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みんなそうだよという言葉の呪い



誰かに相談した時に、
『みんなそうだよ』と
返されたことはないだろうか。


私は何度もある。


その度に、
そこに出てくる“みんな”は誰のことで、
どうして“みんな”がそうだから
という理由で私の悩みが
打ち消されてしまうのか疑問に思う。


みんなそうだよと言われると、
それ以上何も言えなくならないか。


人によって心のキャパシティが
違うはずなのに、
特に子育てや
仕事の悩みに関して言われがちだ。


『お母さんなんだから』
『私はもっと辛い子育てをした』
『みんな同じことをやってる』
『寝不足なんて当たり前』
『昔はこうだった』
『育児は辛いものだよ』
『子供は可愛いもの』
『子供のために頑張るのが当たり前』



私は不幸自慢や自己主張を
聞きたいのではない。

ただ悩みを聞いてくれたり、
共感してくれるだけでいい。


みんなそうだよの一言は
悩みを軽視されているように感じるし、
みーんな大変なのに
自分だけ悲劇の
ヒロインぶってんじゃねーぞとでも
言われているような気分。


『こういう考えをすると
もっと楽になると思うよ』

とか、

『あー分かる。
それ本当しんどいよね』

とか、


みんなそうだよ。より
気持ちのこもった言葉は
いくらでもあるじゃないか。


母になるとなぜ
強くならねばならないのか。


どうしてしてはいけないことも、
しなければならないことも増えるのか。


子育ての環境は
それぞれ違うわけで、
ワンオペの人、
旦那さんが在宅で
基本的に家にいる人、
ひとり親で子供と生活をしている人、
ひとり親だけど両親が常に家にいる人、
3世帯で暮らしている人、


色んな環境があると思うが
全く違う環境なのにそれを
全部一括りにして
『母』という言葉だけで片付けられる。


私は産んでからの数ヶ月、
育児が想像を超える大変さで
子供を全く可愛いと思えなかった。


でもこれはきっと

”誰かに言ってはいけないことだ“

と思い当時は誰にも言えなかった。


自分が産んだくせに文句言うなと、
世間から非難を浴びるような気がした。


知恵袋などで同じ人が
いないか検索して、
同じ人を見つけると
安心していたのを覚えている。


少しずつだけど子供を
可愛いと思えるようになったのは、
離婚して自分の心に少し
余裕が出来てからのことなので、
心に余裕がないことで
やはりそういう感情が
生まれてしまうのだと思う。


寝不足が続きしっかり眠れない、
少しの音で目が覚めてしまう、
母乳育児を推奨されていたのに
母乳が出ない、
体重の減少、
抜け毛、
産後2ヶ月で生理が来る、
朝の8時から夜の11時までのワンオペ、
骨盤のズレで歩くと激痛、
働けない。

お風呂は浴室のドアの目の前に
バウンサーを置き
そこに赤ちゃんを少しの間寝かせ、
自分は素早く数分でシャワーを済ませ、
赤ちゃんの首を持ち
ベビーバスの中で片手で洗う。

赤ちゃんが冷えないように
タオルでくるみ、
すぐさま服を着せる。


自分の着替えはもちろん後回し。

トイレだってベビーサークルに
入れていてもドアを開けっぱなしで
音が聞こえるようにしていた。


寝ているあいだも
息にしているのか気になり、
口元に手を当てては
安心するということを繰り返す。

寝返りが始まれば、
うつ伏せで寝ていて窒息しないか
不安で何度も確認する。

そしてわけもわからず涙が出てくる。

ほっと一息なんてつける時がなく、
お昼寝をしている間に
ご飯を作って洗濯物を…
なんてやっていると、
産後のホルモンバランスの
乱れも伴って、
私のメンタルが崩れていくのには
十分だった。

この頃、あんなに大好きだった
漫画やアニメも読む暇も気力もなく
離れてしまっていた。



でもこれをこなしても
全然元気なお母さんもいるだろう。



逆にそのお母さんができないことを
私はできるかもしれない。


何をしんどいと感じるかも
人それぞれなのに、
これを”母だから“という言葉で
括らないでほしい。



『子供を産んだのに
大変すぎて可愛く思えない』


と素直に誰かに伝えられて


その人が、

『分かる。私もそうだったよ。
本当頭おかしくなりそうになるよね』


と言ってくれたら、
すごく救われたんだろうなと思う。 

だから私は自分が
そうして欲しかったように
子供を産んだ人が
相談をしてきてくれたときは
本音を言うようにしている。



どうして母になると
少しのネガティブ発言で
非難されやすく、
頑張ってる母親像が
キラキラして見えるのか。


お母さんなんだから、
みんなしているんだから、
頑張らなきゃ。


これがどんどん苦しめていく。

逆なのだ。


お母さんだからこそ、
みんなしていないかもしれないけど、
休まなくちゃ。


自分を責めなくてもいい状態を
つくることが必要になってくる。

子供を可愛いと思えなかったり、
育児が辛いのは
お母さんのせいではないと思う。

育児を取り巻く環境が
年々過酷になっているからだ。

当時は子供を可愛く思えない
私自信に嫌悪感や
罪悪感を抱いていたが、
いま思えば完全に環境のせい。


『自分の子どもが
かわいく思えないなんて、
育児が辛いなんてダメな母親だ』


なとど自分を責めることなく、
勇気を出して誰かに伝えられる、
世の中のお母さんたちが
もっと気軽にSOSを
いえるようになって欲しいと願う。



本音を話せたら少し、
楽になる。


そしてそれを聞いた人が、
”みんな“や”母“という言葉を使わずに、
その人のことを思い遣って
話を聞いてあげられる
世の中になってほしい。



環境を変えることは
できないかもしれないけれど
話を聞くことで、
そう思うのは
あなただけじゃないよと、
そう伝えることで
救われるお母さんが
いるかも知れない。


『私もそうだったことがあるから
何でも話してね。
必要であればアドバイスも
できるかもしれないよ。』


みんなそうだよの使い方は
この使い方がいいと私は思うのであった。

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