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ASOBIJOSの珍道中⑪:ようやくモントリオールにも春が

  コンクリートのビル群が並んだモントリオールの中心街の北側に、あまりに唐突に、近代フランスの香りがむんむんと立ち込める石造りの巨大な門が立ち現れまして、その門をくぐると、急に別世界のように、伸び伸びと育った樹木と芝が生い茂った一面の緑が広がります。その門からは広い舗装道がまっすぐと伸びていて、その左右のベンチに座った大学生たちのうたたねまじりの読書や、健気で不毛な色恋を、ふくふくとした花々の咲き乱れた花壇が縁取りを与えています。
 カナダで最も長い歴史を持つ名門、マギル大学。そこから東へ歩いていくと、石造りの高い建物群と、それに負けじと背伸びをした街路樹の生い茂った、かつてよりの学生街、マギル・ゲットーと呼ばれる地区が広がります。
 古風な建物にはレトロな表情を形づくる窓がずらりと並んでいて、ところどころ、カラフルなペンキで屋根のラインや窓枠にお化粧がほどこされていたり、レンガの壁の一面には、巨大な女性の肖像画や、抽象的な形をした生き物が手を繋いで宙に舞う絵のストリートアートなんかが散見されます。
 日曜日の朝は、遠くの大聖堂から鐘の音が鳴り響いてきて、あくびをしながらバルコニーに出て、陽光がふり注ぐ通りを見下ろせば、リードなどつけずに白い子犬を連れて歩きながら、高らかにビブラートを効かせてシャンソンを唄っている老人の姿が見られるのでした。
 私たちは、こうした学生が単身で暮らすための、ベッドルームとキッチンが詰め込まれただけのワンルームに、狭苦しく、二人で暮らしていました。
 ”ぅわぁ〜、もう春やね”
 ハトはともかく、スズメやツバメのような小鳥が増えてきたのです。春と言っても、すでに5月に入っており、ようやくのことでした。

 ”モントリオールってこんなに人おったんやね”と、松山出身の大都会人MARCOさんも思わず感嘆の言葉を漏らしてしまうほどの変わり様でした。
 至る所に花が植えられ、カフェもビストロもこぞってテラス席を広げ出します。人々もようやく重苦しいコートとニット帽を脱いで、色とりどりのシャツや、珍しいロゴの入ったキャップ、やや古風に伸ばした口髭、タペストリーのような布地のハンチング帽などを身につけて、街に色彩を与えるのでした。
 路上にもギターの弾き語りや、バイオリンを弾く人などがポツポツと現れ始め、地下鉄の駅構内では、大きなアンプを置いて、伴奏を流しながらマイクを握り、スペイン語で、どこか中南米の民謡を歌っている中年男性の姿もありました。北米随一の芸術の都、ようやくのお目覚めです。

 ”あのおじさん、いくら稼ぐんやろねぇ”
 ”さぁ、、。なんかカナダの大学の実験で、大学院生にボロボロのホームレスの格好をさせてモントリオールの夏の3ヶ月間、ひたすら全力で物乞いをさせたところ、2万ドル(約200万円)稼いだっていう研究結果もあるらしいよ。”
 ”え、私らのバイトより稼いでるやん”
 と、いうわけで、その数日後、私たちも日本の伝統色と伝統模様をあしらった着物に袖を通し、竹とお扇子を持って街へ繰り出すことにしたのでした。

 まずは、ジャン・タロン市場と呼ばれる、街で一番大きい食料市場へ向かいました。カキやロブスターを陳列した魚屋に、牛肉に特化した肉屋や、ウサギ肉やカモ肉、羊肉などをずらり並べた肉屋もあって、季節の野菜や果物を並べた八百屋、見たこともないようなチーズとサラミを売るデリ、他にもオーガニックの石鹸屋に、中東のお菓子屋、焼き立てのパンやパイを売るベイカリーに、コーヒー豆、スパイス、お茶を何十種類も売るお店などがギッシリとひしめいていました。そうした市場の一番メインとなる通りを抜けていったところに、ちょうど一本、大きなカエデの樹が立っており、買い物客から見たら、とても良い感じに絵になる場所が見つかりました。

 さっそく私たちはそこにアンプを置いて、パフォーマンスを始めました。すぐ私たちの後ろ側には全く人気のなさそうな手巻き寿司のチェーン店がありましたが、「寿司屋に日本舞踊と尺八が怒られるはずがない」という全く根拠のない自信で、思いっきりアンプの音量をひねって、私は高らかに尺八を吹き、MARCOさんはお扇子を広げて舞い始めました。
 これが驚いたことに、想像以上の好反応を得て、みるみる内に人だかりができ、あれよあれよという間に、バケツに積もるほどの小銭や5ドル札が投げ込まれてくるのでした!
 ”君たち絶対にあっという間に有名になるよ!”
 ”土日においでよ!もっと人すごいから!”
 などと、話しかけてくれる人も多く、MARCOさんはひっきりなしに写真をせがまれるような有様でした。ひとまずこの日は一時間ほどで切り上げることにして片付けをしていたのですが、”本当に感動したわ”と目を輝かせながら、わざわざ現金を下ろして持ってきてくれる人もいたのには驚いたものでした。

 謙遜でもなんでもなく、私たちの芸など、日本ではびた一文の値打ちもない、ただの半端な見習い芸なのです。それが、所が変われば、こうも、、、。
 ”よし、うまいもん食おうや”
 と、お調子者の私たちです。
 さっそく市場に戻っていくと、肉屋ではトリプルAグレードのニューヨークストリップステーキを買い、八百屋では春の旬菜、丸々と太ったアスパラに、真っ赤に熟れたいちごを一箱、瑞々しいラディッシュの束なんかを次々と買い込み、やれブルーチーズにブリーチーズだ、何?そっちはオリーブオイル屋だと?おれは子供の時からパンにはバターじゃなくて、オリーブオイルと塩をつけて食うんだ!なに?おすすめだって?こんなちっちゃい瓶で35ドル(3500円)?たまにはええやろ!あ、ワインも、ワイン、ワイン!
 と、金は入ってもすぐに出ていくのが、世の不思議。いや、阿呆二人。

 狭いアパートに帰って、お腹がはち切れるほど食って飲んで、騒ぎ倒した私たちは、冷静に計算してみると、たったの一時間の演奏で55ドル60セント(約6000円)も稼いでいたのでした。もちろん、その後の買い物の方が余裕で高かったのですが。
 ”単純に計算して、朝から6時間もやれば300ドルはいくわけやんな?”
 ”土日だったらもっとやない?”
 と、これこそまさに、取らぬタヌキのなんとやら。
 ”よし、カナダの帰りに中南米で豪遊や” と、
 陽気なラテンジャズをスピーカーで流し出すと、頭の中では常夏の太陽がさんさんとふり注ぎ、ヤシの木の揺れる下、アパートの固い床もすっかりビーチの砂浜に成り変わって、ザッパーンと打ち寄せる波音さえもがどこかから響いてくるなか、微笑みながら、床に突っ伏して。ぐうすかと、いびきをかき出す私たちなのでした。 
 

   

 

 
 

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