こころの紆余曲折は自分以外の誰にも見えないよなぁってこと、いまさら腑に落ちる日々。/子どもから学ぶ(ほぼ)毎日note#19
(ほぼ)毎日note19日目。
幼稚園教諭、プレイワーカー、森のようちえん保育士を経て、今は3歳と0歳の息子と365日ともに暮らしている。
「こどもの遊びと育ち探検家」として、我が子との暮らしの中での未知との遭遇を楽しみながら、世界中の子どもたちの幸せな暮らしと育ちについて日々ぐるぐると思考している。
ここ半年くらい、本当に頭が痛くなるくらい悩んだこと。
これからの働き方、生き方、子育て…
家族のために「○○すべき」とか、母でも自分らしくあるために「○○しないと!」みたいなちょっといびつな肩の力がするするとほどけて。
今の、自分と家族の、ちょうどいい塩梅の、今のベターはここかなぁ、委ねてみよう、頼ってみよう、そちらのお力を少々拝借させてね、みたいな気負いのない選択ができた気がする。
ようやく決心がついたこと。
いつからか、自分の母には「相談」というものをしなくなった。
心配なのはわかるけれど、心配を押し付けてくるのは嫌いだ。
人のチャレンジや決心を『心配』という謎の支配で引っ張ってくるのは嫌いだ。
だから、「相談」はしなくなった。
悩みに悩んで、決断して、「事後報告」するようになった。
すると、決断したとたん、手のひらを返したように、決めたことだからやるしかないね♪と、ものすごくポジティブな反応が返ってくる。
そうなんだけど、そうじゃないんだよなぁ、わかったふりして前向きに受け取られてもなぁ、なんて思っていた。
そんなに、しかたなしにした選択じゃないのだけれどなぁ、なんて。
そこまでの間に、私の心の中でどれだけの紆余曲折があったかなんて知らないくせに。
なんて言って。
紆余曲折なんて。
心の紆余曲折なんて、自分以外の誰にもわかるはずがないのだ、ということに、今更になって気付く。
だって、その間のこと、ひとつも話してないのだもの。
それなのに、母ならわかってくれるだろう、心配も後押しもしないでそっと見守っていてくれよ、という母への甘えだと気づいた。
ましてや、自分が親になってみて気付く。
我が子のことは、本当に心配だ。
心配だけれど、背中を押したいとも思う。
切り離そうとしたって、どうしたって、他人事とは思えない。
そんな気づきを経て、私は我が子に何ができるかな。
「大いに、悩め、悩め。」
と言いたい。
肯定も否定もせず、我が子の進むほうに。
自分の意志で進めるように。
たくさん揺れたらいいよって伝えたい。
母ちゃんもたくさん揺れてきたよ、それだけ真剣に生きてるって素敵だね、って伝えたい。
きっと言葉で伝えたら受け取る方もしんどいから、
在り方で伝えたい。
母ちゃんも、こんなに大人になったって、まだまだ揺れながら、でも、真剣に生きてるよって。ちょっとずつ、「じぶんにとってのいい塩梅」見つかってきたよって。
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