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認知症の義母との日々、こうしてみたら楽になりました。

ゆっくりゆっくりと進んでいく義母の認知症。私は三年日記をつけ始めて今年で三年目だが、前の日記を読むと、三年前もほぼ同じ日々を過ごしていた様だ。お風呂を嫌がり、ディサービスを嫌がる。毎晩一緒に夕飯を食べているのに、毎回お金を払うと言い出す。食事代はまとめてもらってるから、大丈夫というと、そうなの?なんで?と怪訝な顔。二年前の日記にもほぼ同じ事が書いてあり、笑ってしまう。今は笑っていられるが、以前はもっといろんな葛藤があった。

義母は記憶力も理解力も判断力もどんどん低下しているのに、プライドと思い込みと好き嫌いの感情だけは全然低下せず、自分が思っているのと違うとかなりうるさく怒りだしたり、泣いたり喚いたりもした。いつも不機嫌だった。というか、今も基本的にはそうだ。
記憶力理解力の低下は、前より酷い。

だけど、揉め事が減った。
私達が諦めて、あれこれ言わなくなったから。
今は、もう諦めて、ディサービスもお休み。風呂も嫌なら、ああそう?と言って、また次回に。何回言われても、うんうん大丈夫ですよ。と全然大丈夫じゃなくても、とにかく大丈夫だと言っておく。
以前は、どうやったら解りやすいだろうか、どうしたら揉めずに済むか、どうしたらおばあちゃんが心穏やかに過ごせるか、ディサービスに楽しく行けるか等、なんとかしようと必死だった。耳も遠く、話も通じ辛く、会話も全く続かないので、楽しく会話する事もできない。でも、良かれと思って色々してみても、全然上手くはいかず、こんなにやってあげてるのに!という気持ちばかりになって、こちらのメンタルダメージばかりが増えてしまっていた。

だんだん、私も夫も、もう最小限に関わることにした。冷たいかもしれない。でも、そっと見守る事にしたといえば、少しは言い方がマシになるだろうか。
これは、頑張ってどうにかなるものでは無いという事が、身をもってわかったからだ。
おばあちゃんに良かれと思ってした事もあるし、ただ単に私達がその方がやりやすいからという理由でいうこと聞かせようと躍起になった事もあった。でも、そんな葛藤も、全部経験してみなければ分からなかったので、その騒動の一つ一つも必要だったのだと思う。
全部ひと通りやってみて、上手く行かないので諦めてみたら、おばあちゃんも落ち着いた。落ち着いたというよりは、ますますいろんな意欲が低下して寝てばかりいるので、落ち着いたと言えるかは疑問。

まだご飯はしっかり食べるので、この先まだ頑張って生存はしそう。今のところ致命的な疾患は何も無い。トイレも自力で行けるし、歯もあるのでご飯も食べられる。
もう、それだけでいいじゃないか。
ずっと寝ててもいいじゃないか。
わけわかって無くてもいいじゃないか。
私達があれこれやってる事を全然気づかないで何かというと怒ってばかりでも、いちいちそれに腹立てなくてもいいじゃないか。
独り言でブツブツ悪態ついている時もあるけど、それも全部スルーすればいいじゃないか。以前は、はぁ?何言ってんの!?こっちの気も知らないで。と思っていました。これにスルー出来る様になったのは、成長でした。

こうなったのも、夫と私のおばあちゃん介護に対する熱意が同じレベルに低下したから。二人とも、日々おばあちゃんに対してやるべき事のレベルが最小限で落ち着いたから。
以前は、もっとディサービスに行った方がいいよ!と私が熱心だったし、そんなに嫌なら入らなくていいんじゃない?という私に、ダメだ!風呂に入れなきゃ!と夫が躍起になってみたり、熱くなる所がチグハグで、それも葛藤の一因だった。

なんか子供の教育方針が違って揉めてるみたいな感じだっかも。
振り返ってみれば、我が家では子どもの教育方針という様なものもそんなになく、勉強やスポーツに親がシャカリキになった訳でもなかった。とにかくご飯はいっぱい作って食べさせる。後は、それぞれ好きな様に頑張ってね!というとてもアバウトな方式だった。おばあちゃんに対しても、それで行こう。

今も義母は夕方になると、私の晩御飯は作ってもらえるの?と、なぜか心配になって何回も聞きにくる。めんどくさくなって、夕飯の時間を早めた程だ。笑

もうご飯だけ作っとけば大丈夫!
おんなじ服着てても、風呂入らなくても、ディサービス行かなくても、大丈夫!

嫌がる事は無理にさせない。

これで、だいぶ楽になりました。
もしかして、どなたかの参考になったら幸いです。