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かわいい ふたりは、世界を変える《時事社会・時給自足》

 常夏さわやさんの描いた、れいわ新選組の新参院議員のおふたりがあまりにもかわいいので、

「みんなのフォトギャラリーにアップしてください!」

 とお願いしたら、リクエストにこたえてくださいました!

 

 私が常夏さんにアップをお願いしたのは、ひとつは「イラストとして純粋にかわいいから」です。
 あまりにもかわいくて、私の中にあった船後さんと木村さんへの心の壁や、「国会議員としてちゃんやってけるの?」という、ちょっとイジワルな疑問を、ばっこーん!とこわしてしまいました。

 そして、もうひとつは、「みんなのフォトギャラリーを《障害者》で検索したら、画像がなかったから」です。
 ていうか、駐車スペースの車椅子マークと、障害者手帳(赤手帳)の表紙の2つしかなかった……。

 なにこれ、ある種のブラックジョーク?
 うけるーwww

 

 …………(沈黙)…………

 

 てか、うけるー、の、わけないやろ!
 なにげにこれは本当にショックでした。

 「noteでは草は生やさない」をマイルールにしてましたが、こうやって草でも生やさないとやってられないし、やりきれない気分です。

 

・◇・◇・◇・

 

 noteはいい場所です。
 どちらかというとリベラルだし、反対の立場の人だって「いろいろあるよね」と包み込める度量があるし、運営自体もそういう方針です。

 だけど、noteで社会的な問題、政治的な問題を口にしたら、理解はあるけど、それ以上は踏み込まない、みたいな。あなたが言うのは勝手だけど、自分が意見表明するのはスルーで、みたいな。急に風が涼しくなったように感じることが多いです。
 でも、だからこそ、noteでは落ち着いて創作し、発表できるのだ、ということを、わかってないわけではありません。

 だけど……
 みんな善意は示すけど、「その問題」についてのクリエイティビティを働かせるところまできていないのではないか。
 みんなのフォトギャラリーを《障害者》で検索したら画像がたったの2つしかなかったのは、そのせいではないかと思うのです。
 (「障害の有無で区別したくないから、あえて《障害者》のタグを付けない」という選択があることも承知してますが、ここではそこまでは踏み込みません)

 でも。
 「クリエイティビティが働かない」ってことは、無関心、ってこととほぼいっしょじゃん!
 って、《障害者》タグの2つの画像を見ながら感じました。

 いや、みんなが完全な無関心であるわけなんてない、ってことはわかっています。なかには、何かできないか、と思ったけれど何もできず、《障害者》タグの手前でUターンしてしまったクリエイティビティもあったことだろうと思います。
 だけど、形として残ってないものは、「ない」のです。「《障害者》タグに画像が2つしかない」というビジュアルは、否応なく「無関心」を感じさせるのです。

 

 私自身は「障害者です」と宣言する気はないけど、生活防衛のためとはいえ、割り切って「うつ」で障害者手帳とって、障害年金も受け取っている当事者として、悔しくて、涙が出てきます。

 それでも私は、「健常者」に戻れます。メンタルの健康さえ取り戻したら。

 だけど、以前勤めていた障害者施設の利用者さんたちは、一生、障害者です。障害が重い人ほど、「障害者」という枠の中に閉じ込められて生きていくしかないんです。そのことを思うと、「みんな、なんでちゃんと向き合ってくれないの!」と、のどを破ってでも叫びたくなります。

 

 noteは、情緒的なことや、ビジネスで成功しよう、誰にもできない自分らしい生き方をしよう、というのには本当に強い。

 だけど、「それだけでいいの?」と率直に思うときがあります。
 「それだけでいいの?」という疑問は、時々、「みんなのギャラリーに、《障害者》で検索したら画像がたったの2つしかなかった」というような「事実」として目に入ってきて、胸をギュッとさせるし、こうやって「なんか違うやろ!」と叫ばさせます。

 だって。

 どんなにnoteのみんなが書いてるようなきらきらした生き方をしたくっても、「人としてふつうに暮らすこと」すら手が届かない人たちが現実に存在していて、個人個人の力では限界があり、最終的には政治の力でしか解決できなかったりするのですから。

 

・◇・◇・◇・

 

 常夏さんのイラストは、私の「それだけでいいの?なんか違うやろ!」という思いをめっちゃ揺さぶりました。

 重度障害者をイラスト化する……
 しかもかわいく!

 なんて、見たこともない方法で。noteでは、たぶん、まだ誰もやってない方法で、です。

 

 いま、みんなのフォトギャラリーを《障害者》で検索すると、常夏さんのイラストも出てきます。
 出てきた瞬間、リクエストにこたえてくれて嬉しい、ということ以上に、ぱっと世界が明るくなったのを感じました。

 常夏さんの描いたれいわ新選組のおふたりが存在するだけで、
 《障害者》の世界が変わって見えます。
 《障害者》タグの世界が、ずっと楽しく、愉快なものに感じられます。

 みなさんもよかったら、みんなのフォトギャラリーを検索してみて、常夏さんのイラストを手のひらで隠したり出したりして、使用前と使用後を比べてみてください。
 五百蔵は、見比べれば見比べるほど、「使用後」の世界がもっともっと広がってほしい、と思います。だってその方が絶対に楽しいから!

 

 そして、これが「クリエイティブである」ということなのだと思います。
 その定義には、ひとによりいろんな考えがあるだろうけど、

 「明かりのないところに明かりをともして、
 従来の世界をぶち破る」

 これが究極のクリエイティブだし、クリエイター冥利につきるのではないかと思います。

 

 だから、常夏さんのイラストを見た瞬間、「チクショウ!やられちまった……」って。
 でも、それ以上に、ここまで鮮やかに一本取られたら、悔しいなんて気持ちよりも、むしろ、そんな仲間に入れてほしい、応援させてほしい、って気持ちでワクワクします。

 そして、

 もっともっと、この《障害者》タグの世界に、
 かわいく愉快で楽しい表現が出てきてほしい!

 って思います。

 だからといって、五百蔵は絵的なことは全然ダメで……「誰か、もっと描いてよ!写真撮ってよ!……もっともっと、こんな世界を見てみたいよ!」と、うったえ、呼びかけることしかできません。
 だけど、誰かが共感してくれて、ひとつ、新しいものをアップしてくれたら、それだけ《障害者》タグがにぎやかになります。
 そうやって、ひとつひとつ愉快な画像が増えていって、いつしか、「これいいわ〜!かわいいわ〜!」っていう理由だけで、常夏さんの描いた新人議員のおふたりが、政治とか障害者とか全然関係ない記事のヘッダーを飾る、なんてことになったら……

 《障害者》っていう言葉の必要のない世界が
 見えてくるかもしれない。

 

 これって、夢を見過ぎですか?

 そんなことないですよ。
 だって、常夏さんのイラストはすでに、《障害者》って言葉の必要のない世界を描いているじゃないですか。

 リアルの世界の船後さんと木村さんも、イラストの中のかわいいおふたりも、《障害者》という枠をぶっ壊した新しい世界に、私たちを導こうとしてくれています。

 これが明日の世界です。
 「かわいい ふたり」は、世界を変えます。

 

 


いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。