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『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』を読んで 〜上間陽子著〜

『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(上間陽子著)を読んだのでその感想を。大学生のころ所属していたインタビューサークルの先輩が、テレビ局に入局した当初に読んでいた本で、たまたまブックオフで見つけて4年前くらいに購入していた。

お風呂でぽかぽかに温まった身体のまま布団に入り、なんとなく手にとって読み始めたら、本を読む手が止まらなくなった。
ここに書かれた彼女らの人生の一時の記録が、自分の居る守られていて安全で幸せな環境をありありと映し出していて、眠れなくなってしまった。

著者の上間陽子さんは、1972年、沖縄県生まれの琉球大学教育学研究科教授。教授でありながら、 1990年代から2014年にかけて東京で、以降は沖縄で未成年の少女たちの支援・調査に携わっている。
2016年夏、うるま市の元海兵隊員・軍属による殺人事件をきっかけに沖縄の性暴力について書くことを決め、翌年この本を刊行した。ここには、6人の沖縄の夜の街で働く少女たちの記録がある。暴力や親の離婚など様々なことを乗り越え、時には逃げ出し、自分たちの居場所を作る物語だ。

■「私は丈夫な靴を履いて生きている」という感覚


この本を通して、自分は靴を履いて生きているという感覚を、私は強く持つようになった。幼少期から色々な経験をさせてもらい、進路を選ぶ際は「決める」ことより「迷う」ことが多かったし、大学時代に、海外インターンなどの沢山の経験に、一人で飛び込んだと思っていたけれど、その足には、親の援護や、友人の応援、大学の支援…等、私は丈夫な靴を履いていた。

彼女らは、裸足だった。幼少期に家族が何度も変わり、恋人からの暴力を受け、レイプの被害に遭い…そんな凄惨なライフストーリーを読むごとに、一冊の小説を読み切った感覚になる。だが、「これは創作なのか」と考えてしまう時点で、私は完全に他者だった。紙にインクで刷られた現実とは思えないような話たちは、現実の自分が暮らしている世界から”完全に”隔てられていた。このような世界で必死に生き抜いている、早くに大人になりすぎた少女たちがいるということを知った。

■本当の意味での「寄り添う」

上間さんの調査は、もともと、風俗業界で働く女性たちの仕事の熟達の家庭、生活全体、そして幼少の頃からの出来事に注目した聞き取り調査として始まった。しかし、彼女たちが受けてきた暴力を始めとする幾重にも重なる困難な日々に触れた上間さんは、「一度だけ彼女らにお会いして話を聞く」という形式を取るのをやめた。
トランスクリプト(聞いた内容を文字に起こしたもの)を作成し、読み合わせすること、出来上がった原稿を彼女らが読んでもらえるまでそばにいることを前提にして、彼女らの「話を聞き、寄り添い、言葉にする」ことを決めたのだ。

教授として、調査し分析して…という方法論にとらわれず、客観的にも主観的にも、沖縄に住む少女たちの現実に寄り添い続けている。

あのころは、どうすることも出来ないと思っていたことが、過去の出来事となり、それを懐かしく思い出せることを、いまはただ嬉しく思っています。”
『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(上間陽子著)

彼女らの困難な日々が、時間を経て言葉によって昇華できるまで寄り添い続けているのだ。
この本の中では、上間さんはアクティブで強く明るい女性だと思っていたが、思った以上に柔らかく、相手を包み込むような喋り方をする方だと、映像で拝見して感じた。柔らかさの中に、強い芯がある。本当の意味で「寄り添う」とは、ただ相手に優しく接するだけではなくて、相手と関わり続ける体力と気力と意思が伴う行為なのだろう。

■徹底的に守られることで、人は遠くに行ける


上間さんはNHKのハートネットTVの中で、このように語っている。

「実現したいことをひとつでも、ふたつでも、実現できたっていうのを拠り所に、何でもできる、どこにだっていけるから。と思っている。決定をしていく人になっていくためには、徹底的に守られなきゃいけない。徹底的に守られる場所がまず必要。」
https://www.nhk.jp/p/heart-net/ts/J89PNQQ4QW/episode/te/EKKL5923GJ/

本当にそのとおりだ、と私も思った。挑戦は、安心できる場所からのほうが、人は遠く・いろいろな場所へ行ける

自分の道を選ぶことができる・自分のことを自分で決定できる、そんな当たり前を当たり前のように享受できるように、
ここに載っている彼女らのそれぞれの人生が、大丈夫であるように。守られた居場所を作ることができるように。願ってやまない。


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