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カサンドラと呼ばれる日まで

突然ですが、今日は私のパートナーについて書いてみようと思います。

年齢は年上、とても心優しく、どんな時でも私を笑顔にさせてくれる人。そんな彼には、発達障害とパニック障害があります。

後者は実生活でそこまで困ることは多くなく、時々満員電車に乗れなかったり(補足:体調を崩してしまうため、急行でなく各駅に切り替えるなど)某テーマパークに行けなかったり、物凄く大きく括ると、「時と場合によって、人混みがかなり苦手」という部類です。

私自身も適応障害を患ってから、人混みへの恐怖心が増しているため、ここに関してはむしろ互いに理解しやすくなったし、あまり生活に及ぼす影響、という程の事はありません。

ただ、発達障害となるとまた話は変わるんですよね。

彼の両親は、彼が発達障害であることを知りません。彼の弟は自他共に認める発達障害なのですが、なぜか兄は気が付かれないままここまで来てしまいました。

私がその気配を疑い始めたのは一年ほど前。驚くほどに集中力がなく、基本的に話し合いの場でも手遊びや他に興味が移ってしまうし、目の前にやる事があっても他の事をし始めたり、やる事が重なると基本忘れます。

話が耳に届くまで2,3回はかかるし、電気も異常なほどに消し忘れが多く、鍵もかけ忘れがひどい。目の前に置いていたゴミ出しやお弁当さえ忘れる。質問に対する答えになっていないことや、掠ってはいるけどあまりに大きすぎる答えだったり。(分かりやすく表現すると、今日のお昼何食べた?と聞かれ、チャーハンを食べたけど「お米料理!」と言うようなイメージ)前夜にお願いしたことすら忘れられるし、会話の内容は本人の頭の中で勝手に作り替えられて記憶されているから、そもそも会話にならない。

そんなこんなで、疑いを持ち始めました。質問に対する答えを的確に簡潔に述べたり、集中力をフルに発揮できるのが私の飛び出た強みでもあったので、これは個体差、と思いながらも、遺伝子レベルでの問題要素も、かなり感じていたのです。

というよりも、「発達障害だから仕方ない」と言い聞かせなくては、やっていけない、という表現が最も近いです。

私は長らく塾講師や家庭教師をしており、本業にしようか本気で悩んだほど、子供に対する忍耐強さと対応力は相当身についています。それでも、さじを投げたくなるほどなのです。
既に社会人の自分よりも年上の人を相手に、子供を相手にするような丁寧な話し方で、同じことを数十回繰り返し指摘しないといけない。

言葉を選ばずに言うと、発狂しそうになることが多すぎる。

それゆえ、私は彼と婚姻関係を結ぶかどうか、そしてパートナーとしての関係を終焉させるかどうか、非常に悩んでいます。なぜなら、発達障害はかなりの確率で遺伝するし、彼の場合は兄弟共に発達持ちだからこそ、ほぼ確定だと思っているからです。

自分は子供が欲しいし、子供を授かれたらと思っている。でも、彼と設ける子供は、きっと同じような個体。そう思うと酷く恐ろしくなるのです。
これが倍増するなんて、考えただけで思いやられるレベルだから。

世の中には、カサンドラ症候群という言葉があるほど、発達のパートナーを持つ人の辛さは世に知れ渡っていますし、それだけメジャーな問題です。そしてこの問題は、当事者がどれだけ主体性をもって改善に取り組むのか、その努力が出来るのか、それにかなり依拠していると思います。

そういう性質であること自体は本人に責任はありませんし、それ自体が不愉快なわけはない。でも、本人が何とかしようとしているか、少しでも解決できるようなアクションをしているのか、その有無でこちらの心持ちは、平穏にも地獄にも落ちます。

そして今の私は地獄サイド。私の休職中も、毎日毎日「今日は何してたの」「美郷はニートだから(本人は面白おかしく話してるつもり)」「俺なんて全然寝てないのに、俺なんてこんなに忙しいのに」というのを、鬱でほぼ寝たきりの私にも、休職の自己嫌悪や罪悪感で隠れて悩み、泣いている私にも平気で言いますし、未だに休職いじりは止まりません。

先日、同じような子供を持つお母さんが、「自分が嘔吐している後ろで、ダイの冒険(ゲームソフト?)の値段が2000円に下がりましたね。と平然と言ってくる子供に気が狂いそうだ」というような旨のツイートをしており、バズっていました。

世間からしたら、この類の人と深く日常的に接する必要も、それを強いられることも中々ないからこそ面白おかしくいじる人が大量にいますが、遺伝子レベルで問題を抱える人と常に共にする人からすると、もう限界。の叫びです。

私を虐待を日常的に受けて自我を失うような世界から連れ出してくれたのも彼ですし、根拠のない「大丈夫」を信じてもいいと思えたのも彼が初めて。温厚で基本的に何があっても落ち着いて対処できる彼に助けられることも多い。

でも、それ以上に彼の遺伝子レベルの発達ゆえに、悲しみ、苦しむことが多すぎた。


初めて、こんなリアルタイムな苦悩を吐き出してしまいました。

カサンドラ症候群の意味さえ分からなかったあの日に戻りたい。

普通の人を愛せたら、どれだけ幸せだったんだろう。

そんな愛する人との子供を待ち遠しく思えたら、どれだけ良かったんだろう。

どんなレベルの発達を抱える子供が生まれるのか、発達持ちがほぼ確定している子供を自分は待ち望めない。

葛藤と悩みはまだ続きますが、もう解放されたい、というのが今の正直な気持ちです。


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