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田辺聖子の万葉散歩①

 万葉集の本は、これで3冊目であるが、田辺聖子さんの本が一番、自分のココロに響いた。
 田辺さん自身、若いころに、万葉集について勉強した人らしく、自分の青春時代から、戦争の時代から、いろいろの時代に対応して本は書かれていた。私が特に惹かれたのは彼女の若い時代の講義と思われる部分だったが、意外だったのは、戦争時代も、万葉の言葉に乗せて戦意高揚の時代があったということだ。
 そんな風に、戦争に万葉の歌が利用されたと初めて知ったが、その理由はどうあれ、その古の歌が、途中の中世を端折って、戦時下の日本人の心に響いて人気だったことが、凄いと思う。

 万葉集は、源氏物語などの古典に比べて、理解しやすい。

 なぜなら、五七五七七という限られた言葉数の中に、感情が込められたのが短歌、和歌というものだからである。
 これが言葉数が多いものだったら、やはり、言葉の使い方が現代とは違っていて、伝わりづらかったに違いない。

 ところが短歌の字数は限られているせいか、動詞の形態も、言葉も現代に似て見える。 
 その短い文字数に感情を表出するものだから、わかるわかる!そうだよねってことになる。 

 私は、万葉集と親しむために、どの本でも気になった歌をnoteに記しておこうと思った。

 1冊目は、前書きの文言に万葉集の成立を知った。

 2冊目は、意味も分からず百人一首で親しんだ歌に、記憶が蘇った。

 3冊目が一番、しっとりと読めたのは、田辺聖子先生の講義を聴くようだったから、という理由である。
 田辺聖子先生の講義で、心に残った歌もあれば、自分の学生時代聴いた覚えがあって残った歌もある。この偉大なる歌集に親しみを持つべく、また、ここに、メモしておこう。 

あかねさす紫野行き標野(しめの)行き
野守は見ずや君が袖振る

額田王

 訳:紫草のいちめんに茂る野をゆき、標を結んで禁じられた野をも
   ふみしだかれて、あなたはまあ、私に袖をお振りになる。
   野守が観ているじゃあありませんか……

 
 額田王は万葉集で人気の代表的歌人。一番人気の歌だそうだ。
 確かに、彼女の歌を詠むとおおらかで、魅力を感じる。
 口ずさむと語呂がよく、古典の時間に聞き覚えがあった。
 

東(ひんがし)の野にかぎろひの立つ見えて
かへり見すれば月かたぶきぬ

柿本人麻呂

 訳:東の広野に暁の光がさしそめてきた。
   ふりかえれば月は西にかたむいている。

 この歌も、聞き覚えがあるので懐かしく選んだひとつ。

多摩川にさらす手づくりさらさらに
何ぞこの児のここだ愛しき

読み人知らず

 私が「万葉集」の中で一番はじめにおぼえたのはこの歌だった。
「さらす手づくりさらさらに」という日本語が何とも美しいのと、そのあとにつづく「何ぞこの児のここだ愛しき」がまるでフランス映画を見るように小粋なセリフに思われ、とても千年以上昔の歌と思われなかった。
 何という現代的で斬新な、美しい歌だろう。

 訳:何でまあ、ホントにホントに、ちぇっ、この娘の可愛いことったら、
   どうしてくれよう

 この歌は、聖子先生の講義に引き込まれた。
 自分の身に置き換えたら、先日あった子猫の可愛さか?

春すぎて夏来たるらし白袴(しろたへ)の衣ほしたり天の香久山

持統天皇

 訳:あの神の山の香久山の、ひときわ緑深い山肌に、
   白袴の衣が干してある。春は過ぎて夏となったようだなあ。

 夏だよりが聞かれると、このさわやかな歌を思い出さずにはいられない。

 百人一首にあるこの歌を私も選ぶ。人は、聞いたことがあるものをかなりスキなのだ。子供時代の暗唱教育はすごく意味があるのではないか。

あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり

小野老(おののおゆ)

 訳が無くてもわかる。奈良の都の匂いたつような華やぎが伝わってくる。
 現在の東京はオーバーツーリズムで、私にとっては、憧れる都ではないが、この歌に詠まれた都なら、タイムマシンで訪れてみたい。
 解説を読むと、遠くの九州で詠まれた歌という。大宰府の宴会で、この歌を小野老が詠むと、他の役人も堰を切ったように歌をよみ交す。
 防人(さきもり)という遠地に派遣される役人の妻を想ったり、家を想ったりする歌が、万葉集にはとても多いのだと気が付いた。現代のように移動がままならない時代、単身赴任の悲しみは如何ばかりだったろうか。
 それが戦地に赴く兵士や家族に共感を呼んだのである。

二人ゆけどゆきすぎがたき秋山をいかでか君がひとりこゆらむ

大伯皇女(おおくのひめみこ)

 父・天武が亡くなって騒然たる世の中、弟の大津皇子はひそかに伊勢へ下って姉の皇女に会いに来る。(中略)大津皇子は文武にすぐれて人に愛された好青年だった。それが彼の不幸を招くことを姉は予感していたのかもしれない。弟皇子を都へ返すとて見送るときの歌は、どこか不安のひびきを帯び、心の顫動(せんどう)を伝えている。

 訳:二人で歩いても寂しくてたまらぬ秋の山を、
   いまごろ弟はどのようにして越えていることだろう。

 先日、八甲田山を越えて、姉の顔を見てきた私の旅は、政治に巻き込まれてもなく、暖房の効いた車の中で、2~3時間だ。
 同じ山越えという一点が、この歌を、印象に留めた。
 もし、徒歩で、あの八甲田山を密かに越えていると想像する。
 何時間かかる?2日?山の中で夜が来る?
 あー!寒い!寂しい!
 雪中行軍に会いそうで、怖いし。

君待つとわが恋おればわが宿の簾(すだれ)動かし秋の風吹く

額田王

訳:あのかたのいらっしゃるのを、今か今かと待ちかねていると、家の戸の簾を動かして秋風が吹いていった。その音にもはっと心さわいで・・・

 この君は天智天皇だそうだ。額田王、超有名人が恋人💛
 野守に見られるかもしれないのに、手を振っていたのも、天智天皇。
 天皇のお茶目な一面が、詠まれちゃっていた!

誰(た)そ彼(かれ)とわれをな問ひそ九月(ながつき)の露に濡れつつ
君待つわれを

柿本人麻呂

訳:誰なのか、あれは、と私のことをお聞きにならないで。九月の冷たい露にぬれて、あのかたを待っている私なのです。

 女の立場からうたったもの。
 「たそがれ」は暗くなって、誰が誰だかよく見えなくなる時間「誰そ彼」から来たと古典の時間、習った。
 その「誰そ彼」に惹かれて選んだ一句が、また柿本人麻呂。
 もしや私は彼のこの静かな歌の味わいが好きなのか?

幸福(さきはひ)のいかなる人か黒髪の白くなるまで妹が声をきく

読み人知らず

 訳:なんという幸福な人だろう。黒髪が白くなるまで妻の声をきくとは。
   ー私は早く妻を失ってしまったというのに…。

 いまも結婚は長くつづけばいいというものでもない、と思ったりするのは事実だが、それとは別の次元で、夫婦と言うものの妙諦は「仲良く長生きする」ことに尽きるような気もしている。二十代で阿保らしく思ったことが、五十代の私には、やっぱり世の人と同じく、いみじきことに思える。それも、こういう悲しみを地味に抑えた男の独白のような歌を知ったからである。

 最愛の母を昨年、亡くした身には、母と暮らしたよりも、年月を長く共にするようになったダンナとの今生の別れが、次なる試練だと覚悟している。
 愛犬の死も、大切な知人の死も、母の死も、すべてが、いつかは訪れる伴侶の死の練習のように思っている自分がいて、はっとするのである。

 3000字!②に続く💛

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