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ハードボイルド書店員日記【183】

「求人情報誌は置いてますか?」

学習参考書を品出ししていた平日の午後。棚はすでにパンパンだ。下の収納スペースも氾濫寸前。売れる時期なのはわかる。だが取次が毎週補充してくれるのにここまでストックを持つ必要があるのか。返品が増えるばかりで環境にも悪い。嫌な世界だ。

小柄な女性に声を掛けられた。白いプルオーバーパーカーに黒縁メガネ。同年代かもしれない。

「昔はいくつかありましたが、現在はほぼフリーペーパーのみです。メトロの駅構内にタウンワークが」
「ありがとうございます」
言葉とは裏腹に動かず、エプロンに着けられた名札を見ている。
「他にも?」
「あ、いえ。どうしよう」
下を向いてもじもじしている。
「実はバイトを探しているのですが」
「ええ」
「どんな仕事に就きたいかわからなくて。何か参考になる本があれば」

某大型書店に在籍していたらしい。まあまあ楽しんでいたが異動してきた社員と合わなかったようだ。だったら求人情報誌を販売していないことは知っているはず。ほぼレジ業務だけで長期間はいなかったのだろう。

「やりたいことは?」
「特に。本は好きですけど」
いっそウチで働けばいい。慢性的な人手不足だから助かる。しかし辞めたばかりの業種にまた就こうと考えるだろうか?
「好きを仕事に、みたいな内容ならいくつか思いつきます」
「あ、すいません。自己啓発書と資格書はさっきチェックしたんですけど、いま欲しいものとは違くて」
控え目と映るが通り一遍の解決策に流されない。己の意見を持っている。既視感を覚えた。さほど昔ではない。

思い出した。

「ちょっとカウンターまでよろしいですか?」

脇に置かれたPCのキーを叩き「私のアルバイト放浪記」のデータを出した。著者は鶴崎いずみで版元は観察と編集。おそらく彼女自身が運営する「ひとり出版社」の類だろう。noteのアカウントを見た記憶がある。

「これは?」
「実体験を綴ったコミックエッセイです。美大を出てから正社員として就職した編集プロダクションを辞め、創作と両立させつつ様々な職業を経験したとか」
眼鏡の奥の瞳が一瞬輝きを帯びる。
「同じだ。私は大学じゃなくて専門だけど。じゃあイラストレーターとかDTP」
「も含まれてました。あとはお掃除スタッフ、水道検針員、測量会社」
「測量会社?」
「去年と今年の航空写真を見比べ、固定資産税の未納がないかをチェックする仕事だったような」
「そんな職業があるんですね。社会勉強になりそう」
「それです」
「えっ?」
「まさに著者も同じことを」

記憶の底を掘り起こす。3ページのまえがき。こんなことが書かれて、いや描かれていた。

「私にとってアルバイトは生活費を稼ぐという目的はもちろん第一にあったが、一方で、ふだん垣間みることのない社会のいろんな側面を見学するフィールドワークのような意味をもっていた」

「たしかに。でもそういう仕事ってきつそうだし、きっと人手が足りないから離れるの大変ですよね」
あ、でも抜けられたから本にできたわけか。納得したように頷く。
「読みながら、著者は自分の価値観を大事にする人だと感じました」
「そうなんですか?」
「辞めた編プロから手伝いを頼まれ、しばらく通っていた際に」
「それも一緒」
「東日本大震災が起きたそうです。版元の大企業が臨時休業に入る一方、下請けには休み明けまでにやっておいてと業務が」
「わかる」
「著者はそのタイミングで出社に見切りを付けました。『お断りします。辞めた意味ないんで』と」
「すごい。私なら義理に縛られてズルズル続けそう」
そうでもないからここにいるのでは? 要らぬ言葉を飲み込んだ。

「そのコミックエッセイ、すぐ読みたいです」
「申し訳ございません。こちらにも他店舗にも在庫が」
ただ、と声を潜める。
「少し前に私が購入した町の本屋さんでしたら、いまも置いている可能性が高いです。平積みにされていたので」
「どこですか?」
店名とだいたいの場所、営業時間を教えた。遠いと感じるかどうかは相手次第。「これから行きます」と背筋を伸ばしてくれた。

店の売り上げには繋がらなかった。だが本好き書店員にしか務まらぬ仕事をやり遂げた矜持にこっそり浸る。品出しに戻りかけ、伝え忘れた「私のアルバイト放浪記」で印象に残った一言に想いを馳せた。

「私の大好きな世界と、私が現実にいる職場は、真逆の世界だった」

多くの働き手がぶち当たった壁。彼女も折り合いを付けられますように。

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