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あえて「お金を払う」理由

「私は、犬については自信がある。いつの日か、かならず喰いつかれるであろうという自信である」

↑は太宰治「畜犬談」の冒頭です。まさしく天才の所業。こんな風に始まったら続きを読まずにはいられません。

ありがたいことに、いまは青空文庫があります。著作権の切れたものなら、ただネットに繋ぐだけ。無料で全文を楽しめます。

一方で新潮文庫の太宰も人気です。しかもお客さんの多くは、デジタルネイティブな若年層。まさか青空文庫を知らないわけでもないはず。ある種の作品はお金を払ってでも紙の本で読みたいのでしょうか?

この現象の意味を考えました。

たとえば雑誌。しばしば「求人情報誌」のお問い合わせを受けます。いまは特定のジャンルに絞ったもの(航空業界の就職情報を紹介する「エアステージ」など)を覗き、ほぼフリーペーパーかネットです。つまり無料で見られる。最寄り駅で冊子をもらうか、手元にあるスマートフォンを起動させれば即欲しい情報にアクセスできるのです。

にもかかわらず、わざわざ書店へ足を運び、買おうとしてくれる人がいる。なぜだろう? 答えはすぐに出ました。自分にとってありがたい何かを第三者からもらう際、明確な対価を払う方が安心できるから。「タダより高いものはない」という言葉が仄めかすように、知らぬ間に知らぬ何かを払わされる可能性の方が怖いのです。

あと、値段が付いている以上はそれなりの内容だろうという信頼もあります。太宰の本を手に取る若者も、もしかしたら青空文庫でいくつかお試し的に読んだのかもしれません。そのうえで「この人なら間違いない」と確信し、手元に残すために紙の書籍を買ってくれたのではないでしょうか。

お金を払う側の気持ち。その信頼に応える作品を書ける書き手でありたいし、期待を裏切らぬ本を紹介できる書店員でありたいです。

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