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LGBTQ+とわたし


わたしの性自認

ようやくLGBTQ+という「言葉」が世間に広まってきたように思う。考え方や捉え方がどうかは別の話だが。

わたしは女性として生まれた。
しかし性自認は「女性ではない。でも、男性になりたいわけではない」というものだ。性の対象は男性なので何とも厄介である。
自分が何者なのか、答えが見つからない。なので、どこに悩みを相談していいのか全くわからない。

幼少時に着せられるフリルのついたワンピースが大嫌いだった。レースの靴下も嫌だった。
胸が膨らんできた時には絶望したし、生理が始まった時には首根っこを押さえて「何だかんだ言ってもお前も女なんだよ」と身体の性別に無理やり向き合わされているような気分になった。どれだけ拒んでも自分は女なのだという現実を毎月突きつけられていた。
中高と制服がスカートなのも苦痛だった。
高校を卒業した時、両親に対して高校に行かせてもらったことへの感謝の気持ちより先に、これでスカートから解放されるという嬉しさの方が先に出てきた。
これで好きな服を着られるのだと浮かれていた。

一方、周りの友だちは…

気がつくと友人たちは化粧をし、髪を染め、ブランドもののカバンを持ち、底が高い靴を履き始めた。それはもう軽やかに「女性」に移行していったのである。
わたしにはその事が恐ろしくて仕方なかった。友人が別世界に行ってしまったように感じた。
わたしの前にはそんな道など最初からないのだ。
ひとり取り残されたような気分だったが、女性の真似事をする気にはどうしてもなれずにいた。

どうしても女性を装えない

冠婚葬祭も全て黒のパンツスーツで通してきた。
妹の結婚式も、父親の葬式でさえもその格好だった。

女子トイレで非常ベルを鳴らされそうになったことも何度かある。身長が166cmあり、髪はショートですっぴん、着ているものは男性もの、カバンもリュックという出で立ちなので男性に間違えられたのだ。
声を聞いて「女性」だと理解してもらえたが、「そんな格好をしているあなたが悪いんでしょう!ちゃんと化粧くらいしなさいよ、非常識よ!」という言葉が浴びせられた。
それからは髪をショートのボブにして前髪を垂らし、化粧をしていない顔が見えにくいようにしている。

常につきまとう矛盾

子どもは好きだ。
こんなわたしを受け入れてくれる男性がいれば、家庭を築きたいと思っていたし子どもが欲しいとも思っていた。このあたりの感覚を言語化するのは難しい。
閉経した時に、もう生理が来ないのだという解放感と幸福感に包まれた。と同時に、もう自分の子どもを持つことはないのだなという大きな悲しみにも襲われた。
こういった矛盾が、常にわたしにつきまとっている。

結局、わたしは何者なのか

わたしは性的マイノリティーだとは思うが、では何者なのかと問われると答えがない。
誰か、わたしが何者なのか教えてくれるひとはいないだろうか。


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