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【どうする家康】ディスればディスるほど恥ずかしい?ボーっと生きてるアンチへ捧ぐ。第9回「守るべきもの」もっと深掘り

NHK大河ドラマ『どうする家康』(以下、『どう康』)第9回のもっと深掘り感想です。
前回の感想はこちら↓

(※以下、ネタバレ注意)
(※本記事のセリフの引用箇所は一部ノベライズに準拠しており、ドラマのセリフとは異なる場合がございます)

ディスって反論されたらブチ切れのアンチ。ダサくね……?

前回の第9回「深掘り」記事なんですけど、またすごいことになっておりまして。ダッシューボードを見ると、69,243ビュー(最新集計時刻 2023年3月11日 23:49)なんて数値を叩き出していました。

第4回で清須城(清洲城)のCGについて触れた記事を超えるほどのヒット記事になってしまいましたね……ありがたいやらお恥ずかしいやら。

ただこれだけ見ていただけると、「ムカつくアンチに対してよくぞ言ってくれた!」という賞賛も声をいただけると同時に、「バカって言い方はどうなんだ」「平原学とかいうのがまた何かほざいてる」みたいな、名指しも含めたアンチの方々の反論の声もございまして……。

それだけファンもアンチも含めて読み手に刺さる文章書けてるんだということは、ライターとして誇るべきことなのかもしれませんけど。でもやっぱり僕も人間ですから、ディスられたら傷つくのは傷つくのよ。もちろん、「傷つくからヤメテ」という子供じみたことを言うつもりはないです。僕が煽るような言い方をしたからで、煽ればまた文句言われるのも覚悟の上ではありました。

それでも一応、言葉は選んだつもりですけどね。前回は「ボケェ」でしたけど、今回は「バカ」にしました。それこそ「バカ」なんて言葉は、書籍のタイトルになるくらいありふれた言葉ではあります。養老孟司さんの『バカの壁』というベストセラーもあるくらいですし。

「バカ」がダメなら、じゃあなんと言いましょうか。人気バラエティ番組『チコちゃんに叱られる!』に倣って、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とでも言いましょうか。だいぶ長くなっちゃいますけどね。別にどっちでもいいですけど。

ただ、この僕の記事に批判飛ばしてる皆さん、そして『どう康』という作品そのものを貶している皆さん、Twitterなんかで見てみるとアイコンも何か適当ですし、名前なんかも個人が特定できないような方々だったりするわけですよ。こっちは顔も本名も晒して堂々とレビューやってんのに、テメーらは顔も隠し名前も隠し、安全圏にいながら石投げつけてんじゃねーよ、と。これは俳優・檜尾健太さんのドラマレビューでも言われていました。

そして「批判する」ということは、逆に僕を含めたファンの方々を敵に回しているわけですから。逆に僕らから批判されることだって覚悟しておけよと思うわけです。言ってみれば、「安全圏から石を投げてたつもりが、逆に石を投げ返された」状況で、急に被害者ヅラして「人に向かって石投げるなんて酷いじゃないですか」とか文句言ってきてるみたいな。いや、どの口が言うの?投げたら投げ返されるのも当たり前じゃねーかおめーらよ。ディスに反論キメたら急に顔真っ赤になって怒り出すとか、ダサくない?と思うわけです。

ただそういうこと続けて、僕も「よし、ならば戦じゃ、一揆じゃ!」みたいなことをやりたいわけではないです。それがまったく不毛だということもわかっている。「まぁ、批判の声は消えないから、それも込みで作品を盛り上げてくれてるという考えでいいんじゃないかな」みたいなことも、前回書きました。ファンはファン同士でつながればいいですし、アンチはアンチで同士仲良くしててくれよな、と。賛否両方の声があって、作品そのものが盛り上がっていけばいいんじゃないですか。

だけどもし、例えばハッシュタグ「#どうする家康」と「#どうする家康反省会」タグを混ぜて使っちゃったりだとか、わざわざファンが集まってるコミュニティに入ってきて文句を言ったり、過去の大河作品のコミュニティで、例えば「『鎌倉殿の13人』に比べたらクソつまらん」みたいなこと言いやがったりとか、領域侵犯するようなことやるんだったら、その時はファンだって黙っちゃいねぇと。

そしてやっぱり、そういったアンチの方々の発言が目につくと、僕だけじゃない、他のファンの方でも不安に思われたりするんです。僕も豆腐メンタルですけど、それよりもっと崩れやすい、綿菓子みたいに繊細なメンタルの方々だっているんです。そういう心優しいファンを傷つけるようなことしやがったら、俺らだって徒党組んで文句言い返すぞと。そういうことですね。

松本潤さん演じる家康はずっとヘタレなのか?第1回~4回まで一挙振り返り

それにしても。なんでこんなに面白い『どう康』をみんな叩きたがるのか、という点は今後も細かく考察する必要があるんじゃないかと思うんですけど。アンチの方はアンチの方で違う視点を持ってドラマを見ているはずで、それはそれで「一つの鑑賞ポイント」という言い方もできるわけです。

そしてそこが逆に、アンチの方への反論の余地にもなるというこですね。僕は今まで「CG」、そして「視聴率」の面から反論してきました。で、今回は松本潤さん演じる「主人公・家康というキャラクター」の面から語っていければと思います。

アンチの方がよく叩くのが、この「家康」というキャラクターの弱っちいところ。やっぱり、よくある人気アニメなんかと比べて真逆な性格ではあります。『ドラゴンボール』の悟空だって、『ONE PIECE』のルフィだって、初めから強いわけです。

ドラマで言ったら、まさに松本潤さん主演の『99.9-刑事専門弁護士-』の深山大翔(みやまひろと)なんかムチャクチャ頭も切れるし、料理の腕も天才的でした。クソくだらないおやじギャグを言うのが玉にキズではありましたが……何度も見てると「早くおやじギャグ言え、言ってくれ!」となってしまうような、妙な中毒性もありましたね。むしろ香川照之さん演じる佐田篤弘(さだあつひろ)のギャグの方がサムすぎて、「深山、はやく手本見せてやれよ!」なんて思うことすらありました。

また、歴代の大河ドラマはどうだったかと言えば、そりゃあ子供時代からスタートする作品が多いので、最初は弱っちいのは弱っちいですけど。どこか秘めたる強さを持っていたり、負けん気が強かったりみたいなところは描かれていました。

そして『どう康』も、主人公は幼少期(当時は次郎三郎)に今川義元のところで人質生活を送っていましたけど。そこで初恋の相手・瀬名をかけて氏真と戦ったとき、妙な技を使って氏真に勝利していました。どうやら織田のところで人質生活を送っていた時、信長との地獄の相撲の中で身に付けた技だったということみたいです。

しかし、そういう「秘めたる力」みたいなものは従来の大河の主人公と同じように第1回から発揮していながら、メンタルが弱すぎる。桶狭間ではうまいこと大高城への兵糧入れを成功したものの、今川義元が討たれたと聞いて一人だけ逃げ出しちゃいましたし。「いや大将としてありえねーだろ!」ってところで、それは確かにドラマ的な脚色でもあるんですよね。一応、平八郎によって連れ戻されましたけど、今度は織田が大高城に攻めてくると聞いてガタガタ震え、一歩も動けない有様に。

伝承では、「義元の死の確証を得るまでは城内に留まっていた」と伝わっていますが。これが果たしてその通りなのか。実はドラマのように、内心、信長にビビり倒していたかは不明です。当時の家康(当時は元康)の気持ちなんて本人にしかわからないわけですから。

まぁ専門家の方も反論されてたりしますが……別にこれはこれで、「脚色が過ぎるからダメ」なんて話はされてない。でも、アンチの方はこの時点で「史実に沿ってない!」「だめだこの主人公、ザコすぎw」となったことでしょう。それはそれで理解できる。もっと血湧き肉躍るような合戦活劇を求めていた方はここで離脱しちゃいますよね。

で、第2回、命からがら逃げこんだ大樹寺。もうダメだ、死のうとしていたところで、かつての織田家での人質時代を思い出す主人公。そうか、わしは虎だったはずなんじゃ……と。まるで「覚醒」を迎えたようになりました。ただ、「道をあけい!」と叫び裏切り者の松平昌久らをはねのけて岡崎へ帰ると、それによって妻子の元へ帰れなくなり「これからどうしよう……!」

これもわからない方は、「なんだこれ、何を見せられたんだ?」という感想を持ったことでしょう。素直にキャラクターの成長を描いてくれたらいいのに、またヘタレに戻ってしまうって。しかしここは、「ステラnet」の解説がとてもわかりやすく表現されていました。

見た蔵:で、第2回では家康が優柔不断から強い意志を持った武将に突然変身しましたよね。これが唐突な感じで、ちょっと引っかかるんだよな……。
同 門:確かに、二重人格っぽかった。「ジキルとハイド」というか……。「変身!」だよな。
見た蔵:このドラマには、初代「仮面ライダー」の藤岡弘、や戦隊ものの「海賊戦隊ゴーカイジャー」で俳優デビューした山田裕貴も出演。ふたりとも「変身!」してた(笑)。このドラマって、「変身」に縁があるみたい。
同 門:ここでは信長と家康のセリフにあやかって、家康の二つのキャラを、「ラビット(兎)サイド」と「タイガー(虎)サイド」と呼ぼう。この二つのサイドが団扇の表と裏みたいにさっと入れ替わるみたいだった。

「どうする家康」が“居心地の悪い”ドラマに感じるのはなんで⁉ 大河初心者の“見た蔵”とマニアの“同門センパイ”が第2回を大胆レビュー!│ステラnet

要は「変身ヒーロー」にも近いような、主人公が二面性を持ったキャラであることが判明したわけですけれど。これもわからない人にはわからないまま。「つかみどころのない主人公だ」という感想だけ持って、モヤモヤしたまま次の週を迎えたと思うんですね。

そして第3回なんて、あんなに慕っていた今川を裏切って織田につくわけですから。戦で仲間の兵も次々と死にました。今川に残してきた人質も殺されました。これも史実通りの流れとはいえ、あまりにショッキング過ぎて、「えー……」とドン引きした方もいらっしゃったと思います。僕なんかは「まるで『まど☆マギ』だ!」と衝撃を受け、もう次が見たくてたまらなくなったんですけど、この鬱展開がイヤになっちゃって観るのを辞めた方もいたでしょう。

第4回では、いよいよ妻子の命も危うい。ここにきてようやく今川と戦う意思を見せつけるわけなんですけど。ここはまた檜尾健太さんも絶賛されてましたね。織田信長から向けられた刀を素手で受け止めて、血がタラリ……ベタでな表現ではあるんですけど、ただ、これまでは言われるがままだった元康が、それもあの畏怖の対象であった信長に向かってようやく自分の意思を伝えられたということで胸熱のシーンになっていました。

だけど残念ながらアンチの方々は、最初に出てきた清須城のCGの時点で「これは清須城ジャネーヨww今回もギャグ回じゃないかww」って見方してるので、松本潤さんと岡田准一さんのやり取りのシーンは完全に見逃されていたことでしょう。見たとしても「痛そう。ってか、ベタだな」ぐらいにしか感じなかったでしょうから……。

第5回~9回の振り返り。「三河一揆編」でアンチのストレスはいよいよピークか?

第5回、6回に関しては、ほとんど主人公の活躍は無し。半蔵と正信の活躍に、「もう主人公、こいつらでいいんじゃね」なんて思った方もいらっしゃったようですけど。まぁ、確かにそれくらいキャラは立っていたと思います。

それでも主役の成長を追いかけている側としては、正信や半蔵に命令を下す殿の表情とか、そしてようやく瀬名を奪還した人質交換の場面での、氏真への視線の向け方とか、いろいろグッとくるところはあったんですけど。やはりアンチは見ていない。それよりも「第5回なんか、完全に創作回やないか」「瀬名を助け出すのに時間かけすぎだろ」というところで文句を言ってしまう。

そして第7回から第9回。恐らくアンチの方々としては、一番ストレスが爆発する回ではあったと思うんですよ。自分の勝手な判断で一向宗から取り立てを行った殿。家臣たちから責められるも「わしは三河の主だぞ!」とふんぞり返ってる殿。せっかく助け出した妻の瀬名にまで「あほたわけ!」と言われてしまう始末。

殿や瀬名の成長をこれまでずっと見守ってきた側としては、「ちょっとやり方は強引だけど、今まで振り回される側だった殿が、ようやく自分から行動できるようになってくれた」「瀬名だって、三河に来て間もないのに、殿に向かってしっかり意見を言える芯の通った女性で、推せる」「駿府の女だった瀬名ちゃんが、まるで三河の女みたいに『あほたわけ』……それもある意味いじらしい!」なんて感動できたポイントだったりしたわけですけど。

で、いよいよ一揆を収めて。悪かったのはどっちなの?一向宗?殿?それとも武田の間者(スパイ)だった千代?なんて。いずれにしても「丸く収まった」とは言えない。ラストで「厭離穢土、欣求浄土……汚れたこの世を、浄土に」「そんな大それたことができるのかの、このわしに」「できるような気がします、なんとなく」という瀬名と殿の感動的なやりとりにも、アンチの方は「なんとなく、てwwwwwwww」と大草原だったことだと思います。

結論:ファンとアンチの心の隙間は一生埋められない?見ているところが違いすぎるんだもの……

……で、あえて僕、アンチ目線で一気に駆け抜けてみましたけど、わかりました?アンチの方っていうのは、「ファンが推す大切なシーンを、ことごとく見落としている」んですね。これは皆さん、一生ファンとアンチとの心の隙間は埋められませんよ。というか無理です。

主人公の家康がヘタレだヘタレだと言われますけど、ずっとヘタレなわけじゃない。緩やかなスピードですけど、確実に成長はしているんです。だけど、アンチは見落としてしまっている。むしろ、あえて「見ないようにしている」とさえ言えるのかもしれません。

アンチの方は途中から「叩く」という行為に目を向けることに躍起になりすぎて、逆に演技の素晴らしいところ、全体の流れとして見応えが感じられる部分に目を向けたがらなくなっているようにすら思えてきます。「だってCGが気になるんだもん」とか「史実に即してないから」とか……いや、枝葉末節すぎるて。

だからこそ、アンチの方が批判する箇所って、ファンにはぜんぜん響いてこないんですね。だって、叩けば叩くほど「私はドラマというものの見方がわからない、ボーっと生きてる人です」という醜態を晒しているだけなんですから。もう一度、第1回から見直せよと言いたいですけど……まぁ、無理でしょうね。「そんな暇人じゃねーよw」と笑われるか、暇があったとしても見てる途中で寝てしまうかどちらでしょう。

でも、僕らファンとしては、そういう方でもやっぱり大事にしたいなという気はします。ボーっと生きてるにしても何にしても、一応は観てくれているわけですから。そういう人たちって、何だかんだ悪い人たちじゃないと思いますしね。

ただ逆によ、「もう見てない」って言いながらディスってる連中。あんたらは何なんだと……もうさ、君たちは君たちでさ、『どう康』なんてコンテンツ忘れて、君たちの好きなコンテンツの方に行ったらええやん。

人生というものは有限なんですから、嫌いなもののために貴重な人生の時間を使ってくれなくていいですよ……スパッと切ったならスパッと切ってくれて、もう見向きもしてくれない方が利口な気がします。潔い。クレバーな生き方ですね。

そう、だから「『どう康』を見ない僕はバカですか?」なんて、そんなこと言ってないの。こっちは別に押し付けるつもりもないし、見たくなくて見てないんだからただの正直な方です。ご立派。そしてそういう人達はもうアンチとは思ってませんから。少なくとも今年の大河ドラマを通して僕らが関わり合いになることはありません。機会がありましたら、別の作品でお会いしましょうね。

それでも、「もう見ない」と言いながら『どう康』というコミュニティに羨望の眼差しを向けたように、ディスというやり方を通して何とかつながり続けようとしちゃうあなた方……本当は寂しいの?戻りたいの?とか思ったりしますね。

いや、わかりますよ。『どうする家康』というタイトルを見て、「ヘタレな主人公がどんどん勝ち進んでいくサクセスストーリーだ!」と希望を抱いた皆さん。蓋を開けてみたら、なかなかサクセスの方に進んでいかない……もう始まって3か月だぞ!と。三河を統一するだけでこんなに時間かけてんじゃねーよ!とイライラしちゃってる方もひょっとしたらいるのかもしれません。

1年という連ドラは長いよな。わかるよ。普通のドラマって3か月で終わるもん。1月から始まった他の民放の連ドラはもう大団円を迎えている時期に、『どう康』だけ進みが遅い気がするよな。

そういう方はさ、4月ぐらい、あるいは最悪、夏ぐらいから戻ってきてくれても大丈夫だと思いますよ。実際、過去の大河ドラマでも、中盤とか、後半からの追い上げで人気を博した作品はあります。それこそ岡田准一さんが主演を務めた『軍司官兵衛』なんかね。中盤、投獄されたりしてる時期が辛かったですけど……終盤は「いよいよワシが天下を取る番が来たのか!」みたいな胸熱展開でしたよね。

大河ドラマというものは長いですから。別に途中から見始めるのもぜんぜんアリだと思うんですよね。それで、「なんだ、面白いじゃん」ってなったら、配信とかでまた第1回から見直してみるでもぜんぜんアリアリだと思うのです。

最後に……僕らが「守るべきもの」って、何?

で、最後の締めに。なんか第9回のタイトルにかこつけて書いてみるんですけど。結局、第9回の「守るべきもの」って、めちゃめちゃ多義的なタイトルだと思うんですよね。殿にとっての「守るべきもの」であり、寺の門徒たちにとっての「守るべきもの」であり、家臣たちにとっての「守るべきもの」であり。いろんな「守るべきもの」が描かれる回でありました。

特に殿の側=大きな力と、そして門徒の側=小さな力のぶつかり合いがこうまざまざと見せつけられてきたわけで。どちらが間違っているということは結局なかった。殿にも貧乏な岡崎を立て直さねばならんという正義があるのはわかるけど、元々認められていたはずの「不入の権」を犯してまで無理やり取り立てるべきではなかった。寺の側も、戦を続ける武士や殿さんが悪いとか言いながら、いざ不入の権を侵されたら「わしらみんなの暮らしは、みんなで守るんじゃ!」と言って、結局、戦という手段に出るしかありませんでした。

強いて言えば、本田正信の言う通り、人々の救いの場を侵した殿の方が悪人っぽい。なのに最後、「寺を元に戻す」と言われて和平に応じた寺の側は、完全に取り潰されることになってしまって。まったく救いがない終わり方にも見えてしまうんですよね。一応、その約20年後には再建もされてはいるんですけど、この当時の僧たちにとっては絶望しかなかったと思います。

永禄6年(1563)秋ごろに起こった三河一向一揆では中心寺院として本願寺門徒を率い、徳川家康と戦いましたが、5か月後には破れ、三河は真宗禁制の地となりました。その後天正13年(1585)に禁制が解かれると、本堂などの再建を果たし、江戸時代には三河触頭三か寺の一つとして再興を遂げ、その末寺は二百余寺を数えるほどの寺勢を誇りました。

本證寺 概要│安城市

ただ、そんな絶望を抱えながらも、物語としては前に進んでいかねばならない。この絶望を無視することなく、天下統一という未来を描こうとしているのが今作の大河です。

見る人によっては、到底1年見続けられるものではないかもしれません。けれど、ショーマストゴーオン。どんなにアンチが批判しても、視聴率が伸び悩んでも、大河が途中で打ち切りになることは、少なくともこの60年の中でありませんでした。

僕も過去に何作も大河を観てきて、「なんて辛い話なんだろう」「これが戦乱の世というものか」と心が砕かれることが何度もありました。むしろ、今初めて大河に触れる世代の若い方々には、それに慣れていない方も多いのかもしれません。「こんなに辛い話は見たくないよ、さっさと打ち切ってくれ!」と。しかしあなたが見たくないものが、世の中から必要とされていないものだとは思わないでほしい。

大河ドラマというものは、エンタメ作品ではありますけど、「気付け薬」みたいな役割も持っていると思うんですね。1年通して見てみたら、ボーっと見ている人でもどこかハッとさせられる瞬間がある。全40数回のうちの、たった1回でも思い出に残る回があればいい。それだけで、あなたが見ている価値はあると思うのです。

だから、大河のアンチの方々、正直あなた方が何を守ろうとしているのかは知りません。ひょっとしたら、今のボーっとした生き方を守りたいのでしょうか。「たかが連ドラだろ?エンタメ作品だろ?ボーっと見ててイミわかんなかったら文句言っていいし、バカみたいなシーン出てきたらディスったっていいだろうがよ」と。ええ、ご自由にどうぞ。でもその生き方ってなんか、僕らからして見れば、ずっと第9回の冒頭シーンの殿のように、寝間着姿で寝室に閉じこもっているような姿に見えます。

そのままずっと、ひとりで閉じこもっていればいいと思います。誰もあなたを脅かす人はいません。けれど、あなたの目を覚まさせてくれる鳥居忠吉じいさんは、一生現れることはないでしょう。

ファンの我々は、殿と共に1年、その生きざまを見届けると決めました。どんな絶望が待っていようと、この物語を最後まで見届ける。その生き方が、我々にとっての「守るべきもの」です。そして大河ドラマで学んだことを、日々の暮らしにも生かしていきたいと思うのです。一年という長い時間をかけて歴史の偉人の一生を見られるわけですから、そこにはあらゆる学びや、人生のエッセンスとなるものが詰まっていますよ。

ひょっとしたらアンチの方も、そのふすまを少し開けると、また違った景色も見えてくるかもしれません。それはただ晴れやかな青空ではなく、血に汚れた地獄絵図かもしれません。それでもいいじゃないですか。永遠に続く孤独な退屈より、皆と共にある大きな絶望の方が、人生においては味わう価値があります。

「わしについてこいとは言わん!主君を選ぶのは、お前たちじゃ。好きな主を選ぶがよい!わしは!お前たちを信じる!供をしたい者だけ参れ!」

以上、第9回の殿のセリフを引用し、今回のレビューの締めくくりとさせていただきます。ご愛読、ありがとうございました。

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