3分で読める本屋小説

 あんな所に本屋さん、あったっけ?

 入ってみようか。用は無いけどまだ帰りたくないし。今の時間に帰ると母親から「どうだった?」「ご飯は?」って絶対訊かれるの。マジうざい。今日夕飯はいらないって朝何回も言った。うちのドア、鍵の内部の破損が末期症状なんだ。一度で最後まで行かない。引っ掛かる箇所がある。仕方なく力を入れると大きな音がするの。それで見つかる。半ドアで放置すると、欲しくも無いお菓子を部屋に持って来られた時にふと思い出したからついでに、みたいな態で注意される。それを言うのがメインの用件だったくせに。居間をスルーして部屋まで辿り着ける可能性が高いのは、あの人がテレビに没頭する時間帯。今日だったらあのグルメ番組だろう。ナビゲーターを務めるアイドルの顔が好きだから(アイツ整形してるのにね)。そして、それは今じゃない。

「いらっしゃいませ」
 自動ドアから中に入ってすぐ右側にレジ。エプロンにワイシャツ、白髪交じりの眼鏡のオジサン。定番だ。雑誌が多い。ここにも雑誌? 特に女性誌が目立つ。ファッションとグルメに全く関心を惹かれない私も一応女性なんですけど? ああ外に野ざらしになってたのは週刊誌か。あっちに文庫と新書が見える。正面の奥に絵本と図鑑。じゃあこっちがコミックかな? 正解。何かないかな。あれ? 平積みの上に「週刊東洋経済」が乗ってる。何で? ああ立ち読みか。日中暑くなってきたから涼しい店内で読むわけね。で、戻さない。どこの店にもいるんだなあ。グラスを戻さない奴ホントあり得ない。帰ったのかどうか確かめるの気疲れするんだから。どうしよう。こういうの気になるなあ。戻してあげようかな。でも外に出てまた戻るの何だか気まずい。いや、別に気まずくなる理由なんて無いんだけど気分的に。

 オジサンと目が合った。穏やかな笑みを浮かべている。ああ、そうか。解決策を思い付いた。私がこの「東洋経済」を買えばいい。たかだか数百円だし、表紙に書いてある「起業100のアイデア」って気になる。気になるでしょ? 気にしなよ。こういう思いがけない出会いをスルーしないで活用するのが、まさに昼休みに見た動画でホリエモンが言っていた「桃太郎理論」じゃないの? 

 就職なんかしたくない。バイトでも理不尽なことが連日起こるのに、会社員とか耐えられない。どうせああいうお局みたいなのがいてネチネチ言って来るんだ。定時になったから上がったのに、何でそんな顔で見るの? 悪いことしてないでしょ? 先輩より先に帰ったら駄目ってルールでもあるんですか? お札を数えてる時の視線も煩わしい。私間違えたことないです。レジ誤差が起きるたびに疑うのやめて欲しい。あんな人達と毎日顔を突き合わせて、どうでもいい話に「え、そうなんですか!」みたいなリアクションしてニコニコするとか絶対無理。考えただけで死にたくなる。でも働かないと生きていけない。だったら自分で会社を起こすしかない。ユーチューバ―とか楽しそう。いやいや恥ずかしくて人前に顔なんか晒せないでしょ。あんな流暢に喋れないしデジタルタトゥーも怖い。いや、そんなんじゃ駄目だ。強くならなきゃ。自分を変えなきゃ。安い給料のために嫌いな会社で苦手な人達と働くことに耐えるより全然マシだ。今日をその記念日にしよう。第一歩だ。まずはこれを買おう。

「あの……」「あ、それすいません。助かります。ご親切にどうもありがとうございました」「え?」「棚に戻すのが面倒でつい放置してたんです。ごめんなさいね、お手間を取らせてしまって」どうしよう。買わなくても大丈夫な流れにしてくれた。別にそこまで欲しくない。バイトの給料まだ先だし、これ買っちゃうとハーゲンダッツしばらく無理だ。でもさっき自ら洗脳した内なる自分が激昂して人差し指を突き出してるぞ。あの悲壮な決意は何だったんだ、流れてきた桃を逃すなって。でもオジサンの助け舟こそが桃だという見方もあるよね? 落ち着け。こういう時こそ雰囲気に流されちゃいけない。待て待て、この場合どっちを選ぶと流されてることになるんだ? 流されてる? そもそも私が桃なの? じゃあそれを見つけるおばあさんは誰なんだ?

「いえ、これが欲しかったんでちょうど良かったです」「あ、そうでしたか。では棚から綺麗なのをお持ちしますね」「あ、はい。ありがとうございます」

 紙袋を携えた女の子がお店を出ていく。店主は思う。あれで本当に良かったのか。あの子、絶対あんな雑誌欲しくなかっただろ。まだ高校生だぞ。欲しいなら外にあるのを持ってくるだろ。あれだけ目立つ場所に積んでいて見つけられないはずは無い。親切でレジに持ってきてくれたんだ。黙って受け取るか「ありがとね」の一言で良かったんじゃないか? 下手に過剰なお礼なんか言ってあの年代特有の偽善を嫌がる潔癖性を刺激しちゃったんじゃないか? それでこの前も失敗したじゃないか。友達と遊びに行くための資金が欲しくて部屋の掃除をしてくれているのを「ありがとう。いつも本当に助かってるよ。嬉しいなあ、美奈子は優しいなあ」って言ったら顔を真っ赤にして走って行って、しばらく口を利いてくれなくなった。差し出したお金も突き返された。何でもっとさり気なくできないんだ。

 店主は己を省みる。自分を変えなきゃ。安直で無難そうな方へすぐ流されたら駄目なんだ。今日の反省をその第一歩にする。でもあの場合、どうするのが流されないことだったんだろう?



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