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世界を離れて宇宙旅行へ

私は、「離人」と呼ばれる状態に陥ることがある。
離人とは、「自分が自分の心や体から離れていったり、また自分が自身の観察者になるような状態を感じること」だと、辞書は言う。

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初発は中学2年の時。
精神医学上‘異常’とされる諸症状の中で、一番最初に経験したのが離人だった。

離人感は常時出現している訳ではなく、出現が認められない時期もある。
いまだに一度出現すると一週間から数ヶ月程度持続するが、ごく稀に一日程度で消失することもある。
離人の世界とこっちの世界を行ったり来たりしているからこそ、離人の世界を客観的に見ることができるという特権がある。


私の離人体験は、主に二パターンある。

一つ目は、幽体離脱のようになり、自身の動きを斜め後ろの上空から眺めている状態である。
この場合、私の身体は自身の意識から分離され、コントロールすることが不可能な状態にある。
基本的な生活は可能であり、他者とのコミュニケーションも行えるが、それは‘身体’という他者の意志によって行われていることであり、例えば「知らないうちに自分の体が勝手に電車の侵入する線路に飛び込んでしまうかもしれない」といった身体の暴走の恐怖を常に抱いていることになる。

二つ目は、感覚情報の処理が少なくなったり、知覚そのものが弱まったりするだけの状態である。
聴覚であれば、普段は尖って突き刺さるように聞こえる高い音や大きな音が、丸みを帯び、不快でない範囲の音と同じ次元に収まる。
自分の声ですら、外界からの音と同じように聞こえる。
普段のように音の大小や尖り具合が生活に支障を与えることはなくなるが、車のクラクションなどが鳴ってもそれが警告音として機能しないことがある。
視覚も同様である。
いつも尖って突き刺さるような太陽光や夜の街灯、スクリーンなどが、ずっと見ていても平気になる。
体性感覚であれば、地に足をついている感覚がなくなる。
何かに触れたとしてもその質感を得られない。
横になって目を瞑ると上下がわからなくなる。

これらの感覚は全て、知覚されていないわけではない。
その知覚もしくは感覚情報の処理が曖昧になっているのだ。
全体的に、なんとなくの抵抗しか感じず、全ての感覚が緩衝材を経由して知覚されるような感じである。
私はよく、「ふわふわしている」と表現する。
たまに自分の感覚を確認したくなり、階段の数段上からジャンプしてみたり、手を思い切り叩いてみたりし、普段の生活では得られないような衝撃を意図的に発生させる。
そうすると、弱まってはいるものの、いつもよりは強い衝撃を感じる。
知覚は一次関数の切片が小さくなるようにして‘弱まっている’のである。
この知覚の弱まりは、それ自体がリアルタイムで認識され、精神状態に影響を与えることがある。

この離人はいわば「宇宙服を着た状態」である。
もちろん宇宙服など着たことがないのだが、完全に外界と遮断した空間で、触覚・嗅覚は制限され、音はスピーカーを通して伝わり、温度は一定に保たれ、多少の衝撃には耐える。
この世界から隔離された孤独感、どう頑張っても世界と接触できない、分離状態のままなのではないかという恐怖感は、より一層の不安と焦燥を生む。

また、外界から「宇宙服」によって切り離された自分は、世界と異なる時間感覚を持っている。
離人感を有している時の私にとって、‘いま’は、過去や未来から完全に分離されている。
外界(=一般的な社会)で用いられている「過去」や「未来」といった概念は適用されない、と表現した方が正しいのかもしれない。

‘いま’この瞬間の知覚が、絶え間なく流れ込んでくる一方で、それは独特に弱められている。
その距離感が都度強烈に知覚されるのに、それらの体験は蓄積できず、次から次に私を襲っては捉えどころなく逃げていってしまう。
いくら‘いま’と向かい合えど、それが時間の証明にならない。

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‘幽体離脱’は、確かに離「人」である。
私は私のコントロールを失い、現実に存在する「私」という人から離れていってしまう。

‘宇宙服’はどうだろうか。
私は、離「人」ではなく、離「世界」だと思う。
「宇宙服」を着ている時の私は、紛れもなく私だ。
その「宇宙服」を着た私は、思いのままに動き、話すことができる。
でも、どうしても、「宇宙服」を脱ぐことだけはできない。
どう足掻いても「世界」に直接触れることが、できない。

誰か助けて、私を「世界」に戻して、といくら叫んでも届かない。
静穏な海で誰にも気づかれずに溺れていく。
藁をつかめど、そのつかんだ藁の感触すら「宇宙服」を強烈に意識させ、どんどんと底なしの闇に溺れていく。



それでも、もしもその闇の奥深くで、他の「宇宙服」を着た人に出逢ったら。
「世界」に戻れなくても、新たにそこで世界を作ればいい。
そうすれば、私たちは少しだけ、孤独ではなくなるかもしれないね。
次から溺れて苦しくて仕方がない時は、他の「宇宙服」を着た人のことを考えようか。

いつか絶望の中で「宇宙服」同士触れ合うことができたなら、宇宙服の上から手を繋いで、私たちにしかできない宇宙旅行をしよう。

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