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《男 = 生体重機》の季節が来たぞ

 しょっぱなからわけわかんないことかいてすみませんm(_ _)m
 でも一部のひとには、あーねとわかるはず。

 そう、なにが来たって。

 今年も
 タケノコの季節が来やがったぁぁぁァッ

 のじゃ〜ッ!! Σ(゚∀゚ノ)ノ


 テレビで見かけるタケノコ王をみれば一目瞭然なとおり、タケノコ掘りに必要なのは、

 とにかく、筋力

 なのです。
 しょーれんというタケノコ専用の鉄の棒をガッツガッツ山肌に打ち込み、ボギャッと折り取る。料亭で出るような上品なサイズのヤツなんて、もうすでにそこには存在していません。存在しているのは、桜を散らした雨を存分に吸い取って、気がついた頃には1メートルちかくにもなってるゴッツいヤツら……を筆頭に、30〜40センチのふてぶてしいヤツらがニョキニョキと。

 それを夫が黙々と掘り返しいきます。
 下手すると、毎週末ごとに10本前後。

 もうね、女の出る幕はない……そもそもしょーれんが重くて、パワフルには振るえない。ドスッ、ではなく、ぽとっ……がせいぜい。腕力無さすぎるのと、うつの易疲労性の影響で、ボトッ、にすらならないのよ( ;∀;)
 せめて運搬の手伝いだけでも、と思うんだけど、ビニール袋に3本も入れたら重くて重くて、おばちゃん、崖が上がれないんだわ(ちなみに崖には道なんて甘っちょろいものはついてないぞ。なんか手をかけたり足をかけたりできそうなちょうどいい凹凸のつらなりを心の目で見出して、アレが道、ってことにしてよじ登る、野生のボルダリング。面白いんだが、時々、竹の落ち葉で足が滑る)。

 ついでにみんな覚えといてくれ。
 うつ病人、易疲労性のせいで、重いものがまったく持てなる、ということを。


 で、そーゆーのを目の当たりにしてたら、

 昔のひとにとったら、
 男性のマッスルパワーは重機のようなもの

 だったんだろうなぁ……としかおもえないのです。
 地方の伝統行事としてよくある力比べも、地域の土木事業的なものの進捗如何がパワフルな男性の存在にかかってたからこそ、いやがうえにも盛りあがっただろうし、勝者に与えられる名誉って、それこそスサノオノミコトを崇め奉るがごときだったんだろうなぁ、って。

 そう。
 マッスルパワーが、生活の豊かさに直結してた。

 それどころか。
 自然災害からの復旧なんて、生体重機のマッスルパワーなくしてはあり得なかったわけで。

 100%の肯定はしたくはないけど、農山漁村の暮らしにおける男女の性役割分業っていうのは、一定の合理性があったと認めざるをえません。


 それにしても夫のマッスル(鍛えてはいない) + ぽっちゃりパワー、すげー、と驚嘆するのはむしろ、タケノコのハイシーズンが終わってから。
 シーズン末期、毎週末のタケノコ対応でヘトヘトになったあげくに収穫をおサボりし、人間の目を逃れて数メートルにも伸びたタケノコを退治するとき。

 ていうか、

 人間が竹の繁殖力、成長力と互角に戦えるのは、
 唯一、竹がタケノコである間だけ

 です。すっかり成長して竹になってしまったら、まともに戦うのはムリ。人間は泣き寝入りするしかありません。

 まずは、背が高すぎて、運べねー(_ _;)
 バラバラにしたとしても、枝がもさもさと大量で、置き場所がねー(_ _;)……マジで、竹1本でガレージが埋まるんだわ。

 竹一本 = 軽トラ一台

 という換算式でオッケーだとおもいます。

 それでもまだ、一対一なら辛うじて勝負できる。
 しかし、ヤツらはあまたと生えている。

 竹林化した竹に、
 人間が勝てるワケがねぇ(@_@;)

 いったいぜんたい、裏の竹薮、
 軽トラ何台分になるんだろう。

 しかしながらです。
 タケノコのうちなら……

 1本が重いといっても、赤ちゃんの体重。
 たとえ何本あったとしても、家族総出のバケツリレーで運搬可。

 しかも、ゴミが出ない。
 成長したら軽トラ1台になるヤツが、皮だけ残してあとは全部おなかの中に消えちゃうし。
 なんといっても、竹は貰ってもらえないけど、タケノコなら引き取り手がいくらでもいる!

 そう、

 うっかりとタケノコを竹に育ててはならない (๑•̀ㅂ•́)و✧

 竹林所有者の、それは重大使命なのです。
 (とはいえ、裏の竹薮はウチのじゃないぞ。持ち主が放置してるのが侵入してくるのだ ٩(๑`^´๑)۶)
 だから、うっかりのばしてしまったタケノコは、まだギリギリタケノコであるうちに始末します。
 とはいえ、食べられないものを掘り返してもバカバカしいですからね……

 ゴリラのように激突

 して、先端のまだ柔らかいところをへし折ります
 正確にいうと、

 ・1〜2メートルくらいなら、竹化が進んでないので、柔らかい足元をしょーれんでどついて砕いてへし折る。もしくは、上の方をつかんで、そのままバキッ!といく。
 ・それ以上になってくると、足元が固まってくるし、そもそも背が高すぎるので倒せない。幹を揺すって先端に振動を伝え、先端が自発的に折れるまで揺さぶる。

 ようになります。
 揺すり方はタケノコの固さ、高さ、地形により臨機応変で、両手でガシガシ、でいけるものもあれば、タックルが必要なものもあります。
 小太り夫はいかにもらくしょー、というふうに、2階の屋根にも届きそうな背丈のタケノコをガシガシ揺すったり、タックルをキメたりして先端を折ります。そのとき夫からは、海外にあるアーモンドの木の幹をつかんで揺すって落とすゴッツい機械の幻影がうっすらと見えます。
 ええ、ホンマに。パワフルすぎて、傾斜地形でも臨機応変に対応できる超万能重機、にしか見えないほど。

 が、小柄で軽量な私にはまったくもってムリで。

 ぽすっ。

 タケノコのヤツ、びくともしねぇ……どころか、衝突した勢いのままにこっちが弾き返されちまう。
 たとえるならば、壁に投げつけられたシルバニアの子リスのぬいぐるみの無力さ、みたいな。

 マッスル × 体重

 タケノコとの戦いのシーズンにフィニッシュをキメるのは、まさにこのふたつ。
 ホントは夫にはしっかりとダイエットして、ぽっちゃりお腹をスリムにしてほしい。しかし、うかつにヤセると、次シーズンは伸びすぎたタケノコに勝てなくなるかもしれない……なかなかに、悩ましいところです。


・◇・◇・◇・


 そうはいっても、夫だってあと数年で還暦なのです。

 正直いって、年ごとに簇生するタケノコに、いつまでマッスルパワーで戦えるか。カウントダウンにはいってるな、と不安にもなります。
 それに、タケノコとの戦いは、危険と隣り合わせです。夫は、2階以上の高さから落ちてくるタケノコの先端に直撃されたことがあります。クソ重いタケノコが2階から落下して歩行者に激突……だなんて、都会なら大事件ですよ。このときは、折れ飛んだ先端が、隣の竹の枝葉のワサワサしてるのに跳ね返されて、予想外の挙動をしたんですよね……(´-﹏-`;)
 危ないことはやめてほしいけど、だからといってやめたらどうなるか。
 ゆえに、

 マッスル + リスクに怯まぬソウル

 が否応なく男性には期待される。御柱みたいな命懸けの祭りが存在する理由も、そこのへんにあるのだな、と実感した事件でした。

 たとえば。

 都会に出現するタックルおじさんでバスツアーを組み、雑踏の中で他人にわざとぶつかるのでなく、
 伸びすぎてもてあましている放置竹林のタケノコにタックルをキメて地域のみなさんに喜んでもらう

 なんて妄想的な案もあるんだけど、危険性を思うとどーだかなぁ……なんて躊躇してしまう。
 でも、タケノコタックルは、非日常なエンタメとしてはめちゃめちゃ面白い、という自信はあります。バラエティ番組やユーチューバーの企画として、自信を持ってオススメします(๑•̀ㅂ•́)و✧
 ていうか。
 《タケノコ掘り》については、季節の親子企画みたいなのでニュースで見るけど、《タケノコ倒し》に注目した企画って、たぶん無いですよね……大人のため、もしくは、中高生向けの親子企画として打ち出したら、地域貢献もでき、景観保全についても学べるよいチャンスになるかもしれません。

 でもって、夫がリタイヤしたら、ウチはその後は女の子のひとりっ子……この先、竹薮の隣で暮らしていくのは、なおさら厳しいのは言を俟ちません。
 田舎から、まずは若い女性が流出していくのも、男女の違い、性役割分業からもむべなるかなです(だけど、自然と戦うことのできるパワーがあるゆえに、男性、とくに長男は出ていけなかった、縛り付けられていたことに言及しないと不公平になります)。しかも、昭和の田舎は男尊女卑もキツかった。《男尊女卑とは、生体重機のケア担当のクルーを軽視すること》といいかえることができると思います。これではチームが機能しない、ということが、建設会社に置き換えたらスッとわかるのに。
 はなしはとびますが、男女の体の違いから性役割分業の合理性を唱えるひとが、すくなからずいますよね。私のこの記事も、そのことに一定の合理性、理解を示しています。だけど、そのようなひとたちのなかに、その役割分担に、影のように尊卑がつきまとっていることの不合理を突くひとは、ついぞ見かけないように思います。かれらが、これは差別ではなく区別、といくら主張しても説得力がないのは、そのへんに原因がありそうだと考察した次第です。


 最後に。
 また一気にはなしが飛ぶけど。

 農業基本法によって機械化が進み、
 《三ちゃん農業》といわれる状況が出現した。

 ということは、いまでも公民の教科書にのってるのかな?

 実はコレ、偉大なことだった、とこの記事を書きながら思い当たりました。
 生体重機たる働きざかりの男性が存在していなくても(サラリーマンとして出勤して畑には不在で、農業の主軸にはなってなくても)、非力なじーちゃん、ばーちゃん、かーちゃんで畑が回せる

 つまり。
 マッスルパワーが前提条件だった農業が、そうではなくなった、

 主軸としての農業の担い手の裾野が拡大した

 ということ。

 すげぇぞ、機械化(@_@;)

 だけど当時は、女性がガンガンと農業に参入する……という流れにはならなりませんでした。
 それはもう間違いなく、男尊女卑という空気のせい、と断言してもかまわないでしょう。
 そして機械化が何したって?……農業の主たる担い手だった男性を農業と地域から引き剥がしてサラリーマン化する、という作用をし、いまにいたっているのです。残念ながら、機械化は、その当時は、農業の未来を拓くのではなく、萎ませることに貢献したのです。
 いまも、AIが……という時代になってますが、それがはたして、人間の可能性や社会の豊かさを拓くものになるのか、農業分野の機械化のように、とある分野の未来を閉ざす残念な結果をもたらすのか。私はそこを注視していきたいとおもってます。

 だけど、遅ればせながらだけど。
 女性が活躍しやすいステージを整えたら、新たな担い手は、まだまだたくさん探せるかもしれません。
 いやまぁ、アタマの古いとーちゃんたちに向かって、「かーちゃんを農業の共同の経営者として、家族内での地位を向上させろ」という主張をしているの、何十年もまえから、見たことあったんだけどね……それってすごく先駆的なことだったんだ、といまごろ気がついたりしてるんだなぁ(;´∀`)



 

 


いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。