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暑さから身を守れるのは自分だけ。無理な時は休んで欲しい。

世界最高の野球選手が靭帯を損傷された時、もっと早く、例えば爪が割れたときに休んで欲しかったと、誠に勝手ながら思わずにはいられなかった。後10年以上、野球界に奇跡をもたらし続けるかけがえのない選手には、身体を大切にして欲しいと願わずにはいられない。

爪が割れるのは警告と私は思う。
あくまでも私の場合だが、ストレスが溜まると爪がボコボコに曲がるし、熱があると真っ青になる。そして割れてしまえば2ヶ月半経っても生えてこないし治らない。
何より、爪が剥がれたにもかかわらず、休めず、その後私の家族は亡くなった。
不調を教えてくれるのは、いつも爪だったりもする。
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「暑い」のが日常になり、「暑い」のが当たり前で、みんな「暑い」のだから体調が悪くても我慢しようと思うかもしれない。
しかし、不調は他人とは比較するものではない。あなたが暑いのなら、あなたは休まないといけないのだ。

他人は、あなたの体調に気遣ってはくれない。
あの大谷選手ですら、靭帯損傷の怪我をするまで気づいてもらえなかったのだろう。
世界一の選手ですら配慮やコントロールをしてくれる人がいなかったのだから、
名もなき一般市民の私やあなたなら、「暑い」なんてこと誰も知っちゃことない。
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義務教育たる体育の授業は、「社会において自立的に生きる基礎を培」うために行われる(教育基本法5条2項、学校教育法21条)。そうであるならば、「暑い」を自ら判断し休む選択肢を与え、水筒の水がないのなら飲みに行く選択をさせる環境が必要であろう。健康について妥当な選択が出来ることが自立して生きることなのだから。
しかし、熱中症で亡くなるまで外で運動させられているのだから、自立的に生きる基礎を養う教育で、生命を奪われてしまった。

声弱き者のためにある法が、小学生の命ですら守れていない。

そうならば、法で守ることすらされていない大人たちは、自らの健康は自分で守るしか出来ないのだろう。
…………
仕事中に言うのは、ちょっと。
あと少しだから。
みんな同じだから。

我慢できる。ということはない。

大丈夫と頭が判断しても、その判断要素に周りの目を気にする自己犠牲が入っていたならば、誤っている判断の可能性がある。

私はこれまで「休みなさい」と言ってもらえたことがあるが、それはいずれも自ら医務室に行き、不調を訴えたからであった。つまり、自らが行動しなければ、休む方向に持って行ってくれる人は誰もいない。
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「大丈夫、行ける。」
の判断は本当に正しいのだろうか?
動かない身体に、ムチを打って動かしてはいるのではないか?
例年の暑さなら我慢も通用するかもしれない。しかし、今の暑さは、生命をも脅かす。
動けないなら動いてはいけない日もある。

記事の投稿は暫くおやすみと思っていたが、クーラーのない北海道の暑さを思うと、伝えずにはいられなかった。
「苦しい」と思ったら、この記事を思い出して、休んでくれますように。
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皆様、ご閲覧いただきありがとうございます。
私も皆様のところにお伺いさせて下さいね。

暑いので、どうかご自愛ください。

とても嬉しいので、嬉しいことに使わせて下さい(^^)