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Annaの日記 ハイリスク妊婦の末路⑧

 手術室には、あののんき先生ではなく、女医の先生と部長先生が入ってきた。
 私の麻酔の効きはかなり良かったらしく、打ってすぐにじーーんと下半身が痺れてきて、冷たいの感覚も全くなかった。

 のんき先生でなかった事に安心して任せられると思っていたら

 「今から赤ちゃん出して、そこから嚢腫の摘出もしますね」

思ってもみないことだった。のんき先生に妊娠中に嚢腫の相談をしたら
「今は子宮が大きくなりすぎて見えないから、それは出産が終わって、数年したら考えて」と言われていたからだ。

 ふつふつとのんき先生に怒りを覚えたが、今はそんな事どうでもいいやと思っている間に手術が始まった。

 話は聞こえるが、全く切られいる感覚もわからなかった。



     「お腹押しますね」


 コウノトリのドラマのような、「赤ちゃんうまれまーーーーす!」のような迫力あるセリフはなく淡々と静かに言われた。

 押されている感覚も、赤ちゃんが出ている感覚もわからなかった。


  はやく・・・・はやく!!


 ドラマの次にくる、

    「オギャー!!!」の声

  「おめでとうございます!
     ●●gの元気な赤ちゃんですよ!!」


   ・・・。


     ・・・・。


    え??オギャーは?


 小さく、ゴエっっという声が聞こえた。


 二人の先生は、子供を出したあと、嚢腫の摘出手術をしていたため手を動かしながら「オッサンみたいな声やな」とぼそっといった。


 その先生の発言と、時々、小さな泣き声は聞こえ安心していた。


 しかし、手術室の時計は私にも見え、1分、また1分とたっても


 「おめでとうございます!
 ●●gの元気な女の子ですよー」
  と言ってこない・・・


 急に心配になり、近くにいる看護師さんに聞くも状況がわからないと「大丈夫」という言葉すらももらえなかった。


 状況が全く分からない状態で、何人かバタバタと手術室に入ってくるのがわかった。


   いわゆる・・・
     「Nの先生」だった。


 その時は、そんな事もわからず、のんき先生が何か話をしているのが少しだけ聞こえた。

 酸素の何かの値が100いかないような会話をしていたが、何の事か全然わからない。
 何度か看護師に聞いても返ってくる返事は同じだった。

 あまりにしつこく聞くので、看護師がのんき先生に声をかけてくれたのだろう。のんき先生が私の耳元にきて、状況を簡単に説明した。


 もちろんこの時も「大丈夫」とは一言も言ってくれなかった。
 説明の半分は意味も分からないままとりあえず赤ちゃんはNICUに行くという事だけ聞かされた。



     NICU???


 その言葉の意味がわからないまま、首だけが動く状態で、私の横を透明のカプセルに入った「赤ちゃん」が通って行った。

 抱くどころか顔も見れないまま、元気かも何もわからないまま手術室からいなくなってしまった。



     おわった・・・・



 この一瞬で色々な事を覚悟した。

 死産ではなかったが、障害か病気は確実にあるだろうと、NICUなんかに入ったらしばらく出てこれないだろうと・・

  あの子の人生を狂わせてしまった

 しかし、この首しか動かない状況で何も出来ない事に観念して、急に緊張の糸が切れぼーーっとしてしまった。


 そこから30分ほどして、無事嚢腫の摘出が終わり、先生は去っていった。またベッドに戻され病室に戻った。
 数時間は麻酔が効いていると、全く動かない状態で、夫が入ってきた。
 先生に、一連の手術の話を聞いて、子供の事は産科ではなく小児科の担当になるため、30分後にNICUに来るように言われていた。


 手術中の話をしていたらあっという間に時間になり、夫は一人NICUに向かった。
 病院の決まりで、この時は一度出ると面会はもうできないため、状況はLINEするという事で別れた。


 だんだんと麻酔が切れ、痛みと不安で、薄暗い部屋で気分も落ち込んだ。

全く、出産を終えたという感覚にはなれなかった。


 そりゃそうである。お腹を痛めて産んでないどころか、顔すら見ていない。体重も知らない。正直生きているかすらわからない。
 手が動き始めてお腹を触っても、まだぼっこりとお腹が出ている。

 手術前からの変な汗で、自分が汗臭いのがわかった。


 まだかまだかと待っていたら、LINEが鳴った。


   「一言でいうと「元気!」」
と同時に、赤ちゃんの写真も添付されていた。


 そこには、鼻に管が通っていて、左腕は包帯で巻かれたおむつ一丁の赤ちゃんがいた。


 その痛々しい写真に、夫の言う「元気」というのも私が心配しないように気を使って言ったのだろうと思うと余計泣けてきて、
 元気に産んでやれなかった申し訳なさと、今後どうしていけばいいのか、
障害や病気とどう向き合えばいいのか、麻酔が切れた痛みが重なって涙が止まらなくなっていた。

    最悪な出産記念日となった。

            ~続く~

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