませなければという焦りになった。
排泄の時間も気になった。便秘気味になってくると、育児ノートにつけた排便の頻度が気になって仕方なかった。
わたしにとっては、育児ノートは悪魔だった。育児ノートに記録をきちんと記すためのお世話、になっていた。
わたしはそう思っていたのだけれど。
最近、こんな話をする人と会った。
「育児ノートにとても助けられました。」
寝耳に水、というくらい、驚いた。
聞くと、人に子どもを預けるとき、あのノートを見せて普段の様子や習慣を伝えることができたから、と。きっちりした性格だから、あのノートが無かったら、安心して他人に子どもを預けられなかったそう。その人にとっては、育児ノートは天使だったんだ。
そうか。
モノの評価は、人によって180度変わるんだ。
何十年間も存在し続けるものには、必要とする人たちがいるから。自分が偏った使い方をしたことで、モノの評価を一方的に下げてしまっていた。
まだまだだなぁ、と気づいた出来事でした。
「モノ」に対する評価は、自分の主観的なメガネを通してつけている。主観的に評価することはとても重要だけど、それがモノの一般的評価だと思い込むのは、いささか乱暴だ。「モノ」以外にも同じことが言えるだろう。
気づけて良かった。
これまでの経験で、なんとか自分の役割に気づくことができました。与えられた役割を全力で全うするため、「わくわく」と「ドキドキ」のど真ん中を走ります。 サポートでの勇気づけ、素直に嬉しいです\(^o^)/