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「日本料理」が持続可能な観光資源になっていくためには| LURRA°共同オーナー 宮下 拓己

全国各地の文化起業家たちを訪ねる「Culturepreneur(カルチャープレナー)」連載、2人目はレストラン「LURRA°」の共同オーナー 宮下 拓己さん。

出身は東京、両親は教師という環境で育った宮下さん。中高は進学校に通い、同級生たちが有名大学に進学するなかで料理の専門学校へ。料理人・ソムリエとして国内外のレストランで経験を積みます。

その後、2019年に京都でLURRA°を創業。「ミシュランガイド京都・大阪」にて2年連続の一つ星を獲得し、個人としてはForbes JAPAN 30 UNDER 30や京都信用金庫主催のアワードなど多くの受賞歴を持っています。

一般的な料理人やソムリエなどの「飲食従事者」とは違う視点を持ちながら、独自のキャリアを歩んできた宮下さん。レストラン・料理業界に入ったことで見えた課題や、日本の文化が持つ可能性について話を聞きました。

━━宮下さんがレストラン・料理業界に携わるようになった経緯から教えていただけますか?

小学生のときから、両親から「好きなものを見つけなさい」と言われ続けていました。だから、とにかく「自分がやりたいことは何か」をいつも考えていたんです。

僕の家は、祖父の代まで200〜300年くらい続いていた金蒔絵の職人でした。小さい頃から祖父の仕事や、ものづくりのかっこよさを間近で見ていたのでなんとなく「何かを表現すること」に興味はありましたが、同時に当時から自分には音楽や絵描きの才能はないことも分かっていました。めちゃくちゃ悩んで、とにかく本を読み漁っては自分と向き合う日々を過ごしていましたね。

そんなときに、ある料理人の本を読んだことがきっかけで「レストランは、五感を使って表現をできる唯一の空間体験、感覚体験だ」と思ったんです。それで、自分もレストランをやりたいと思うようになりました。

当時音楽や絵描きの道を早々に諦めたように、僕には諦める力があると思っています。だから、自分より卓越している能力を持つ人がいたら素直にすごいと認められる。もちろん、そこに追いつく努力も必要かもしれない。でも、自分より優れたものを持つ仲間と一緒にチームを組んで、理想の形を作っていく方が僕は向いているんだなと、LURRA°をオープンしてみて改めて感じました。

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━━すでにいろいろな媒体で取り上げられているので少しだけ、 LURRA°について教えて下さい。

まずLURRA°という名前は、スペインとフランスの間にあるバスク地方で使われるバスク語で「地球」という意味を持つ言葉です。Aの上の小さな丸は、地球の周りを回る月と、座標の意味を込めています。LURRA°は「日本の季節と文化のショーケースを創り出す」というビジョンを掲げ、「◯◯料理」と定義はせず、さまざまな文化を取り入れてLURRA°という座標から旅をするような食の体験を届けていきたいと思っています。

よく「なぜ東京ではなく京都に作ったのか」と聞かれることがあります。その答えはシンプルで「伝統・革新・自然」という3要素を持つ都市だからです。これまでさまざまな国や都市を訪れてきましたが、この3要素が揃っているところは珍しいんです。京都は中心部こそ都会ですが、少し車を走らせれば豊かな自然が広がっています。世界的な観光都市であることだけが理由ではありません。

━━LURRA°では「日本の季節と文化」を食の体験を通じてゲストに提供していますが、宮下さんは日本の食文化全体の可能性をどのように考えていますか?

最近「フードツーリズム」という言葉をよく耳にするように、これからは現地にしか無い「食文化・食体験」を求めて旅行する時代になっています。そして、レストランはその国や風土や景色、季節に触れられる空間でもあります。近年では、nomaの共同設立者らによる「新北欧料理マニフェスト」によって「新北欧料理」という概念を作りあげた北欧の国々が注目されており、各地のレストランを目的に訪れる観光客も増えています。

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コペンハーゲンのレストラン「noma」の共同設立者であるクラウス・マイヤー氏とシェフのレネ・レゼッピ氏によって、2003年に作成された「新北欧料理マニフェスト」


では、日本はどうか。「和食」がユネスコ世界無形文化遺産に登録されたように、海外の人々は日本料理に対してポジティブなイメージを持っており、四季のおかげで食の資源は豊富です。でも、例えばラーメンやカレーといった日本独自の形で発展し日本の人々に根付いている料理を「和食」と括れるか否かは難しいところです。

和食が日本文化を表現するものとして、そしてより強力かつ持続可能な観光資源になっていくためには、「新北欧料理マニフェスト」のように「和食とは何か」をしっかり言語化して伝えていくことが必要だと思います。二十四節季や七十二候を超え、より細やかに自然に寄り添う料理も、地方にある食材の豊かさを表現する料理も日本料理になりえる。それを地方各地で表現することがこれからの日本の強みであり、日本にできない発信方法だと思います。

━━各地の食文化を発信するメディアのひとつがレストランだと思いますが、その現場における課題は何かありますか?

そもそも、当事者たちが課題点を見つけられないこと自体が課題だと思っています。レストランの長時間労働・低賃金をはじめとする労働環境は、非常に大きな課題です。でも、現場で働く当事者は「そういう業界だから仕方ない」で終わってしまう。

それはなぜか。ひとつの仮説は、レストラン・料理業界を志す若い世代のキャリアにおける選択肢が少なすぎるからだと思っています。多くの人達は、料理の専門学校を卒業した後にお店で働き、長い長い下積み期間を経験します。当然、その下積み時代にリタイアしてしまう人も多く、希望や志をもって入ってきた料理人たちが花を咲かせないまま辞めてしまう。日本の食文化を発信していくためには、発信する役割を担うレストランの現場で起きている課題にも目を向けなければいけません。

LURRA°では、若いメンバーにも業界水準をかなり超えた金額の給与を支払うようにしています。やはり拘束時間は長くなってしまうので、その貢献に応えるためと、小さなお店からこういう改善をしっかりやっていくことで徐々に業界全体に広がっていけばいいですし、僕の役割はそのための環境を整えることだと思っています。

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LURRA°で提供している料理。その時々の季節を美しく表現している

━━日本の手仕事やものづくりの現場でも、課題を課題と認識できないまま無くなってしまう伝統的な文化が多くありますよね。

料理業界の話は、多くの課題によって新たな文化が育つ土壌が無いことに対する課題提起でしたが、こと「伝統産業」と呼ばれるものを無理矢理守っていくことに、僕はあまり価値を感じません。無くなっていく物事には必ず理由があるし、数多く残っていくことが必ずしも良いとは言えないからです。

これから残っていくのは「消費者が想いを持って選ぶことができるもの」だと思います。大型スーパーに整然と並んでいる野菜も、小さな八百屋に並ぶ農家さんが愛を込めて育てた野菜も、野菜自体に良い悪いは存在しない。それよりも、その野菜を買う私たち側にどんな想いがあって、なぜその野菜を選んだのか。その判断に意味がある時代だと思います。だから工芸品であれ野菜であれ、作り手側は自分の想いを持って伝えなければいけないし、買い手側は意思を持って選ばなければいけない。そうすれば良いものは自然と残り文化として根付いていくのだと思います。

━━最後に、これからやりたいことを教えてください。

たくさんありますが、まずはその時の自分がワクワクすることを大事にしたいのと、5〜10年後に本質的に価値ある形として残ることをやっていきたいです。飲食店のプロデュースのお声掛けをいただくこともあるのですが、単に雰囲気をつくったりレシピを考えたりするよりも、そのお店の存在意義や概念的な深いところから考えていける仕事が好きです。

僕の役割は、新しい文化が生まれるための土壌を耕すことであり、未来への種まきだと思っています。僕の活動のテーマは「Cultivate the futures」。新しい挑戦のために手を動かす職人や料理人のためにできることをしてあげたいし、LURRA°があったから始めた料理人やレストランが増えていくと嬉しいですね。

text by Nicole Tateo
Interview & edit by Ryutaro Ishihara

01 河野涼|hyogen代表


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