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旅の記憶 1995年春 チベット〜ネパール編

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1995年3月 上海からチベットへ ヒマラヤを超えてネパールへ旅した時の記憶を写真をもとに振り返ります。
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旅の記憶 ラサの街を歩く

旅の記憶 ラサの街を歩く

29年前の春
僕はラサの街にいた

ラサについて何日目の写真だろうか
実はあまり覚えていない
多分体調が回復した
4日目か5日目だったのだろう

ラサの街は言わずと知れた
チベット自治区の省都ではあるが
この写真からわかるように
当時はそんなに大きな町ではなかった

同じ辺境の街ではあるが
夏に訪れたトルファンやパキスタンとは違い
女性の姿の方がよく目についた気がする

用途はよくわからないが

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旅の記憶 ゴルムド〜ラサ

旅の記憶 ゴルムド〜ラサ

29年前の春
僕はゴルムドからバスでラサを目指していた

話は前の記事と少し前後します
モノクロフィルムでゴルムド〜ラサの写真があったので
本日はその写真を見ながら当時を振り返る

前の記事はこちら↓から

前の記事に書いた通り
この時の記憶は曖昧だ

当時28時間で到着する予定のバスは
結局40時間かかって目的地のラサに着いたからだ

ラサの街は標高3600m
なんとこの街は富士山の頂上より高い

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旅の記憶 拉薩

旅の記憶 拉薩

29年前の春
僕はラサの街にいた

ラサの街はとにかく空が青かった
当時青空をきれいに撮ろうと
PLフィルターを持っていたのだが
フィルターを使用すると
空が濃い藍色になってしまうほど
この写真はコンパクトカメラで撮っているが
それでもこの青さだ

ただ、残念ながら
僕はこの街の標高に馴染めずに
たえず苦しい状態だった
歩くことも辛くて
ラサの街を十分に楽しめることが
できなかったのが悔やまれる

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旅の記憶 1995春 拉薩の河岸を歩く

旅の記憶 1995春 拉薩の河岸を歩く

29年前の春
僕はラサの街にいた

ラサに到着した翌日
ようやく体力が回復した僕は
歩いて近くの河岸まで出た

チベットの空は青い
ものすごく青い
青よりも濃い青
藍色とも違うとにかく濃い青だった

河岸を歩きながら
チベットの空気を噛み締める

ラサの街は標高3600m
富士山より高い位置にある
たあ歩くだけで息が切れて
高所にいることを実感する

体力の回復を意識しながら
明日はポタラや寺巡り

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旅の記憶 1995春 拉薩へ

旅の記憶 1995春 拉薩へ

29年前の春
僕は拉薩を目指していた

当時の日記より

1995年3月5日

西寧駅に到着
真っ暗な駅前から行く先も確かめずにミノとカトーと3人でバスに乗り込む。

車掌に行き先を告げていたが、真っ暗闇の中で下される。ホテルがどこかわからぬまま3人で闇の中を歩くがホテルらしき建物は見つからない。

小さなホテル(中国人用)を見つけて
再度尋ねる。たまたま居合わせたおじさんが、英語を少し話せて目指

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旅の記憶 1995・春 上海〜西寧 車窓から

旅の記憶 1995・春 上海〜西寧 車窓から

29年前の春
僕たちは上海から西寧に向かっていた

船旅を終えてすぐの火車旅
西へ西へと移動している感覚が
僕は好きだった
僕が陸路にこだわったのは
この感覚が実感できるからだった

飛行機だとあっという間に着く距離も
こうして陸路で時間をかけると
地球の大きさを
実感できる気がした

地図で見る中国大陸の広さを
体感として実感したかったのだ

本当は自転車で旅をしたかったが
そこまでの行動力がこ

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旅の記憶 1995・春 上海〜西寧

旅の記憶 1995・春 上海〜西寧

29年前の春
僕たちは上海から西寧に向かっていた

上海に着いたその日
僕たちはチベットの玄関口
西寧行きのチケットを求めて街を彷徨う
当時は火車(当時は機関車だった)
のチケットを手に入れるのは
とにかく大変だった

外国人がチケットを手にいれるには
市内に何箇所かあるチケット売り場を
ひたすら歩いて回るしかなかった

今と違って、ネットでチケットの一元管理を
しているわけではなかったようで

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旅の記憶 1995春 上海の街角にて

旅の記憶 1995春 上海の街角にて

29年前の春
僕は上海にいた

上海の街を歩く
南京路などの中心街は
人で溢れかえり
日本と変わらぬ近代的な雰囲気だったが
一歩裏路地に入ると
そこは時代が変わったかのように
ノスタルジックな世界があった

街のあちこちに
露天というには小さい
こんな感じの物売りの人がいた

大通りにはマクドナルドや
立派な店がまえの
レストランが立ち並んでいたが
ここは昔の時間がそのままのようで
価格も卵一つ5

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旅の記憶 1995上海 浦江飯店にて

旅の記憶 1995上海 浦江飯店にて

29年前の春
僕は上海にいた

上海で泊まったホテルは浦江飯店
上海港から歩いて行ける距離で
当時は多くの日本人旅行者が
このホテルを利用していた

鑑真号を降りた僕たちは
歩いてホテルに向かう
この時は同じような日本人旅行者が
このホテルを目指していた
受付で問い合わせた時には
「没有」(メイヨウ)
中国でありませんの意味で
文字通り 有るが没するで
ありませんと言う意味
中国では最もよく耳にす

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旅の記憶 1995春 上海の街を歩く

旅の記憶 1995春 上海の街を歩く

29年前の春
僕は上海にいた

切符を探して
上海の街を歩く

外灘を抜けて上海の街へ
観光客の姿は減り
上海の人々の生活を垣間見る

人も車も多かったが
とにかく自転車に乗っている人がたくさんいた

そして皆一応に
ビジネススーツを身に纏う
今ほど服装の自由はなかったのかもしれない

ちょとのどかな雰囲気
車線なんかははっきりしていなくて
クラクションが常に鳴り響いていた

当時は路肩の物売りな

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旅の記憶 1995春 上海外灘

旅の記憶 1995春 上海外灘

29年前の春
僕は中国は上海の外灘にいた

鑑真号を下船し
すったもんだの挙句
なんとかホテルにチェックインした僕は
そのまま上海の街に繰り出す

今回はチベット行きを目論んでいたので
チベットの玄関口
西寧行きのチケットを探すためだ

チケット売り場への道すがら
外灘を歩く

外灘とは上海市中心部の
黄浦区にある観光エリアで
黄浦区西岸を走る中山東一路沿い
全長1.1kmほどの地域を指す

わず

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旅の記憶 1995 春 鑑真号から

旅の記憶 1995 春 鑑真号から

29年前の春
僕は鑑真号の上から中国大陸を見ていた

3泊4日の船旅は
これから始まる旅への思いで
皆少し興奮気味で楽しい時間

天気が良い日中は
甲板に出るてみたりするが
何しろ太平洋のど真ん中
見渡す限りの海で、すぐに飽きてしまう

たまに飛び魚が並走したりすることもあったけど
とにかく時間を持て余すのだ

4日目の朝
船は太平洋から、長江へと入る
日の出のちょっと前くらいの時間に
海から川へ

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旅の記憶 1995年春 新鑑真号にて

旅の記憶 1995年春 新鑑真号にて

今から29年前の春
僕は新鑑真号に乗っていた

通算3度目の鑑真号
正確には新鑑真号は2回目で
最初に乗ったのは鑑真号

最初に乗った鑑真号は
船体も古く、くたびれた感じが否めず
船に乗った瞬間から
異国での旅が始まったような感覚があったが
新鑑真号は真新しい設備と快適さで
どちらかというと
日本からまだ出ていなような感覚だった

この時も、僕と同じような若者が
沢山船に乗り込んでいた

この頃は

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