Annaの日記 ある父と子
子供を連れての外食なんて数年は無理と思っていたら、我が子はかなり外面がよく、外では全く泣かずに地蔵のようにベビーカーに収まっている。
私が好きな中華料理屋に半年ぶりくらいに行くことになった。行く前から久々に何を食べようかワクワクしていた。
隣の席にある父子が食事をしていた。70代半ばの父と、私より年上の40代半ばくらいの息子だった。
自閉症か、はっきりとはわからないが障害者である事はわかった。
ずっと下を向いたまま、会話もなくもくもくとご飯を食べて、父親が空いた皿を下げて時々口を拭き、声を上げ始めたら注意していた。
その手慣れた介助を見る限り、多分母親はいないのかなと想像した。
本人が何も言わないのに、父親はチョコレートアイスをオーダーし、アイスが到着すると、にやっと笑いペロリと一口で完食し、すぐに店を後にした。
誰に迷惑をかけたわけでもない。とても静かにキレイに食事をして帰ったのに、なぜか二人の事が家に帰ってからも気になっていた。
ストンと腑に落ちた
私を含め、皆妊娠中にはお腹の子に何か障害がないかの心配をする。
以前に、出生前診断の事を書いたが、母親の年齢があがれば上がるほどダウン症などの障害児リスクは高まる。
漠然と「いやだ」と思うけど、一体何がいやかを考え直した。
もちろん理由は色々ある。
子供がつらい思いをしてかわいそう
子供を介護する親が大変(自由がなくなる)
周りから好奇な目で見られる
学校とかでいじめにあわないか、社会的につらい立場におかれないか
元気な子を産んでやれなかったという母親の負い目
もちろんどれも当てはまる。
しかし、私はこの父子を見たときに
「このお父さんが亡くなったら、この人はどうなってしまうのだろう」
私の答えはこれだった。もし自分の子に障害や病気が今後起きても、私は最大限世話をして、辛い思いを共有し、なんなら「ふつう」の子よりも大切に育てる自信というか責任がある。
しかし高齢出産をした今、もし子供が障害を持った時に、子供と伴走出来る時間は20代で産んだお母さんよりも何十年も遅れを取っている。
自分も歳をとり、世話が出来なくなり、自分が去った後ひとりで生きていけない子供の事を思うと想像するだけで辛くなる。
あの息子は、多分お父さんが死んでしまったら施設での生活になるだろう。
自閉症で、環境が変わるだけでも大きなストレスなのに、一番苦手な集団生活。そして一番自分を理解して助けてくれていたお父さんはもういない。
何も言わずにチョコレートアイスが出てくる生活は2度とできない。
その上、身体的に元気だと施設で最低30-40年は生活することになる。
いくら国の補助があったとしても、年金生活の親がそこまで残してあげられる蓄えがあるか・・・
障害がなくても、今は色々な問題を抱えた家族がニュースでも昔より話題にのぼる。隠されてきた「負」を浮き彫りにするドキュメンタリーも増えている。
「引きこもり」「家庭内DV」「8050問題」・・・
独身の時は「いい年して何親に甘えてるんだ」と思っていたが、自分が親になると、こんな問題も他人事には思えなくなってくる。
私が生きているうちはいい。障害があっても、病気で寝たきりになっても、無職でも引きこもりでもなんとかなる。
問題は私が死んだあとだ・・・
高齢で産んだ母親の責任として、どうにか早く自立した子になってもらいたいなと考えされられた日だった。
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